あなたのために死ねない
うるさ過ぎず静か過ぎす落ち着いた雰囲気で、なにより、独りの客が多かった。
相変わらず友達と呼べる人間は独りもいなかったが、小説に没頭することで孤独など全く苦にならなかった。
ぼくに焦りはなかった。
今のぼくは、社会復帰のリハビリ中なのだ。
バイト先ではっきりと分かったことは2つ。ぼくはそれほどデキの悪い人間じゃなかったということ。そして、この現実世界においても、他人とちゃんとコミュニケーションがとれるということだ。
ひきこもる前のぼくは、人前で声を発することさえできない臆病者だった。
ぼくがなにか言動を起こすたび、周囲の者から笑われ、時には無視され、踏みにじられてきたからだ。
だが、今のぼくは、あの水島君とも対等に渡り合えていると思う。
ひきこもっていた3年間は決して無駄ではなかったのだ。
1時間ほど経った頃だろうか。ぼくの背後の席に、何人か客が着いた。
そして彼らは、信じられない会話を始めた。
「はじめまして …… で、いいですよね? わたしが大森です。とりあえず本名は伏せたかたちで、時計回りで自己紹介していきましょうか。まぁわたしは本名通りですが」
「お初です。ぼくがイデです。いい天気。オフ会日和。会えて幸せ」
「イデさん、喋り方まで七五調なんだ! あ、あたしは枝豆です。…… ニコリ」
「その“ニコリ”は、顔文字として解釈しろってことですね」
大森さんの言葉に全員が大笑いした。
ぼくは振り返ることなく、“生前の友人たち”の会話を聞いていた。
手の震えが止まらなくなり、ティーカップは皿に置いた。
「あ、ごめんなさい、タカコさん。自己紹介、まだでしたね」
「自己紹介、最後の人は、不要かな」
「何言ってるのイデさん! タカコさん、一応、自己紹介お願いしまーす」
「…… はい、分かりました」
気が付くと、ぼくは振り返っていた。
「はじめまして。タカコです。わたしも一応本名です。貴族の“貴”に子供で ……」
コミュニティサイトで使っていた写真アイコンと、まったく同じ顔がそこにあった。
“相手が送ってくる写真なんて、5割減ぐらいに考えておかなきゃダメ。実際会ってみたら、写真よりデブだったり、肌がカッサカサだったりするのはよくあることだからね”
…… 水島君が言っていたどうでもいい言葉が頭に浮かんだ。
タカコはWeb上での印象と遜色ない、黒髪で色白の美しい女性だった。
年齢は分からないが、声の感じから自分と同じか、少し年上のようにも感じた。
「…… 本当なら、ここに幽霊さんもいたはずなんですよね」
タカコの口から、ぼくの名前が、正しいアクセントで発せられた。
ぼくはハッと我に返り、なるべくさりげなく、振り返った身体を元に戻した。
“はじめまして、ぼくが幽霊です”
それを口走るのを、ぼくはなんとか抑えた。
今日は服装も髪型もちゃんとしていた。バレたとしてもなんの問題もない。
だが、今は会ってはいけない、と直感した。リハビリ中である今、“生前の友人”に会うのは、とても危険なことだ。ここで彼らと出会ってしまったら、ぼくはまた、ただの“幽霊”に戻ってしまう気がした。
「幽霊さん、きっと元気に、生きている。ネット上では …… 英霊だけど」
「寂しいよね。あたしたちみんな幽霊さんに会いたかったけど、一番会いたかったのはタカコさんだもんね」
「そういえば、あのヨシタケってやつ、つい最近、死刑されたらしいですね」
「うん! あたしも知ってる。なんかザマーミロって感じだよね」
ヨシタケ …… 聴こえてきたその名前が、ぼくの背中を撫でたような気がしてぞくりとした。
大森さんの口から発せられたヨシタケという名前、他でもない、ぼくを死刑に追い込んだ男だ。
…… 当時タカコは、ヨシタケにしつこくストーキングされていた。
“1回だけでいいから会ってほしい”などとタカコにしつこく迫り続けた挙句、拒否され続けてきた腹いせなのだろう、タカコへ脅迫まがいの文面を送りつけるようになった。
“○○付近では最近レイプ被害が相次いでるみたいだから、気をつけてね(^v^)”
“明日の夕方、近くまで行くから。オレ、許してないよ”
彼女の自宅マンションの写真を“ここに住みたいな! 美人が多いし!”などと公開したりしていた。
仲間たちはタカコに、しかるべき場への通報を促したのだが、直接的な被害はないということで全く取り合ってもらえなかったという。
ぼくはしばらく考えたのち、タカコを助けるための行動に出た。
なんのことはない、ヨシタケに対して“○○月○○日 お前を切り刻んで殺す”というような内容のメッセージを、数週間に渡って送り続けただけだ。
ヨシタケのプロフィールやふだんのメッセージの内容から勤務場所や住んでいる場所も大体特定できていた。それを利用した具体的な殺人予告メッセージは、彼を精神的に追い詰めるのに充分だった。
このご時世だ。通報されれば、そのまま裁判〜死刑確定は免れないことは分かっていた。だが、そうなればヨシタケもただでは済まされない。裁判ともなれば、奴も原告として出廷することとなり、身元も判明する。そうなれば、タカコへのストーキングも続けることはできなくなると考えたのだ。
結果的に、その通りになった。
ぼくは死刑に処され、ヨシタケもタカコも元から消え去った。
ぼくは命に代えてタカコを守ったのだ ……
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もう夕方だった。
ぼくは先にカフェを出て、タカコたちが出てくるのを待っていた。
というか、タカコを待っていた。
彼女が独りになったところで声をかけるつもりだった。
今は“生前の友人”に会いたくない、その気持ちは変わらない。
だが、やっぱり、タカコだけは別だ。
タカコを命がけで守ったことは、もちろんなんの後悔もない。
むしろ、彼女への愛を貫いた自分が誇らしかった。
死んだ後も、タカコが幸せであればいいと思っていた。
そこにぼくがいなくてもいいと思っていた。
だが、偶然とはいえ、ぼくは彼女に見つけてしまったのだ。
死後の世界からぼくは、まさに“幽霊”のごとく、彼女を見つけてしまったのだ。
その瞬間、ぼくはあろうことか、後悔の念に包まれてしまった。
死んでしまったら終わりなのだ。
彼女への愛を貫いた、といえば聞こえはいいが、実は“貫いてはいない”
“貫く”の対象は、未来だけだ。
ぼくはただ“射止めた”だけだ。
死んだ瞬間、タカコのなかで、ぼくは“過去”に置きかえられる。
ぼくだけ時間が止まり、タカコたちは未来に向かう。否応なくぼくを置き去りにする。
射止められた過去をたまに思い出しながら。
“逢いたい”
“ずっといっしょにいたい”
ぼくは今、やっと“幽霊”じゃなくなったような気がしていた。
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国道沿いを独りで歩くタカコを見つけた。
「タカコ、さん」
作品名:あなたのために死ねない 作家名:しもん