弓ちゃん、恋をする
彼らの文明は質素だった。彼らは森の中に小さな集落を営んで住み、樹々の樹液と花の花弁を食糧とした。彼らはあまり多くの食糧を必要としなかった。彼らは言葉をもたず、テレパシーを通じて互いの非言語的な想念を交換した。彼らはその生命を終えると細胞分裂によって一体分だけ増殖した。そのため、彼らの人口はいつまでたっても増えなかった。
その惑星には音がなかった。彼らの全ての営み、惑星の全ての営みが、完全な無音のうちに進行した。星也は彼らのひっそりとした生命のことを思った。彼らはわずかばかりの糧で日々を送り、予め定められたとおりにその生命を終え、何も残すことなくさらりと消滅した。誰にも知られることのない宇宙の片隅に、拾われなかった孤児のようにその惑星は佇み、無音の回転を続けた。
星也が弓ちゃんに彼らの存在を教えると、弓ちゃんは怪訝そうな顔をして気味悪がった。
「でもおとなしいんだよ」と星也は言った。「地球人にとっては見た目がとっつきにくいところがあるかもしれない。でも別に誰に危害を加えるわけでもないんだよ」
「そんなことどうでもいい」と弓ちゃんは間違って苦い果物を口に入れてしまったような顔で言った。「気もち悪い」
「そこまで言わなくてもいいのに」
「だいたい、あんた宇宙人なんかいると思ってるわけ? ちょっと頭おかしいんじゃないの?」、弓ちゃんは思い切り不愉快そうな顔でそう言った。そして、もう二度とこの話題を持ち出さないことを星也に約束させた。
星也がこの話を持ち出したのは、世界というものについて弓ちゃんと話をしてみたかったからだ。彼らの存在は、星也がこの世界のありかたについて思いをめぐらすときの鍵だった。星也にとってはその惑星がこの世界の果てであり、地球上で起こるさまざまな事象は彼らの惑星で起こる事象によって相対化された。世界について考えるとき、彼らの存在を抜きにすることは許されなかった。彼らだってひっそりとではあっても生きているのだ。黙殺してしまうことなんかできない。
星がきれいに見える夜には、星也はこの遠い惑星の友人たちにテレパシーの送信を試みた。部屋の曇った窓ガラスを開けて夜空を見上げると、星也は目を閉じてこめかみのあたりに意識を集中した。そして、砂金をざっと流したように広がる満天の星空のどこかへ、言葉にならないメッセージを発信した。