弓ちゃん、恋をする
冒険、と星也は心の中で呟いた。冒険。そうだ、弓ちゃんはずっと冒険をしていたんだ。見たことのないものを見て、触れたことのないものに触れて、聞いたことのない音を聞く。歩いたことのない場所を歩く。自分の心が自分の知らない領域へ踏み込んでいくのを知る。弓ちゃんはそんな冒険をしていたんだ。恋をするというのは、そういうことだったんだ。弓ちゃんはずっと、何もかも忘れてしまうほどその冒険に没頭していたんだ。
その思いは星也の胸をかすかに暖めた。一握りの勇気が生まれるのを感じた。星也は唇をぎゅっと結び、下腹に力を入れて歩き続けた。
三本杉の広場に出たとき、星也は思わず声をあげそうになった。星也の前に、夢のように幻想的な風景が広がっていたからだ。
広場にはまだ明るさが残っていた。それまでの細い道と違って天井が大きく開いていたせいだと星也は思った。その天井からは勢いを増しつつある雪が降り込み、地面に積もり始めていた。その降雪のただなかに三本の大きな杉の樹が、まるで霊的な力をもっているかのようにぼんやりと神秘的に浮かび上がり、闇が訪れる前に光が最後にもたらす淡い反映を浴びていた。
星也は広場の入り口で足を止め、しばらくその情景に見入っていた。何もかもがひっそりと息を潜めているような、耳が痛くなるような沈黙がそこにあった。ゆっくりと、星也は広場の中へ入り、ふと空を見上げてみた。そしてそのまま何もせずに、降ってくる雪を額や頬や肩に受けた。それから杉の樹の幹に沿って視線を下へ滑らせていった。樹の根元まで視線を降ろしてくると、そこに弓ちゃんがいた。弓ちゃんは三本杉の根元に、入り口と反対の方向を向いて座っていた。
星也はそのまま杉の樹の反対側に回り、三メートルくらい離れたところから弓ちゃんを見つめた。弓ちゃんは樹の幹に寄りかかって脚を投げ出し、静かに目を閉じていた。眠っているようにも見えた。へたをすれば死んでいるようにも見えた。でも星也は心からほっとした。
「弓ちゃん」と星也は小さく声をかけた。でもそれはまるで独り言みたいに聞こえた。「弓ちゃん」、もう一度、今度は少し大きな声で言った。