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端数報告7

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黒死病とスペイン風邪はもうなかったことにしよう


 
前回書いた長谷川博己と市川実日子の〈計画〉は何もおかしな話ではない。ナントカ大学の監獄実験が示すように、人は簡単に悪魔になる。〈デスノート〉も『ドラえもん』の〈どくさいスイッチ〉と同じもので、夜神ライトが狂気に憑かれた人間となるのも理の当然のことと言える。〈監獄実験の看守役〉にまわれた者は社会を恐怖で支配して、〈囚人役〉を意のままにできる状況を楽しみ始める。
 
歴史上の独裁者とその独裁に与した者らは、みなそのようにして暴虐を為した。行き着く先もみな同じで、オウムの麻原彰晃のようにハルマゲドンで人類がほぼ絶滅し、自分にヒレ伏す者だけ残る未来を夢想するようになる。
 
コロナによって世界で百万の腐れエリートが《我こそ〈どくさいスイッチ〉を持つ者》と信じ、オウム信者と変わらん者らがその独裁にすがるようになった。歴史はこれと同じことを1万回も繰り返してきたのであり、今度のそれも愚行の歴史の1万1回目に過ぎない。
 
人の愚かさに限度はないし、勉強ができる者ほどその愚かさのレベルが上がる。2021年1月7日の〈2447〉の数字に対し、その日にテレビで話した学者はみんな、
 
「2447! これです。今日にこの数字が出るのを、1年前にコロナが発生した時からワタシは予想してました。これが三日後に本当の〈禍〉が始まる数字なのです!」
 
と言ったものだった。ニューススタジオはこれに対して、
 
「〈70〉とか〈140〉とか〈210〉とかの日にも必ずあなたらがそう言ってきたのはなんなんですか」
 
ということは決して訊かずに「では、あしたにこの数字はどういうことになるでしょう」というような質問をしていた。例によっておれが隣のばあさんが見ているテレビの音声だけを壁越しに聞き、「なんと言うかな」と思っていると、〈専門家〉の先生達は口を揃えたかのように、
 
「東京の明日の感染者ですか。おそらく四千というところでは……」
 
なんて答える。「ふうん」と思う。1600が一日で2447になっちまったら、普通はそう考えるだろな。
 
けれどもおれは、「それはねえな」と考えていた。あしたも今日と同じくらいか、それとも少し減るんじゃねえか。
 
なんて思ってた。「今日の〈2447〉てのは、無理に出したに決まってる。本当は拡大どころか減ってるだろう。今は5パーになってるとしても、東京で5万人を検査すれば二千五百前後の数字を[これだけ確認できました]と言って出してやれるのだ。今日は東京のあちこちで繁華街の道を塞いで[緊急事態宣言に基づく検査だ]とでも言い、そこにいた市民全部の鼻の穴に綿棒突っ込みでもしたんじゃねえのか。それをやったら、そりゃあどんな数字だろうと出せるよな」
 
と。「で、あしたに1.5倍、7万5千を検査すれば四千近い数字を出して見せられるし、あさってにその1.5倍、しあさってにまた1.5倍とやれば六千、九千と出していくことはできるけれど、するか? まさか。それをやれば、市民の方でおかしいとさすがに気づくんじゃあねえか。それに管や小池だって、さすがに気づくんじゃあねえか。これまでは目立たぬように検査する数を増やしてたんだが、大っぴらにやればバレる。それが長谷川博己のやつにわからないはずもない……」
 
と。「だから〈2447〉は、作って見せることのできる上限の線に違いあるまい。実は減ってる。自然消滅に向かっているのだとしたら、2300、2200と数字は下落していくのでは?」
 
なんてふうに考えたのだ。てわけでとにかく明日のニュースが見ものだとおれは思ったのだが、だからやっとここから前回の続きです。翌8日にテレビのニュースは、
 
「今日は東京で1500」
 
とかの数字を言って、聞いておれは笑ったがしかし画面の中の者らはみんな戸惑いの顔をしていた。
 
まるで「巨大な怪獣が出た」という現場に取材陣が駆けつけてみるとそこには何もなく、代わりに生物の一部らしき指先ほどの小さく細長いものがピクピク動いていた、とでも聞かされたようだ。おれにはそれが捨てられたトカゲのしっぽだとわかるんだけど、スタジオの人間達には見当もつかぬようすで〈専門家〉に、
 
「先生、これはなんなのでしょう」
 
と尋ねる。先生はこれに応えて、
 
「そ、そ、それはですね、ゴニョゴニョゴニョゴニョ……」
 
「ううむ。この怪獣はいったん2500トンの大きさにまでなった後、前日の体重に戻って消えるのですか。その時に、このようなものを後に残す……」
 
「はい。ワタシはこれもまた、前から予想しておりました」
 
「なるほど。消えた怪獣は、この後どうなるのでしょう」
 
「それはですね、えっとえっと、いったん退いただけですので、明日にもまた大きくなって戻ってくることが考えられます。しかしこのまま小さくなり続けることも考えられます」
 
「このまま小さくなることも考えられるのですか」
 
「あ。小さくなったとしても、また大きくなるということも考えられます」
 
「きのう以上になるということも考えられますか」
 
「はい。三千、四千トンになるということも考えられます」
 
こういうことをマジメな顔で話されると、どんな漫才よりもおかしくただヒイヒイと腹を抱えて笑うしかない。そして見ながら「なるほど」と思わないこともないのだった。[長谷川博己と市川実日子の計画]は、おれがきのうに思ったほどには単純なものじゃないわけか。
 
だろうな、とも思う。だから昭和の戦争指導者と同じで霞が関のトップにしてもひとりひとりがバラバラで、長谷川博己まんまなやつがいる一方で、あの映画の別のキャラまんまなやつも多くいるに違いない。あの映画はそこだけちょっとよく出来てないこともない。おれも当時に別の考えを並行してブログに書いてて、
 
画像:寒くても換気を
 
テレビの画面を撮ったこんな画を文に挟んで、
 
「8月のあれがクーラー病なのを厚労省は気づいたんだろ。コロナはただの風邪とわかり、〈禍〉ではないし〈波〉なんて来ないというのがわかった。けれども今更そうは言えないので、国民全部に冬に窓開けて生活をさせ、風邪を引いて肺炎になって死ぬ者が大勢出るのを期待してるんだ。《百万が死ねば日本ではスペイン風邪の4倍の死者が出たものとなって格好がつく》という企みでいる……まあ8月のあれより多くは死ぬだろうけど、しかしうまくいってたまるか」
 
と、こんなことも書いて出してた。だから年末の予告宣言も窓を開けさすための策略、などと同時に書いてたんだが、やっぱりこっちの方かもしれんな。
 
などということも考えていた。WHOも最初のうちは、
【黒死病やスペイン風邪を超える史上最大の災厄だから必ず何億人もの死者が】
と言っていたものが、1年かけて全世界の死者が二百万となったところで、
【当初の予想をはるかに超える死者が出ている】
と言うようになってる。おれは「話が違うだろうが」と聞いて思うがマスコミはそうは言わずに、
 
「WHOの長官がそうコメントを出しました!」
 
作品名:端数報告7 作家名:島田信之