弓ちゃん、恋をする
そいつが弓ちゃんの前をとおり過ぎる一〇秒だか一五秒だかの間、弓ちゃんは黙ってそいつに視線を注ぎ続けていた。離れて見ていても星也にはそれがはっきりとわかった。弓ちゃんがそいつを見つめる視線の熱が感じられるような気もした。そしてそのとき星也は理解した。まるで淀んでいた水路にさっと水が流れ出したように、全てを理解することができた。弓ちゃんはあいつに恋をしているんだ。弓ちゃんは毎日この時間にここに来て、あいつが出てくるのを待っているんだ。待ち合わせなんかじゃない。弓ちゃんはあいつの名前だって知らないかもしれない。そしてあいつも、弓ちゃんが毎日ここで自分の帰りを待っていることなど知らないかもしれない。でも弓ちゃんは、あいつを一目見るためだけに毎日ここに来て、同じように校門の前に一人で座り込み、同じようにあいつを待っていたんだ。
そいつは今弓ちゃんの前をとおり過ぎようとしていた。星也は、今にも弓ちゃんがうしろから走り寄っていって声をかけるんじゃないかという気がした。でもそうじゃなかった。弓ちゃんは校門の前に立ちつくしたまま動かなかった。ただ視線だけがずっとそいつに向けられていた。本当は声をかけたいのかもしれない。でも言葉は出てこない。弓ちゃんはじっと口をつぐんだままだった。そして弓ちゃんのそんな姿は星也を少し不安にさせた。なぜだか、そんな弓ちゃんを見ていると、心の奥のほうが微妙にずらされたような、奇妙な感覚が残り、星也を落ち着かなくさせた。
その一〇秒か一五秒かの短い時間はとてつもなく長く引き延ばされたように感じられた。星也の頭の中では、そいつが弓ちゃんの前をとおり過ぎていく映像が何度も何度もスローモーションで繰り返された。あいつが出てくる。弓ちゃんが立ち上がる。弓ちゃんがあいつを見つめる。見つめ続ける。言葉は出てこない。それだけだ。