時の部屋
夕焼けの赤。燃える空の色。いま、世界は夕彩に没している。梅雨が明けてから、日はどんどん長くなっていった。確かこの部屋に初めて入ったときに窓から見た空は、深い藍色をしていたはずだ。
季節は移ろってゆく。
時はただ、過ぎ去ってゆく。
「私は、私はね、アケミ」
アケミはまっすぐに私を見すえていた。
言ってやる。
夢見る少女に、現実を教えてやる。そう思った。
「もう将来云々言ってられないの。就職を考えなきゃいけない時期にいるの。間近に迫ってる。自分の力だけで生きていかなきゃいけない。お母さんもお父さんもいつか死ぬわ。誰も頼れない。自分しかいない。そういうとき、そういうときでもまだ売れない役者をやっていたとして、それが何になるの? 野垂れ死ぬ覚悟は本当にある? 生活能力がないことに気づいて、きっと慌てて結婚相手を探す羽目になるわ。ねぇアケミ。演劇は趣味でも続けられる。せっかく、せっかく幸せになれそうなのに、人生を棒に振ってもいいの? 私はあなたみたいに、そんな風にはいかなった。そんな風に生きたくても、生きられなかった。ねぇ、ねぇ、明智明日香。ここまで順調にいってるんだから、なにもそんな、そんな――」
ようやく口の動きが、止まった。
アケミは今にも泣きそうな顔でこちらを見ている。
それは、あわれみの表情だった。
救いようもなく落ちぶれた哀れな人間を、静かに見つめる聖人のような、悲しく美しい、憐憫の色をたたえていた。
私は一体、何を失ったのだろう。
私は一体、何を失おうとしているのだろう。
立ち上がる。
夕焼けが、目に痛いほどだった。
どうしようもなくなって、私は部屋を飛び出した。でたらめに履いた靴がかかとに踏み潰されて悲鳴を上げる。力任せに開けたドアが派手な音を立てて閉まった。隣の隣、三〇三号室のドアに鍵を差し込んで、半ば力任せに開ける。
そのまま逃げ込むように自室に入って鏡を見たとき、私ははじめて、自分が泣いていることに気がついた。
◇
部屋の隅で膝を抱えて泣きはらすなんて、ありきたりすぎて自分が嫌になる。
目が熱い。
しゃくりあげる声が、違う誰かのそれのように聞こえる。
私は何のために泣いているのか。