弓ちゃん、恋をする
弓ちゃんは比較的まともな様子だった。特にぼんやりとしているわけでもなく、動作も本来の弓ちゃんらしくきびきびとしたものだった。でも星也はさっきまでの弓ちゃんの姿を頭から振り払うことができなかった。星也の頭の中では、あの男子生徒をくいいるように見つめている弓ちゃんの眼差しが何度も何度も再現された。星也は驚くほどくっきりとあのときのシーンを思い浮かべることができた。校門からあいつが出てくる。弓ちゃんが立ち上がる。弓ちゃんがあいつを見つめる。何か言いたいのかもしれない。でも言えない。あいつがとおり過ぎる。あいつのうしろ姿を弓ちゃんが見つめ続ける。そして星也は、弓ちゃんがあいつのことが好きなんだということを改めて実感することになった。よくよく考えてみればそれは驚くべきことだった。大転換といっても過言ではなかった。星也の知る限り、弓ちゃんは一七年間誰にも恋をしたことはなかったし、そもそも男の子という生き物自体をひどく軽蔑していたのだ。すごい心境の変化だ。ねえ弓ちゃん、と星也は心の中で思った。その弓ちゃんは星也のとなりに長い脚を組んで座っていた。弓ちゃんはあいつのことが好きなんだね、弓ちゃんの頭の中はあいつのことでいっぱいなんだね。
やはり弓ちゃんは夕ごはんに半分しか手をつけず、食欲がないからといって部屋に引きあげてしまった。お母さんはそのあとでため息をついた。そのため息は星也にとって何となく居心地の悪いものだった。弓ちゃんは恋をしているんだよ、お母さん、と星也は思った。ただの恋なんだよ。そして自分が弓ちゃんの秘密を知っていることで少しうしろめたい気分にもなった。
翌日は土曜日だった。二人とも学校が休みだったので、弓ちゃんは森に行こうと星也を誘った。外は寒いだろうし雨も降りそうだから止めようと星也は行ったけれどきかなかった。それでしかたなく星也はでかけることにした。