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空墓所から

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14.とある教皇の歪んだ論理



 そのとき、ローマ教皇位は突風にさらされる枝葉のように揺れに揺れていた。

 先年、大きな力を持っていた教皇が亡くなり、今の教皇位には誰も着いていない。しかし、大きな力を持った対立している教皇が存命であり、神聖ローマ皇帝とともにその座を脅かしているという非常に危険な状態なのだ。
 このような危うい状況。圧倒的な力を持たねば、当時のローマ皇帝も枢機卿も教会もローマの人々もついてこない。数々いる教皇候補者の中でも特に抜きん出た力を持たねば、教皇の権威もやがて地に堕ちてしまうのだ。そのような危機感と大きな混乱の中、ある一人の男が立ち上がった。

 その男はとある二つの川が合わさる街の生まれで、あらゆる学識に熟達しており、寡黙で我慢強く謙虚で実直な一面を持ち合わせていた。最初は誰も気に掛けてはいなかったものの、次第に彼の才能に一目置くものがちらほらと出始める。やがて、それらは丸まりながら大きくなっていく雪だるまのように、住んでいる都市を挙げて彼を教皇に推し進めていこうという情勢になっていった。
 当の男本人も、皆が背中を押してくれることは一向にやぶさかではなかったようだ。彼は、いつか必ず自分は世に出て何かをなすべき男なのだ、とそう信じていた。そして、それに値する能力も十二分にこの身に備わっていると信じていたのである。それだけではない、彼は自分が人の上に立つ器であるということも固く信じて疑ってはいなかった。

 男のその自己評価は、ある意味で間違っていなかったのかもしれない。彼は教皇の候補者となると、瞬く間に民衆の人気を得ることに成功した。出身都市の民衆は必死に彼を後押しする。彼の協力者たちも、対立する陣営の切り崩しを図って勢力を広げようと模索する。少しずつ、少しずつ、一進一退を繰り返しながらも、オセロの目は着実に男の色へと変化していった。

 当時は、現在のようにコンクラーヴェという形で選挙は行われてはいなかった。今は投票者も厳密に管理され、その上で3分の2以上の投票を獲得したものが選ばれる形になっているようだ。だがこの当時は、教皇を補佐する枢機卿団たちの間で過半数の票を得られたものが次の教皇になるという方式だったらしい。

 だが、後の調査によると、この投票で男が勝つことができる可能性はほぼなかったと言われている。その理由はいくつかあるが、最も大きかったのは、そもそも権威と革新は水と油であったということが挙げられるだろう。要するに、何をやらかすか分からないぽっと出に、この世の最たる権威と言っても過言ではない教皇の座など任せられないということだったらしい。結局、民草や協力者の心を動かすことはできても、偉大なる枢機卿さまたちの歓心までは買うことができなかった、というわけだ。

 だが、男は諦めなかった。応援してくれた民衆のために、後ろ盾になってくれた協力者のために、そして何より自分のために勝利の方法を模索し続けた。その結果、とある手段を用いてこの決戦に勝利し教皇の座を手にするのである。

 最終投票の前夜、男は窓も扉も締め切った誰もいない部屋で床に奇妙な紋章を描く。傍らには、自らの身を犠牲にしても構わないという狂信的な協力者。果たして紋章は光を放ち、そこから禍々しい羽根の生えた異形の物体が現れた……。

 そう。あろうことか男は悪魔に魂を売り渡したのである。

 その翌日、悪魔は首尾よく仕事を成功させて、権威は男の手に収まった。だが、もうすでにその時点で歯車は狂い始めていた。

 教皇となり権威を手にした男はまずどうするべきか思索を始めた。この世界を素晴らしいものにするにはどうすればよいか。そのために、教皇として何ができるのか……。
 教皇は昼夜を分かたず執務室に一人で閉じこもり、深く深く思索の沼に溺れ続けた。もともと思慮深く、何ごとにも真剣に考え込む性質だった彼は、それこそ寝食すらも蚊帳の外で、当時の世界を取り巻く諸問題について熟考し続けたと伝えられている。

 だが、その途中で彼は気づいてしまった。自身が教皇の椅子に着座しているその理由を。どんなに考えを捻じ曲げても、悪魔の力がなければそこにはいられなかった。それだけは否定できなかった。

 そして68日目の朝。思惟の渦からどうにか現世に蘇った教皇は、ようやく執務室から出てきて、側近の枢機卿団といろいろな意見を交換した。その時の教皇はやや興奮気味で、自分のたどり着いた論説を早口で彼らに披露していたそうだ。その際、教皇は1冊の書を傍らに抱えていたという。

 その約70日間にわたる思索の結果、教皇は

「この宗教ではわれわれ人の子を救うことができない。悪魔に助けを請うべきだ」

という結論に達したらしい。そして、教皇はこの厳然たる事実を公にする事と、今後キリスト教を禁教とする旨の指示を、側近に行ったと言われている。

 報告を受けてうなずきながら側近たちは考える。教皇はきっと正気を失われたのに違いない。ここは素直に言うことを聞くふりをしつつ、次の教皇を選ぶ準備を始めたほうが良さそうだ、と。

 こうして男は数日後、突然の逝去という形で「表向き」は片付けられた。また、教皇がキリスト教を否定するというあまりのできごとのため、適当な理由をでっちあげた後、彼の教皇就任は闇の中へと葬られた。

 その後、当然のように新しい教皇が選出される。そしてその大きな権威は現在にまで至っている。

 しかし、なかったことにされた彼が執務室を出た時に持っていた、一人で延々と思考し続けた問題とその途中経過を克明に記し側近に伝えたとされる書物。その悪魔の論理ともいうべき内容は、いまだに図書館の片隅でいつか閲覧されるのを待っているといわれている。


作品名:空墓所から 作家名:六色塔