弓ちゃん、恋をする
それからまたしばらく二人とも無言になって歩いた。雨の降る、暗い森の道を黙って歩いていると、どこか知らない土地で迷子になったような、少し寂しい気分になった。星也は小さいころによくそういう気分を体験した。弓ちゃんがおもしろ半分に星也をいろんなところへ連れ回し、おもしろ半分に星也を置き去りにしたからだ。そんなとき、星也は泣きそうになりながら必死で弓ちゃんの名前を呼んだ。その叫び声が誰からも答えられないままに見知らぬ景色の中にしみこんで消えてしまうのを確認するたびに、星也はたまらなく寂しくなった。あたりがだんだん暗くなっていくのがたまらなく不安だった。
音もなく雨の降る森の中を歩きながら、星也は昔のそういった気分を思い出した。だんだん冷たくなっていく空気の匂い。靴底のかすかな痛み。どこかから聞こえる誰かの遠い叫び声。長く伸びた影。それらのイメージは今さらながら星也を寂しく不安な気持ちにさせた。今だって怖いんだ。きっと誰だって怖い。ただそれを忘れているだけなんだ。
もうすぐ森を抜けるといったあたりで、弓ちゃんが再び口を開いた。「わたしは、たまにわたし自身にすごくうんざりすることがあるの」と弓ちゃんはぽつりとつぶやくように言った。「自分のことが大嫌いになる。もう、ほんとに、自分で自分の首を絞めたくなるくらい。それくらい嫌になるの。自分の顔とか、自分の姿形とか、仕草とか、そういうのがたまらなく嫌になるの。なんでわたしってこんななんだろうって。何でいろんなことがほかのみんなと同じようにいかないんだろうって。そんなのひどすぎるって思わない?」
弓ちゃんが何のことについて言っているのか、星也にはさっぱりわからなかった。
「でも、いいの、それでも」と弓ちゃんは言葉を継いだ。「わたしにはこの森があるもの。ここに来れば、わたしがしっかり守られているのがわかる。そうするととても楽になるの。そうだ、そんなに悔しがることなんかないんだって」、弓ちゃんはちらっと星也の顔を見た。「三本杉の下にいると、この世界がどういう仕掛けで動いてるのか、ちょっとだけわかるような気がする。今までわからなかったことが、少しだけわかるような気がするの。それだけで十分だよ、わたしは。それだけで」
「ねえ弓ちゃん、さっきから言ってることぜんぜんわかんないよ」と星也は正直に言った。