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空墓所から

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13.つながらなる



 彼は文章の書き方が分からなくなっていた。

 どうやって書いていいのかさっぱり分からないのだ。書く内容に関しては、まあ、書くことがあれば、書きたいことがあれば、それを書けばいい。しかし、「どう」書くかについては本当に何をどうしたらいいのか、てんで分からなくなってしまっていた。

 今になって思えば、彼は文章の書き方を誰かに教わった記憶はない。小説やエッセイの書き方教室などに通ったことはないし、小学生の頃に明確な形で教えてもらった記憶などもない。気付いたら、いつとも知れずに作文や読書感想文などを書き出していた。すなわち、先生と呼ばれるような人のお世話にはならず、完全に独自のやり方で今まで文字を紡ぎ出してきていたわけだ。

 いや、しかしそれはちょっと違うのではないだろうか。彼は再び考える。
 例え文章の書き方を明確な形で教えてもらってなくとも、俺は他人の文章を山ほど読んできているではないか。知人や友人たちがしたためてくれた手紙、夏休みの日記に先生が書いてくれたコメント、「廊下を走らない」といった旨の注意書き、課題図書で読んだ文豪の名文。これらに触れて少年期を送ってきたはずじゃないか。それだけじゃない。大人になったって、某ネットの掲示板に書かれている思わずくすっとしてしまうコピペ、役所から送られてくる税の取り立て証明書などのお硬い文章。上司や同僚、取引先からのメール。それこそ枚挙に暇がないほど文章に触れているはず。それらをいろいろ見てきているのに今更、書き方が分からないなどと言い出すのはどういう了見だ。そんな訳あるはずがないだろう。彼はそう思うのだが、やはり筆は一向に進まない。

 彼は何かの参考になるかと思い、過去に書いた文章を引っ張り出してあれこれと見直してみる。これらはどうやら自分が書いたらしい。それは分かるのだが、どうやって自分が書いたのか、なぜそのように自分が書いたのか、そこら辺が全く思い出せない。自分で書いた覚えはあるのに、自分の文章ではないような気すらしてきてしまう。
 いや。彼は首を横に振る。気を確かに持て。これは俺の書いた文章だ。そう言い聞かせて、再び文章に目を通す。確かに全体で見ればいかにも自分が書いた文章だ。常々思っていた自分の意見が赤裸々につづられているし、こんなくだらないことを延々と考えているやつは世間にそういない。明らかに自分の文章だ。
 どんなときに書いたのかも思い出せてきた。そう。あの雨の激しかった夜が明けての早朝。路面がぬれている中、自販機に缶コーヒーを買いに行く最中にふと思いついて会社に行く前に一気に書き上げた文章だ。
 彼はその文章をむさぼるように読み返す。なんで当時はこれが書けたのか、なぜ今は書けないのか、それを理解するためにひたすら文章を読み直す。そうしているうちに、次第にあることが分かってきた。

 文章は当然、最低でも一文から構成されている。だが、一文のみで構成されていることは恐らくまれだ。実際にこの文章も段落が既に十個目に突入しているし、ここまでで四十ちょっとの文章が連なっているように。

 この文章と文章の境目。そのつながり。どうやらそれが、今の彼には分からなくなってきているのだ。

 だってそうだろう。この作品の一文目は「彼は文章の書き方が分からなくなっていた。」だ。そのあとに段落を変えて「どうやって書いていいのかさっぱりわからないのだ。」と続ける理由は全くない。少し先に書かれた、文章の書き方を教わったことがないことをここに記してもいいはずだし、さらにその先の過去に書いた自分の文章についてここで言及したっていい。
 それどころか、昨日ファミレスで偶然起きたできごとを書き始めたって構わないだろうし、大昔、上司に理不尽なことで怒られたことを読者に報告したっていい。実家に住んでいた頃、部屋の掃除をサボって母と数時間口論になったことを書いてから、文章の書き方のほうにシフトしたって別に構わないわけだ。
 さらにいろいろなことを投げ捨ててしまえば、私がどれだけとある二次元の女性キャラに入れ込んでいるかという思いの丈を書きなぐり、そのあとで今ハマっているカレーの食べ方について触れてから、その女性キャラがいわゆる薄い本でどんなにすごい痴態をさらしているかを語り、先日あった近隣住民とのトラブルについての愚痴を記したあと、その痴態を見て私が日夜どういった行為にふけっているかを詳細に描写したついでに、しれっとここで三人称から一人称に人称を変更してしまうとか、そんなことをしたって別に死刑になるわけでも、怒られるわけでもない。許されてしまうのだ。まあ、失うものはいろいろあるかもしれないが。

 そう。文と文との間のつながりは完全に自由なのだ。次にどんな文章が来ても良い。

 だが、次にどんな文章が来ても良いということは、夕食時、子どもに献立を聞いて「何でもいい」と返されたお母さん並みにどうすればいいか困る。しかも、その「何でもいい」を積み立てて一つの作品を構成しなければならない。今、まさにそんな状況に追い込まれているのだ。

 私はため息をつきながら過去の作品を閉じる。表示されるはその下に開かれていた、文字の全く書かれていない真っ白なテキストファイル。そして、それを見つめながら、

「つながりがあってもなくても許される。これじゃ「つながる」でも「つながらない」でもなく、「つながらなる」だな」

と、自嘲的につぶやき、今日はもう書けないやとばかりにゲームを起動した。


作品名:空墓所から 作家名:六色塔