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あなたのために死ねない

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ぼくは息を荒げながらキーボードを叩き続けた。

「あなたは現実もWebもどちらも同じ人間だというけれど、少なくとも、ここの人たちはぼくを殴ることはできない ぼくを追い詰めることもできない ぼくの大切なものを壊すこともない」

その後しばらく返答はなかった。

おそらく彼は逃げたのだろう、と思った。
こういう場では、都合が悪くなったらそのまま消えてしまえばいい。わざわざ体裁を取り繕ったり、面倒な手続きはいらない。Webのコミュニケーションの良いところでもあり、悪いところでもある。

そんなことより、ぼくは自分に対する驚きを抑えきれずにいた。
相手が見えない、という理由だけで、ぼくはこんなにも饒舌になれるのか ……

「ようするにあなたは、現実世界では死んでいるも同然だという訳だね」

時間にして20分後、大森さんの返事がきた。

「きみはどうしたいんだ? 現実世界を捨てたいのか、それとも現実世界で復活したいと考えているのか」

「…… 前者です」
“もう他人とは関わりたくない”から“もう現実世界の人間とは関わりたくない”へ脳内修正を施す。

「ならばあなたはやはり、もう“他人と関わりたくない”などと言わないほうがいい。現実世界でどんな酷い目に遭っていたとしても、こちらの世界でのあなたがそれを引き継ぐ必要はないだろう? 現実世界のあなたはもう死んだんだ。自殺したも同然さ。これからは、この世界のなかだけで生きていけばいいんだ」

ぼくは返事をしなかった。頷くしかなかったからだ。

「わたしも、今夜のこの会話を全て忘れることを誓おう。次会うときは、我々はふつうに友達だ。現実世界の経歴など適当にでっち上げておけばいい」

「了解しました」

「ところで、まだ名前がないみたいだけど? 今後も“あなた”とか“きみ”のほうがいいのかい?」

「そうですね。適当に名前付けておきます」

「じゃあ、“幽霊”なんてどうかな? 現実世界では死んでいるけど、Web上を徘徊している幽霊みたいだから」

大森さんの口調がぼくを馬鹿にしているようにも聞こえたが、それほど嫌な気持ちにはならなかった。それよりも、真摯に向かい合ってくれるその態度が嬉しかったのかもしれない。



三年間ひきこもり生活を続けている間、ぼくはほとんど言葉を発することはなかった。
「ごはん、置いておくからね」母のドア越しの言葉に返事をするくらいで、父や妹とは一切会話することはなかった。

だが、孤独感は一切なかった。“幽霊さん”としてのぼくには仲間がたくさんいた。好きなアニメやゲームの話で毎日盛り上がっていた。“アニメの制作会社とかに就職したい”というぼんやりとした夢を、ネットで調べ上げた知識だけを武器に、毎晩熱く仲間たちと語り合っていた。いつもどこかでトラブルが発生し、そのつどその場に駆けつける。その場に干渉して議論を交わすこともしばしば。本当に刺激的な毎日だった。 ……



死刑が執行された今、そんな全ての人間関係が絶たれた。

ぼくは本当に孤独になった。

だが、三年前に“もう他人とは関わりたくない”と家族に対して吠えた手前、ぼくは部屋から出ることが出来ずにいたのだ。



…… 認めよう。ぼくは結局、ただのさびしがり屋だ。



3か月の間、抵抗し続けていた感情を、今は素直に受け容れることができていた。



ぼくはすでにPCに向かい、求人募集のサイトを調べ始めていた。



−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−



深夜のコンビニで働き始めた。

とりあえず、という気持ちだった。数年ぶりの社会復帰、まずはリハビリとして、こういう人の出入りが少なく静かな場所がちょうどいいと思ったからだ。

商品の受発注など、思ったより作業内容は複雑だったが、必死になって憶えた。一か月を過ぎた頃、“きみの憶えの早さは並大抵じゃない”と店長から褒められた。ぼくは、自分で思っていたよりも社会復帰へのモチベーションが高かったことにそのとき気が付いた。今では、時々現れる酔っぱらいのクレーマーも上手に対処できるようになったほどだ。

あと、ぼくが社会復帰したことで、家族があれほど喜んでくれるとは思わなかった。
ぼくがアルバイトを始めると家族に報告したとき、母は泣いていた。妹もつられて泣いていた。何年も会話していなかった父とも少しずつ喋るようになっていった。



「東クンはカノジョいないの?」

水島君が話しかけてきた。この時間帯はいつも、彼と二人きりの勤務となる。

「ヒガシ、じゃないです。アズマですよ」
「ゴメンゴメン。で、東クンはカノジョいないんだっけ?」

水島君はぼくより3つ歳上で、バンドかなにかをやっているらしい。
だが、彼の喋ることといえば、音楽の話ではなく、女の話ばかりだ。
最近は出会い系サイトにハマっているらしい。

「来週、また女の子と会う約束しててさ。まぁ女の子といっても28だけど。で、2対2で会うことになったんだけどね …… 東くん、どうよ?」
「ぼくはいいです。そういうの苦手なんで」

苦手というより、ぼくは生まれてこの方、女性と接した経験がほとんどない。Web上では女性ともふつうに会話していたが、実際に会ったことなどもちろん1度もなかった。

「最近、また新しいサイト見つけてさ。たしか名前は …… まぁ、ここは純粋な出会い系サイトじゃないんだけど。東クンもこうやってさ、オレみたいにちゃんと努力しなきゃダメよ。たまには女とヤらなきゃ。チンチンも独りでシャカシャカやってるだけだと、徐々に硬さが弱まってくって知ってた?」

「そのサイトで脅されたりしませんでした?」

ぼくの唐突な質問に、水島君が一瞬固まった。

驚いたのはこちらも同じだった。
彼の口から、あのコミュニティサイトの名前が出てくるとは思わなかった。

「…… 脅されたって、どういうこと?」

「いや、例えば」
ぼくは慎重に言葉を選んだ。
「例えば、女の子を口説いてたら、カレシみたいなのが出て来て“オレの女に手を出すんじゃねえ”とか。“殺すぞ”とか」

水島君は鼻で笑った。
「そんなことある訳ないじゃん。第一、もしもカレシなんて出てきたら、オレはそのまま退散するよ。あんなところで出会う女に、特別こだわる理由なんかないしさ」

彼が嘘を吐いているとは思えない。そう信じたい、というのが正直なところだが。

否応なく、あの男がぼくの脳裏をよぎった。タカコに執拗に付きまとっていたあの男。
タカコの個人情報まで盗み出して、しつこく迫っていたあの陰湿な男。

よく考えたら、水島君とは全然キャラが違う。

「ていうかさ、“オレの女に手を出すんじゃねえ”は分かるけど、いくらなんでも“殺すぞ”はマズイでしょ、いまどき。それやったら一発アウトだよ。いわゆる“死刑”」

「そうですよね」

感情と表情を殺しながら、ぼくは答えた。



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運命的な出会いがあった。



ぼくはその時、カフェで独り、読書をしていた。
このカフェには最近よく来ている。
作品名:あなたのために死ねない 作家名:しもん