小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」
亨利(ヘンリー)
亨利(ヘンリー)
novelistID. 60014
新規ユーザー登録
E-MAIL
PASSWORD
次回から自動でログイン

 

作品詳細に戻る

 

続・おしゃべりさんのひとり言/やっぱりひとり言が止めらない

INDEX|33ページ/85ページ|

次のページ前のページ
 

その109 ビワイチ



僕は昔、なぜか『ユネスコ(国連教育科学文化機関)』の名刺を持っていました。
それ、一度も使ったことないですけど、日本の協会のようなところから、突然感謝の手紙が送られて来て、「活用してください」と、かのユネスコのロゴの入った名刺の台紙が、100枚同封されてたんです。(個人の氏名や住所を印刷する部分は白紙でした)
ユネスコなんて全く意識したことない僕に、あまりに一方的すぎやしない?
当時すごく疑問でしたけど、きっと“あの時”の活動が評価されたんだろうな。

滋賀県の琵琶湖を一周すると、約200キロだそうだ。
近年、自転車で挑戦する人が増えているようで、それを『ビワイチ』と言います。
関西人にはお馴染みのワードだけど、日本全体じゃどのくらいの知名度かな?

僕も挑戦したことあるけど、途中でリタイヤしてしまいました。
小学校の頃に友達が「親と自転車で一周して来た」って話していたのを聞いて、
(あの琵琶湖を!? 自転車でそんなこと出来るの?)って衝撃を覚えました。
東西を横断できる琵琶湖大橋が架かってると言っても、さすがに日本最大の面積を誇るだけあって、ありゃ大きいですよ。
大津市側から見た南湖部分は小さいので、対岸が結構近くに見えます。でも琵琶湖大橋から向こうの北湖は、まるで海のよう。⦅個別投稿ページの扉絵上部の写真参照⦆
(僕もいつか一周やりたい)って考えてたのを思い出して、挑戦したのが50歳を過ぎてから。
無謀でした。でもやっておきたかったので仕方ない。

まだ薄暗い時間に、琵琶湖大橋近くの駐車場で自転車を下ろし、北湖一周からスタートしました。
1時間おきぐらいに風光明媚な場所を見付けては休憩しながらも、途中、サドルでお尻が痛くなってしまってからは、立ちこぎしかできない状態で頑張り続けました。
約14時間ぐらいで北湖一周したものの、南湖一周を残し日もどっぷり暮れたので、心も折れて諦めてしまいました。
これくらいは誰でもできるって気がしていたのか、体力に自信があったからなのか、あまりよく考えず準備も適当に、自宅にあったクロスバイクで気軽に出かけてしまったのは甘い考えでした。
それでもなんとか160キロは走破しました。
でもその日以降、どうしても心残りで、翌年もわざわざ自転車を車に載せて、琵琶湖大橋まで出向き、残りの南湖一周に挑みましたが、それはたった3時間ほどで成し遂げられました。
次は淡路島一周の『アワイチ』に挑戦したいです。

処女作『聞く子の約束』に少し書きましたが、僕は大学の時に『100キロマラソン』に挑戦したこともあります。
それは長距離ランの練習などしていない学生が、いきなり100キロ走る無謀な挑戦でした。
大学祭のイベントで、友達が数人出ると言っていたので、ノリでエントリーしてしまいました。
当日は、100キロ離れたとある駅まで電車で移動して、そこから交通ルールを守りながら安全に、個々のペースで大学目指して走ります。
ところがそのスタートラインに立ったのは、皆体育会系の選手ばかりで、僕の友達は誰一人来ませんでした。
結構注目されるイベントだったので、(こうなったら僕は、女子にカッコつけてやろう)みたいな気持ちで走ることにしました。
そして頑張って、42.195キロのフルマラソン距離のタイムは、なんとか5時間を切りました。
それから足の激痛が続き、一晩中歩いて、ほぼ丸一昼夜、約23時間でゴール。
24時間テレビみたいに放送時間に間に合わせた訳じゃないけど、素人がムリに挑戦したガチのタイムがこれです。
僕は「無事ゴールしました」とは到底言えないくらい、どう見ても満身創痍、『無事ではないゴール』でしたね。
だって、夜中にリタイヤしたくて手を上げても、コース上に係員なんか誰もいないんですよ。
真っ暗の中、独りぼっちですから。
数キロずつに置かれたチェックポイントにだけ2~3人がいるのですが、2~300メートル手前で女子が一人待ち構えていて、暫く一緒に並走してくれるんです。
その時「やめたい」って言いたいけど、「頑張ってください!」「残り25キロです」「タイムリミットの24時間に間に合います!」「20人くらいが完走の可能性があります!」とか下から見上げるように言われると、「リタイヤ!」って言えなかったんです。
この経験は、自分の体力の限界を知るいい機会でした。
ゴールした時に誓ったこと、
『この後の人生でどんな困難に遭遇しても、この100キロを思い出して避けて通ろう!』