小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」
早稲田文芸会
早稲田文芸会
novelistID. 7568
新規ユーザー登録
E-MAIL
PASSWORD
次回から自動でログイン

 

作品詳細に戻る

 

雨に咆哮(桐島)

INDEX|2ページ/4ページ|

次のページ前のページ
 

「私、生理の時だけキヨがものすごく欲しくなるの」
体育の後、自販機が並んだ狭い廊下の一角で、リリコの言葉は私の背中にぽとりと落ちた。伸ばした手の先にあるペットボトルを取り出すのも忘れて、私は間抜けな姿勢のままで振り返る。リリコはちょっと微笑む。
「別にレズとかそーゆーんじゃないけど」
いやそうなのかもしれないけど、と続けて、言葉を選ぶように宙をみつめる。でもとにかくね、キヨのことエッチな意味でいいなぁって思うのは、生理のときだけ。
ガタン、と大きな音をたててリリコの傍にあったドアが開き、その向こうの生徒ホールから友達連れの女の子たちが何グループか私たちの間を駆け抜ける。自然と、私たちは話を中断してただ見つめあう。
リリコとは一年のはじめから仲が良かった。高校に入って、急に大人びてしまった周りと比べてリリコがあまり垢ぬけていなかったのが良かったのかもしれない。休み時間ごとに言葉を交わし、昼休みは机を寄せ合ってお弁当を食べる。ごくありきたりな友達関係を持って、私たちはクラスの隅で居場所を作っていた。
二年に上がるクラス変えの時、私は在籍していた選抜クラスから落ちた。報告すると、仕事帰りの疲れたママはこちらを見もせずに「そう」と言っただけだった。ママが話すとき私を見ないのは、パパに似てきたからかもしれない。とにかく、クラス落ちに関しては特に不満もショックもなかったし、どちらかというと知らない人間ばかりに囲まれて新しいスタートを切れることが楽しみだった。現実は、ほとんどが去年のクラスの持ち上がりで同じ顔ぶれの集まっていた新しいクラスにうまく入れず、選抜クラスに残ったリリコのところに通って休み時間を過ごす毎日だったけど。最初の授業から豪快に騒ぎ立てる新しいクラスメイトたちの姿は、私にとって言葉の通じない怪物のように見えた。
新しいクラスには茅ヶ崎清美がいた。茅ヶ崎清美もまた、去年は選抜クラスにいた私の仲間だったけど、私は一度も話したことがない。休み時間、厚い瞼をさらに伏し目がちにして、茅ヶ崎清美はいつも机を睨んでいた。生徒から愛称で呼ばれている人の好い担任でさえ、茅ヶ崎清美にどう声をかけるべきか悩んでいたみたいだった。リリコがそばにいなければ、私もたぶんそうなるのだろう。
体育の後、制汗スプレーでいっぱいになる教室がいやで外に出た。休み時間に私を訪ねてきたリリコは、ドリンクを選ぶ私の傍でしばらく立ち止まったあとおもむろにそう言ったのだ。私、生理のときだけキヨがものすごくほしくなるの。
予鈴は少し前に鳴っていた。人気のなくなった自販機の前で、私とリリコの不思議な沈黙はつづく。
「好きなの?」
自分のことなのに、まるで他人事のように尋ねたのは私が動じていたせいだ。
リリコはうーん、と悩ましげな声を上げ、首を傾ける。校則でいつもきつくひとつにしばっている髪をほどいて、また結び直す。耳の後ろから零れた横髪がリリコの表情を隠している。
「生理のときって、どうでもいいことで悲しくなったり、イライラしたり、するじゃない? それってホルモンがそうさせているんであって、あたしの気持ちとは無関係なの。あってないようなものじゃない?」
同意を求めるように尋ねられて、私の困惑はさらに増した。遅生まれの私はとうに十七だったが、初経を迎えていなかった。
