時の部屋
全身から血の気が引いた。すぅ、と生気が抜けていく音さえ聞いたような気がした。考えてみれば今までが不自然だったのだ。四年前にこの部屋の住人が引っ越して以来、この部屋はずっと空き部屋のままだった。いい加減誰か入居希望者が出てもおかしくはない。あるいは、私がこの鍵を拾った時には既に、この部屋を誰かに貸す予定は立てられていたのかもしれない。だとすればあの部屋にいられたのは、錠前が取り換えられるまでの猶予期間ということになる。
最初から、私たちに与えられた時間はほんのわずかだったのだ。
時はただ、過ぎ去ってゆく。
私だけを置いて、何もかも変わっていく。
私はしばらく、そこに立ち尽くしていた。何人かの住人が後ろを通り過ぎていくような気配もあったが、足音が絶えなかったところをみると大方、私に不審そうな目を向けながらもそそくさと自分の部屋に戻っていったのだろう。そんなの知ったことではなかった。
そうして、どれほど三〇一号室の前に立っていたかわからない。ほんの数分だったような気もするし、何時間も経っていたような気もする。両親がまだ帰ってきていないところを見ると、少なくともまだ九時にはなっていないらしい。
口笛が聞こえた。
やがて、かん、かん、と階段を踏み鳴らす音がそれに重なる。エレベーターを使わずに階段で上ってくる人がいるらしい。最初は気にも留めていなかったが、やがてこのマンションにおいて、移動にエレベーターを使わずやたらと口笛を吹くような人物は一人しかいないことを思い出した。
「おや、何してるんですかー?」
中年男性の太い声が後ろから飛んでくる。
振り返ると、そこにはこのマンションの管理人さんが立っていた。
「あ、こんばんは。えっと、これはですね、その、なんというか、はい」
私は慌ててとりつくろい、言い訳をしようとして――なんだか急にめんどくさくなって、やめた。
ぽつりと、ドアにささやくように、
「この部屋の鍵、変えちゃったんですね」
管理人さんは私の態度が急変したのに一瞬面食らった様子だったが、直後には「あー」と言葉を探すように声を伸ばしながら、寂しい頭をぽりぽりかいた。
「実は俺、ここの鍵無くしちゃってさ。本当は入居希望の方に渡す予定だったんだけど、しょうがないから新しく作ったんだ。まったく間抜けな話だよな、ははははは」