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弓ちゃん、恋をする

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 弓ちゃんはそっと目を開け、星也のほうを見た。でも何も言わなかった。弓ちゃんの顔には表情すらなかった。そのせいなのか、弓ちゃんは口がきけないようにも見えた。星也と黙って向き合ったまま弓ちゃんは目を閉じ、また顔を正面に戻した。
「この先に行ったと思ってたよ」と星也は先を続けた。「でも行かなかったんだね」、そう言って星也は弓ちゃんのとなりに腰を下ろした。「よかった」
 星也は弓ちゃんを見た。弓ちゃんの首には星也の紺のマフラーが巻かれていた。弓ちゃんの髪には小さな雪片がいくつも落ちていた。弓ちゃんのほっぺたにも、白いコートにも、赤い手袋にも雪片は落ちていた。かなり長い間弓ちゃんはここにいたのかもしれない。
 星也は正面にある、森の奥へと続く道に目を凝らした。そこにあるのは深く濃密な闇だった。その道は複雑に歪曲した起伏を繰り返しながら、森のずっと奥まで続いているみたいだった。そこへ弓ちゃんは入っていこうとしていたのだ。その闇の奥へ。
 弓ちゃんは瞑想でもしているみたいに目を閉じて微動だにしなかった。そのせいで星也はほんとうに弓ちゃんがそこにいるということにうまく現実感をもてなかった。できれば肩を揺り動かしてその存在を確認してみたかったけれど、その厳粛な雰囲気を侵犯することはやはりためらわれた。
 でも星也は弓ちゃんのほっぺたに手を触れた。どうしてもそれが弓ちゃんであることを確かめたかったのだ。弓ちゃんの肌はびっくりするほど冷たかったけれど、そこにいるのは間違いなく弓ちゃんだった。星也は弓ちゃんの体温を温めるような気もちでそこに手をあて続けた。
 弓ちゃんが再び目を開けて星也のほうを見たので、星也は手を引っ込めた。そしてにっこりと笑って見せた。うまく笑えたので、星也はとても穏やかな気分になった。「ねえ、弓ちゃん」と星也は言った。そしてしばらく間をおいた。目を一度閉じて、また開いた。「ぼくたちここで、いろんなものを見てきたよね」、星也は自分の言葉があたりの冷たい空気を震わせていくのを確認した。「この三本杉の下で、こうして二人で座って、目を閉じて、たくさんのものを見たよね」
作品名:弓ちゃん、恋をする 作家名:おいら