薊色花伝
3.華崎邸
「先日はありがとうございました。私、薊堂の社員で常葉と申します」
出迎えの面々を前にして常葉は丁寧に頭を下げる。
社長就任五日目。隣県との境目に位置する山村の更に奥。まさにお金持ちの別荘のような洋館が木々の中に埋もれていた。実際にこの屋敷の持ち主は華崎氏といって、家計図が何百年と辿れる貴族由来の家柄らしい。
店で仕事をしているときより幾らかピシリとしたスーツ姿の常葉の後ろで、あたしはいつものセーラー服で佇む。依頼人の視線が怪訝げに向いたのに気付いて、知らない振りで辺りを見渡す。
冴えた緑色が周囲を支配する。
この辺りはなんとなく祖父の故郷に似ている。つまり我が家の本家、注連縄を張った大きな桜の木がある、今は祖父が『隠居』している場所に。あたしの生まれた場所に。
だからだろうか、呼吸をすれば空気が体中に染み入ってくる。さらさらと葉の揺れる音が心地良い。
「では、こちらへお願いします」
昨日薊堂に顔を出した大学生くらいの男性(たしか依頼主の孫で伊瀬という名前だった)に促され、屋敷へと通される。
玄関前はささやかながらシンメトリーの庭園になっていて、春を待ち焦がれた蕾達が鮮やかに開いている。その先に大きく開かれた観音開きの扉。
同じ洋館でも、やっぱり街中にある薊堂とは規模が違うなぁ。
感心しながら扉を潜る、その瞬間にふわりとやわらかな風が吹く。
足許が揺れる。
――なに?
暖房かと思ったけれどそうではないらしい。それに、今の感じはなんだろう。ほんの一瞬だけ絨毯のような感触。確認した床はやはりしっかりした板張りだった。
立ち止まってしまったあたしを追い越して、常葉が屋敷へと踏み込んでいく。
「どうかした?」
「ああ……ううん、なんでも」
首を振って、その後ろを追いかける。
思わず振り向いたエントランスホールには何も奇妙な所は見当たらない。
* * *
「遠いところまで、わざわざ申し訳ないね」
客室に招かれると、白髪交じりの男性が到着を待ちかねていた。彼がこの屋敷の主人の華崎和世さんだ。祖父よりは幾分か若い位、松葉色の和服姿が良く似合っている。
まずは今回の『件』について改めて話を聞く。勿論話を窺うのは助手…正式な社員の常葉で、あたしは横に座ってじっと遣り取りを見ているだけだけれど。
「それで、見て戴きたいのはこれなのだが…」
円卓の上に広げられたのは繻子に包まれた長物。朱色の紐を解いて中から取り出されたのは、漆黒の鞘の日本刀だった。
恭しく受け取って刀身を引き出す。綺麗な波紋、曇りも刃毀れもない。少し身幅の広い、まさに家宝と言える太刀だ。
「本物ですね」
華崎さんはゆっくりと頷く。
「蔵に仕舞っていたものだが、ここ数年様子が妙で」
「先に聞いた話では確か――」
「そう。急にいなくなるんだよ」
屋敷の主人はあたし達にその『怪異』を語って聞かせた。
そう。話に寄れば、この刀は時折“姿を消す”のだという。
普段は床の間に飾ってあるもので、手入れを鍛冶師に頼む以外は持ち歩くこともない。
屋敷に住むのは華崎さんと先刻の伊瀬さんの他、家事手伝いが二人。常に様子を見ている者が居るわけではないにしろ、ふと気づくと無くなっているのだという。
「それが、いつも決まって満月の前後なんだ」
「見張りをつけても効果はないのですね」
華崎さんは肯定を示す。
「屋敷の者の仕業とは思えない。無くなるなら被害届けも出せるが、何故か夜が明ければ元に戻っている。それに……」
彼は一瞬だけ言葉を躊躇わせた。誰に聞かれるはずもないのに、辺りを見渡して声量を落とした。
「無くなる夜には決まって、妙な人影が現れる」