あってないようなもの。そう言いながら、それからのリリコは私に対して遠慮がちになった。帰り道、イヤホンを手渡すにもどこかすまなそうな、照れたような笑みで「聴く?」といって差し出した。私が片耳にイヤホンを収めたのを見届けて、リリコが聴かせたい曲を選ぶ。流れ出した軽快なメロディと醜いライオンのストーリー。いつまでもそろわない歩幅。雨と風の吹き込むホームで、話題を選んでいるらしいリリコの思いつめた眼差しを眺める。
結局その日は特に言葉を交わさないまま、私は家の最寄りの駅に降りた。ショッピングモールがあるこの駅でリリコもたまに降りるけど、今日は降りずに帰って行った。
指定の革靴は水をたっぷりと含んでいて重ったるい。よれたスカートのひだを払いながら、ふと顔を上げると見覚えのある後姿があった。階段を駆け上り、回り込むようにして顔を覗く。一瞬驚いたように目を見開き、次に「ばれたか」と笑うその男は笠原だった。笠原は中学で唯一私が気安く口をきけた男で、恋愛とは全く関係のないところで気に入っていた。久しぶりに会った笠原は相変わらずの野暮ったさで、あごの髭すらもところどころ剃り残しているひどい有様だったが、背がぐっと伸びていてそれだけでなんだか頼もしくなったように見えた。本当はひどいくせのある髪の毛も、短く切っているのがよく似合った。一重の目をうんと優しく細めて久しぶりーと語尾を伸ばす。
「卒業以来だね」
そう言われて、私はふと違和感を覚えたが、そうだね、と曖昧に答えて、私たちは並んで改札を抜ける。同じ出口に向かって、私が手首にかけた傘を開くと、笠原は傘を持っていなかった。入れていくか置いて行くか迷ったけど、それを悟られないうちに私は傘を閉じてその場に留まった。雨は、まだ弱くない。
学校のことを適当に話題に出しながら、私は頭の中で笠原といた中学時代のことを思い出す。笠原といると、いつもこうだった。自分から話題を出すことが苦手な笠原に、私から色々と水を向けながら、頭ではずっと違うことを考えていた。違うこと。かつてのそれは周りの視線に対する恐怖だった。
私と笠原が付き合っている。たぶんよくある話であろう周りの勝手な憶測は、私にとって冷やかし以上の意味を含んでいた。それは、私と笠原があまりにもマイナスな方向に釣り合っていたからだ。私は、どうしようもないコンプレックスとそれを受け入れきれないプライドを併せ持っていた。自分に自信を持てないくせに、あまりにも垢ぬけない笠原と同列に並べられることが嫌だった。自分に好意を寄せているかもしれない男といるのは気分が良かったけど、日に日に興奮は冷めてゆき私は笠原から離れていった。それは卒業よりもずっと前のことだった。
「笠原、私に気づいてたんでしょう? 声かけてくれたら良かったのに」
目を心持ち大きく開いて、記憶よりもずっと遠くなった笠原の顔を見上げる。口の中で言葉を転がすように、へんな笑い方をした後笠原は視線をそらした。
「美人がお前のそばにいたから、話しかけづらくって」
笠原の慣れない冗談は、私の胸の奥のほうにまともに入って行った。私はなんでもないように笑い、ごく自然な仕草で傘を開くともう殆ど雨の降っていない外に向かって歩き出した。足は次第に歩幅を広げ、傘の柄を握る手は細かく震えた。
リリコの顔を頭に思い浮かべる。たしかに美人かもしれない。よく見ると鼻は細くしっかりとした鼻筋が通っているし、目は小さめだけれどまぶたが薄くて、奥二重の線がきれい。おまけに色が白くて、まつ毛がくっきりとした濃さで目尻のはしまで縁取っている。こんなにも細かく顔が思い浮かべられるのは、私がいつも心のどこかで自分とリリコを比べていたからだろう。そしてこれまで平気でいられたのは――
作品名:雨に咆哮(桐島) 作家名:早稲田文芸会