弓ちゃん、恋をする
変だな、と星也は思った。でもそれは弓ちゃんがこんな寒い日に薄手の格好をしていることだけではなかった。それだけではない。この電車の路線は弓ちゃんが高校への通学につかっている路線ではないのだ。ここは弓ちゃんの通学路ではない。でももちろん弓ちゃんは高校の制服を着ていたし、かばんも持っていた。もしかしたら、弓ちゃんは学校帰りに寄り道をして、それでいつもと違う電車で家に帰ってきているのかもしれない。それもありえないことではなかった。でもそれと同じくらい、弓ちゃんはぼんやりとしたまま違った電車に乗り込んでしまった、という可能性も考えられることだった。
星也は弓ちゃんに声をかけるべきかどうか迷った。いつもだったら迷わず声をかけているところだったし、普段どおりそうするべきだったかもしれない。そしてなぜこの電車に乗っているのか訊いてみればいいのだ。「あれ? 弓ちゃん、今帰り? なんでこの電車に乗ってるの?」、それだけですむはずだった。でも星也にはなぜかそれがためらわれた。どうしてかはよくわからないが、そのときの弓ちゃんには何かしら声をかけるのをためらわせるものがあったのだ。星也はずっととなりの車両の弓ちゃんの背中を眺めていた。それはまるで弓ちゃんの背中ではないみたいだった。誰か別の女の子の背中のように見えた。実際、星也は人違いなんじゃないかと考えもした。でも違う。人違いなんかじゃない。あれは間違いなく弓ちゃんだ。あれは確かに弓ちゃんじゃないみたいに見える。でも弓ちゃんだ。見間違えるはずがない。
とりあえず様子を見てみようと星也は思った。お母さんに言われたこともあるし、うまくいけば何か弓ちゃんの変化についての手がかりみたいなものがひょっこり顔を出すかもしれない。それに、この路線は星也の通学路であるわけだからどのみち二人の降りる駅をとおる。駅についても弓ちゃんがあの調子でぼんやりしてるようだったら声をかけていっしょに下りればいい。何も問題はない。
弓ちゃんが電車を下りたのはそのときだった。星也は安心して弓ちゃんの背中を横目でちらちら見ながら電車に揺られていて、そのうち電車は小さな駅に入った。家のある駅の二つ手前だった。電車がホームに入って、扉が開くと、弓ちゃんは何の前触れもなくすっと電車を下りた。一瞬、星也は状況が飲み込めなかった。どうしてここで下りるんだ?