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錯視の盲点

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 自分が就職して三十代くらいまでに、そんな時代が到来していた。プロでなくても、自由に作曲ができて、それで発表できる場であった。
 ネットというものが普及してきて、社会現象を一変させたことで、文化も次第に変わってきた。底辺部分の敷居が軽くなってきたのである。
 そのため、うまいのか下手なのか分からない連中がたくさん蔓延ってきたのも事実で、そのせいもあってか、
「音楽性が低下してきた」
 と、業界全体で言われるような時代になっていった。
 恭介が音楽を趣味としてやる部分としては、ちょうどそれくらいがよかったのだ。
 インディーズと呼ばれる世界が広がっていき、作曲するための新たな電子楽器もどんどん開発されてきて、誰も自由にモノが作れる時代に入ってきた。
 それは、曲作りというだけではなく、絵画にしても文芸にしても作成ソフトが充実してきて、パソコンの普及とともに、活動が活発になってくる。
 マンガや小説などは同人誌などの発表の場が増えてきたり、ミューシャんもストリートミュージシャンなど、いかなるジャンルにも発表の場が提供されてきていた。ストリートミュージシャンなのは昔からいたが、当時ほどではないだろう。時代的にもバブルが崩壊し、仕事人間が仕事をするよりも、経費節減で、定時までになってしまった波及として、アフターファイブの過ごし方として、趣味に勤しむという生活方式に変わりつつあった時代でもある。
 そのため、言い方は悪いが、猫も杓子も、
「にわか〇〇家」
 などと言われ、○○の中には小説であったり、マンガなどというワードが入るのであろう。
 恭介はそんな時代に、音楽への趣味を貫いていった。
 彼はどうしてもクラシック系の音楽を作曲したくて、クラシックの曲をたくさん聴いた。そしてどうしてもオーケストラでなければできない音楽ではなく、一つのバンドくらいの規模でできる作品はないかと思い辿り着いたのが、
「プログレッシブロック」
 だった。
 プログレッシブロックとは、二十世紀の半ばくらいに一世を風靡した、ジャズやクラシックをロックと融合させた音楽で、その美を個々の音楽テクニックで補いというところがあり、当時のシングル中心のロックから実験的、革新的なロックとして、より進歩的なアルバムを作成するというロックを目指した。だからレコードの片面で一曲の組曲になっているようなものも多く、まさにクラシックの世界を思わせる。したがって芸術的なという意味でのアートロックと呼ばれることもあるくらいで、そんなロックは元々イギリスを中心とすた欧州で人気を博し、世界各地で、プログレバンドなるものが出現した。
 発祥地のイギリスをはじめとして、ドイツ、フランス、イタリアと欧州のロック界を魅了した。イタリアのように、中世ルネッサンスの流行った国でのプログレの流行は、再度のルネッサンスをプログレッシブロックから起こそうとするものだったのかも知れない。
 芸術的で幻想的な音楽を目指していたため、当時では最新テクノロジーと言われたシンセサイザーやメロトロンなどの楽器をフルにいかして、演奏者の技量をいかんなく発揮し、その音楽性を見せつけるバンドが主流だった。
 恭介はクラシック系のプログレバンドを中心に聞いた。発祥の地であるイギリスや、ルネッサンスゆかりのイタリアのバンドを聴いていると、やはり中世ヨーロッパの声が聞こえてきそうになり、クラシックの土壌が目に浮かんでくるようだった。
 まずは聞きこむことで音楽性を自分のものにしようとひたすら聞いたものだったが、それを自分のものにするまでにはなかなか至らない。
 まずはプログレッシブロックよりも先に、映画音楽などを理解する方が先ではないかと思うようになっていた。
 元来、映画など嵌って見る方ではなく、特に洋画ともなると、字幕を読むのに疲れるからか、なかなか見ようとは思わない。
 それでも、音楽の勉強だと思えな、そこまで苦にならなかった。映画館で見る映画、そして昔からの有名な映画はレンタルしてきて見るといった感じだが、ただ聞いているだけでは楽譜に起こすなど無理であった。
 作曲しようとは思っても、何とか楽譜を見ることができる程度で、音を聞いただけでその音階が分かるという絶対音感のようなものを持っていれば別だが、楽譜というものがなければ、分かるものではない。
 本屋で探してみたり、図書館で探してみたりした。有名な作品だったり、作曲家が有名な人だったりすると、本になっていることもある。それらを借りたり買ったりして幾種類かの教本にすることができた。
 そんな有名な映画であればm当然レンタルで借りるなど、それほど難しいことではない。楽譜をみながら音楽を聴いていると、その作曲家が何を考えながら作曲していたのかということも分かってくるような気がした。
 大学の友達に、映画が好きで好きで仕方のないやつがいた。彼に映画の内容を聞いたり、どんな映画の音楽が良かったのかなどを訪ね、まずは彼の助言にしたがって聞いてみることにした。
 確かに彼が進める作品は、それぞれのジャンルではレジェンド的な意味合いの作品が多く、SFであれば、壮大で果てしなさを感じさせるものであり、ホラーであれば、闇を永遠のトンネルの中で彷徨っているかのような音楽であり、さらに恋愛関係であれば、幻想的なお花畑の上を、無重力のように走り回っても、決して花が痛んだり傷ついたりすることのないそんな光景を思い羽化得られるような音楽が、奏でられていた。
「なあ、すごいだろう? これが映画館の巨大スクリーンに映し出され、サラウンド効果のかかったスピーカーから、幻想的であったり、恐怖のトンネルに入り込んでいたり、壮大な宇宙空間を果てしなく、前に進んでいる光景を思い浮かべながら、耳からはそれにふさわしい音楽が流れてくるんだぜ。映画を見て初めて。映画音楽の素晴らしさを感じるんじゃないか」
 と言っていた。
「そうだよな。俺も今まで映画なんかと思ってほとんど見てこなかったのが、もったいなかったと思っているよ」
 本当は映画などどうでもいいのだが、映像に似合った音楽をスクリーンとスピーカーから奏でられると思うと、本当に爽快な感じがする。
 それを自分が何もないところから新たに作り上げるのだと思うと、これ以上感無量なことはない。いずれ、
「これが映画音楽の醍醐味だ」
 という曲を作ってみたいと思うのだった。
 実際にはそんな音楽はなかなか作れるものではない。映画に関する雑誌に「キネマ情報」という雑誌があるが、そこで人気俳優の若手ホープの人が、
「私はこの映画に出演し、演技をしている時には感じなかった感動を、出来上がった作品に感じることができた。それは映像全編に彩を与える音楽の素晴らしさに魅せられたからだ」
 と答えていたが、実際に映画音楽を担当した人のインタビューでは、
「私は今まで一度として自分の作った作品に満足したことなどない。いつも自己嫌悪に襲われて、
「次こそは、もっとマシな作品を作れればいい」
 という程度にしか作品を見ていないのだと答えている。
作品名:錯視の盲点 作家名:森本晃次