弓ちゃん、恋をする
もちろん外は寒かった。二人ともコートを着てマフラーを巻いていたけれど、それでも寒かった。空は曇っていてあたりは薄暗く、森の道にも光はほとんど届いていなかった。そのせいなのかどうかはわからないけれど、森はどことなくいつもよりよそよそしいような気がした。地面や草や樹の幹や、そういったまわりの全てが身を硬くこわばらせているようなぴりっとした雰囲気がそこにあった。そしてあたりはとても静かだった。星也はコートのポケットの中で手をぎゅっと握った。
「寒くない?」と星也は弓ちゃんに訊いてみた。
「平気よ、これくらい」と弓ちゃんは星也の顔も見ないで素っ気なく答えた。
弓ちゃんはあまりしゃべらなかった。ただ黙って下を向いて歩いた。星也が何か話しかけるとうんとかそうとか短く答えを返すだけで、実際には何か別のことを考えているみたいに見えた。もしかしたらあいつのことを考えているのかもしれないと星也は思った。そんな風に星也と弓ちゃんはほとんど会話を交わさずに歩いていった。足音がいやにくっきりと聞こえた。それも空気が澄んでいるからなのかもしれない。二人の吐く息は白く、それは透きとおるような冷たい沈黙の中にすぐさま吸い込まれて消えた。
「星也」、と突然弓ちゃんが口を開いた。小さいけれど、よくとおる声だった。
「うん、何?」
弓ちゃんは相変わらず下を向いたままだった。まるで自分の足の爪先に向かって話しかけているみたいだ。「うん、あのさ…」と弓ちゃんは切り出そうとした。でも、そう呟いたまま言葉を継がなかった。
星也は黙って弓ちゃんの言葉を待った。足もとで小さな枝が踏みつけられるたびに、ぱりぱりという乾いた音がした。
「星也、学校、楽しい?」としばらく経ってから弓ちゃんは言った。そして、まるでその質問の答えなんか最初から求めていなかったかのように急に早足になって星也の先にたった。弓ちゃんのコートの背中には小さな木屑がいくつかついていた。歩く先には太い樹の根が張り出してできた小さな起伏があり、弓ちゃんはそこをぴょんと飛び越えた。そこで初めて星也のほうを振り返った。