弓ちゃん、恋をする
弓ちゃんはあまり納得がいかない様子だったけれど、とりあえず形だけといったふうに唇の端を持ち上げて笑ってみせた。そしてまた下を向きながらひとしきり考え込んだ。「その、何て言うか……、例えば、あんたはわたしの弟だけれど、学校にいるときはそういうのって関係ないでしょ? つまり、弟っていうことから解放されるわけ。そういうところで、わたしといるときとは違った役割を演じることってあるのかなって」
「それはあると思う」と星也は言った。「それはもちろんあるよ。でもさ、結局同じなんだよね」
「何が同じなの?」
「うーん、何て言うか、根本的なところはさ。『星也くんって、お姉ちゃんいるでしょ?』っていろんな人に言われるよ」、そう言って星也は笑ってみせた。
弓ちゃんはまた難しい顔をした。そのせいで星也は少しがっかりした。弓ちゃんがどういう答えを期待しているのか、まったく見当もつかなかった。「ねえ星也、あんた、わたしの弟であるってことにうんざりすることってある?」
「あるよ、それは」と星也は言った。「あるに決まってるよ。けんかするたびにそう思ってるよ」
「そういうとき、どう思う? もし自分のお姉ちゃんがほかにいたらって思う?」
星也は少し考えてみた。「そんなふうには思わないよ。だって弓ちゃんは現にぼくのお姉ちゃんであるわけだし、それは変えられないことだからさ」
「だから、『もし』ってこと。あんた『もし』っていうふうにものごとを考えたことないの?」
「そういうわけじゃないけどさ、この場合、あまりうまく想像力が働かないんだよね。仮に弓ちゃんの替わりにほかのお姉ちゃんがいたとして、どういう人を想像すればいいのかわからないよ」
弓ちゃんはまた少しいらいらしているようだった。「もういい。あんたにはこの話は難しいみたい」そしてコートについたフードの帽子をかぶった。少し雨粒が大きくなってきた。
「ごめん」、そう言って星也も帽子をかぶった。「もう少し大人になったらわかるかもしれない」