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端数報告7

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それでも町は廻ってるので


 
画像:それ町商店街 アフェリエイト:それでも町は廻っている
 
てわけでコロナの書き直し2回目。当時におれが住んでいたのは東京都大田区の上の画のような所だったがあの図書館の閉鎖の日の後、数日のうちにすべての店のレジが透明なシートに囲まれ、どっかの議員が、
 
「商店街の皆さん。あなたがたが〈禍〉を生き延びる望みは完全にないでしょう。マスクも衝立(ついたて)も手袋も、消毒液も気休めですから。コロナによる死はどんな死よりも恐ろしい、苦しみに満ちたものと言います。それは体を紙やすりで削られるような死だと言います! それなのに、それを承知で皆さんは仕事を続けていてくださる。市政を預かる者として、ワタシは皆さんの勇気に対し、感謝の言葉もありません。必ず死ぬと知りながら仕事を続けてくださるなんて。必ず死ぬと知りながら仕事を続けてくださるなんてええっ」
 
だとか流していくことになる。おれは「うわー」と眺めて見ながら、こりゃ思ったより事は深刻みたいだな、と考えるしかないことになった。
 
そうは言っても事のすべてが、
 
画像:ドラえもん自転車のチューブ アフェリエイト:ドラえもんむかし話編
 
これとまったく同じものだという認識は揺るがずに、《デマが信じられてる度合いが深刻》という意味で考えているわけだが。
 
この時点では町の人らもみんなコロナなど信じていない。「やれ」と言われてしょうがなく言われたことをやってるだけだ。顔を見ればそれがわかるし、でなきゃ八百屋だの床屋だのが仕事を続けてられるわけない。頭の腐ったエリートと違って地に足が着いたマトモな人は、こんなデマに本当に踊ることはないんだろう。
 
なんて考えていたところに志村けんが死に、スーパーの店頭から米が消える。おれは「えーっ?」とまた思ったが、それも一日だけのことだ。たまたまちょうど切らした米をおれは翌日に買って食べつつ、まあ無理もないかと思った。
 
志村の死はおれにとってもタライが頭にガーンと落ちてきたような衝撃だったし、誰にとってもそうだったろう。だが一日で米が戻ったということは、その程度の衝撃なわけだ。おれは「デマだ」との考えを変えず、テレビのニュースもろくに見ないままだったが、けどその頃に珍しくニュースを眺めてその後何度もこのブログに書くことになるものを画面に見ることになる。
 
おれ自身はそれがいつかを[志村けんが死んだ前後]としか憶えていなかったが、後で新聞の縮刷版を図書館に行って調べてみるに、
 
画像:コロナ新聞記事20年4月2日
 
どうやらこの日のこととおぼしい。4月2日。3月末日(まつび)に東京の感染確認が78人だったのが翌日66となった後だが、この時おれは帝銀ブログ第一期目の投稿を終えたところだったので、「サテこれからどうしよう」と思いながら普段は見ないニュースを見る気になったのかもしれない。結局、そんな時いつも考えるように、
 
「けっ、やっぱりニュースなんて全部嘘だ。くだらねえ」
 
と考えるだけの結果になっていたように思うが、しかしとにかく画面の中に、
 
「東京の感染者はおとといに7×人、きのうは6×人でした。この結果は減ったように見えてしまうかもしれませんが、しかしおとといは1×××人を検査してその数字となったもので、割合では6%だったんです。きのうは9××人を検査して6×なので7%――わかりますか、一日で1%増えてるんです! 10%になった時に〈波〉が来るのですが、それまで3%しかない。このまま行けば今日に8パー。明日9パー。そしてあさってに〈波〉が来てしまう。その時に、もう人類はおしまいなのです!」
 
と言うやつがいた。これをスタジオの全員が信じた顔で聞いてたんだが、しかしおれは、
 
 
 
   「10%でハが来るだと? 勝手に変な法則を作るな」
 
 
 
と考えただけだった。そしてまた、
 
 
 
   「おとといに一千何人できのうは九百何人と言ったな。
    東京で日に千人前後を検査して割合を出しているのか。ふうん」
 
 
 
とも思い、それは重要な情報として憶えておくことにする。おれの頭はそのように働くように出来ており、この日はただそれで終わるが、しかしその翌日から「ますますおかしい」と考えるようになるのだった。
 
この後にすぐ[東京の感染者数]は100を超え、120、150、そして200と増えていくことになる。〈専門家〉とされる学者はそのたび【これが三日後くらいに〈波〉が来て世界が終わる数字だ】というような話をし、どの数字になろうともそれが変わらんわけだがしかし、割合ではどうなってるんだ? それは〈感染者数〉じゃなく[検査を受けて感染が確認された数]に過ぎず、そんなのいくら聞いてもダメで、あの日のように割合で言わんと増えているか減っているかもちゃんとわからんはずじゃないのか。
 
そんな疑問を感じて募(つの)らすようになるのだ。あの翌日の確認数を聞いたところで、「今日も千人前後なのか?」という疑いをすぐに持つ。「いや、千二百人くらい検査してるんじゃねえのか」と。
 
その翌日の数を聞いても「これは千五百人くらい検査してんじゃねえのかあ?」と。増えているのは感染者でなく、検査している数でないのか。7%のまま実は変わっていないのに、二千検査して、
「今日は140人。感染拡大!」
三千検査して、
「今日は210人。感染爆発!」
と言う。これはそれをやってんじゃねえのか。
 
という気がどうにもしてならなかった。[感染の新規確認数]なんてのをいくら聞いても状況はわからん。割合で言わなきゃ状況はわからん。
 
おれの頭はそうおれに言う。〈日に千人前後〉を変えずに、
「今日は150人でした。割合では15%。東京都全体で190万人が感染している計算になります」
「今日は200人でした。割合では20%。東京都全体で260万人が感染している計算になります」
こんなふうに言わなきゃ状況はわからんと。そしてこう言わないってことは、イカサマをやっているってことだと。
 
志村けんがまだ死ぬ前の頃までは、学者の中に、
「確かに死者も多く出てるが真に〈禍〉と呼ぶほどでないし、感染の拡大で〈波〉が来るなんていうのはデマだ」
と言ってる者もいる、なんて話もチラホラ聞こえていたりした。おれにはそれがマトモな病理学者であってこれがすぐに勝つだろう、としか思えない考えだった。
 
志村の死がこれを封殺させてしまい、エセ学者の疑似科学が世を恐怖で支配するのを止められぬようになったんじゃないか、と思えてならなかったが、【あと三日で世界が終わる】というようなことをテレビで百人の学者が言うと、三日で世界が終わってくれなきゃ困ることになっていくのだ。
 
「三日で終わる、三日で終わる」と学者が毎日言うのに10日経っても20日経ってもまだ世界が終わらないと、「いつになったら終わるのだ」ということにだんだんなっていく。コロナは実数や割合でなく、東京で日に確認される新規の数字で〈波〉を起こす時を決めるということにいつの間にかなっちゃったので、《検査する数を増やせば人為的に〈波〉を起こせる》という論理が必然に導き出される。
作品名:端数報告7 作家名:島田信之