食べたいもの
「柚はあの時が幸せだった……?」
聡さんの言葉に頷く。
「何も喋らず、飯を食べて、テレビを見るだけの生活が?」
「――いままで無かったことでしたから」
あの家に居た時では考えられなかった事ばかりの、幸せな生活。
「でも、もうおしまいです」
でも、柚はそれを壊すことを願うことにした。
「まさか、柚。最後の願いっていうのは、今までを無かったことにする、じゃないよな?」
ゆっくりと頷いた。
「……俺は嫌だ」
小さいけどはっきりとした、意志のこもった声。
「はっきり言って、俺はそれくらいじゃ幸せとは言わない。幸せってのはもっと笑いあうものだ。それくらいで自分の幸せを妥協するなんて俺は嫌だ」
柚はその時初めて振り返り、聡さんの眼を見た。さっきの眼とは違った熱さを持った眼。
雨が冷たい。だけど、つないだ手は、熱を持っていた。暖かかった。
「……だから、もっと自分の幸せへの願いを持てよ」
泣き崩れそうでも、強く意志を持って柚を見る眼。とても大きくて、優しい眼。
「柚は、聡さんから、もっと貰ってもいいんですか?」
自分の居場所に自分の命まで貰ったということ。これ以上の幸せを貰う怖さ。それから出た恩返しという『リセット』。
「俺が一緒でも怖いのか?」
――それをこの人は理解してくれた。
必死に首を振る。これが、今できる返事だった。
「よし」
聡さんが繋いだ手を引く。
「……え?」
その行動に動揺してしまう。柚は引かれるがまま、聡さんの後を付いていく。
「一緒に飯食うぞ。腕によりをかけて『作る』からな。出来たらこたつを囲んでバラエティ番組でピン芸人のしょうもないギャグを見て笑うぞ。いいな、笑えよ」
少し命令的な言葉、でも、優しげな口調。柚はコクコクと首を縦に振る。
「じゃ、『食べたいもの』あるか?」
◇聡/五‐一
「おう、早かったな」
玄関前では精霊が待ちかまえていた。
「おかげさまで」
俺は簡単に返事をすると柚と一緒にアパートの中に入った。
「……俺を完全に無視かよ」
「柚はお風呂を沸かすこと。俺はスーパーで買い物してくるから先に入れよ」
「分かった」
アパートに戻った俺たちはすぐさま計画を実行に移す。家であまり料理を作らない俺はとりあえずスーパーに買い物に行った。