絶対不足浪漫譚
三、君には経験が足りない
君が私に弟子入りしたいとやってきた日のことを、私は未だに覚えているんだ。大雪が降った日で、私はいつもよりも早めに家を出た。幸いにも仕事は簡単で、一燭時もかからずに私は依頼を達成して帰路についていた。そして、家の前に着くと異変に気づいた。門の周りが綺麗に雪かきされている。私の家には私しかいないし、私を恐れる近所の人たちはそんなことをしようとは夢にも思わない。では、誰が?
――私は、師のおどけた口調に微笑を浮かべた。
門をくぐると、家の玄関前に一人、体育座りで俯いている人影がいた。全く物好きがいたものだと呆れたが、君は驚くべき勢いで私から魔法を学びたいと迫ってきた。多くの人が私の魔法をただの奇術や詐欺だと噂したのに、君の眼は馬鹿みたいに真っ直ぐ私を信じていた。
――私は、師の瞳をかつて以上の情熱と尊敬をもって見つめた。
それから五度、この星は太陽を巡った。信じ難いことだが、いつの間にか五年の月日が過ぎてしまった。いまや、私が知っていたささやかな魔法の、その全ては君に伝えた。灯を点し、水を固め、空を五歩歩く。たったの三つ、ささやかで弱く、世界を変えるべくもない。だが、君はもはや魔法遣いなのだ、ただ一人の弟子よ。そして、どうしようもなく絶対的に経験が足りない魔法遣いだ。君はこれから経験を積み、もう二つ学ばなければならない。
――私は、師から一度も学ばなかったいくつかの魔法を挙げた。
いやいや、呪文でも術式でもない。秘伝の薬を作る製法でも、使い魔を召喚する魔方陣でもない。そんなものは、私たちには必要ない。違うかな?
――私は、師の眼差しを受け止めて、頷いた。
君がこれからの旅で身に付けなければならないのは経験と、たった二つの何よりも強力な力だ。それは君が五年間をかけて学び身に付けた魔法とは違い、誰もが生まれながらにして扱うものだ。しかし、それゆえに多くの人はそれが魔法であるとは気づかない。恐ろしいことに。
――私は、師の問い掛けに目を細めた。
さて、餞別にその二つを旅立つ君に贈ろう。人生九十九年、君と過ごした五年間ほど満ち足りた日々は無かった。肝を冷やしたのもこの五年が一番だったがね。私は一足先に君とは違う旅路に向かうが、いずれ再びお互いの道が交わる日も来るだろう。その日まで健やかに。君に厳しき試練と、大いなる風の護りがあらんことを。
――私は、師の手を握った。師は、私に言葉と笑顔を遺して逝った。