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亨利(ヘンリー)
亨利(ヘンリー)
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ささやかな日々

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ささやかな日々



 僕は今、椅子に座っている。
(ここはどこだろ?)
夢でも見ているのだろうか、よくわからない。

 天井が高いロビーのような場所。コンクリートの床に人が歩く靴の音が静かに響いている。主婦と思しき数人の行き交う姿が見えるが、知っている顔はないようだ。
 目の前に机、いやテーブルと言った方がいいだろう。僕は二人掛けのそのテーブルに突いた肘を降ろし、後ろを振り向いてみた。
 どうやらここは簡素なカフェのようだ。ロビーに向いた席に座っていたので気付かなかったが、そのロビーの一角に店のカウンターがあり、そこに注文待ちの列が出来ていた。その中に妻の姿を見付けて安堵した。

 暫くすると妻がトレーに、湯気の上がったコーヒー、紅茶の入ったポットと空のティーカップを載せてテーブルに近付いて来た。コーヒーは僕のだろう。テーブルに置いたトレーからコーヒーカップを掴もうとすると、
「違うよ。紅茶やん」
(・・・・・・? 紅茶を頼んでたのか)
僕はコーヒー好きなのに、どうして紅茶にしたんだろう。その経緯が解からない。
「いつもコーヒーなのに、ここの紅茶は特別だって、そうしたかったんやろ?」
「特別?」
「そうよ。ムレスナティーやもん」
(ムレスナティー? 知ってる気がするけど、よく思い出せないな)
「一応私がコーヒーを頼んどいたから、飲みたくなったら飲んでもいいよ」
僕はもう一度、首をねじるように回してカウンターの方に視線を向けた。その向こうの壁にカラフルな小箱が数十種類もディスプレイしてある。
(そうか、あれがムレスナティーだった。美味しいフレーバーティーの箱だ)
どこでその紅茶に巡り会ったのかよく思い出せない。と言うより、考える気力があまり湧かないのだ。
「もう十分出たかな」
 妻がポットからカップに注いでくれた。やや赤みがかった薄い色をしているのに、凄く香りがいい。
「これは『京都四条の香り』って言う名前のお茶なんやて。バラとジャスミンの香りがするわ」
僕は一口、それを口に含んでじっくり味わってみた。
「ああ、この味。いいなぁ。これ好きや」
「いつもそう言ってるわよ。ジャスミンティーも京都も、どっちも好きやろ」
(・・・・・・)
僕は何も答えず、ただ微笑んだ。ジャスミン、京都、どっちもそれほど好きだった気はしなかったから。そして、もう一口、至福の時を味わうために目を瞑った。


 体が揺られるのを感じる。目を瞑ったまま、その理由を考えた。周囲から聞こえる音は、
(ヘビーメタル。少し音が小さいな)
僕は目を開けてみた。するとそこは車の助手席だった。運転しているのは妻だ。路面を踏みしめるタイヤの音が、音楽の向こうから微かに聞こえる。ということは、かなりの音量でカーステレオは鳴っているはずだ。
「耳がよく聞こえない」
「あら、起きたん?」
「どれくらい寝てた?」
「20分くらいかな。頂上から大分下りて来たから、気圧の関係で耳が詰まってるんとちゃう?」
「ああ、そうか」
僕は唾を力強く飲み込んでみた。そのとたん、鼓膜の詰まりが抜けて、大音響がその耳穴に飛び込んで来た。
「ちょっと大きいわ」
「自分でそうしたんやん」
「そうか」
(なんで寝てたのに、ボリュームを上げてたんだ? それにこの曲)
「これ、なんて曲やったっけ?」
「曲名は知らないわ。歌ってるのは、好きな『ナイトウィッシュ』やろ」
「ああ、どこか心に響くような歌やな」
「英語やし、よう解からんけど」
(あれ? 僕は英語でも聴き取れてるな)

 車はカーブに差し掛かる度に、右に左へと揺れる。僕は左の窓に目をやった。窓の外は林で、広葉樹が緑の葉を広げていた。
「どこ行くんだっけ?」
「・・・帰るとこやん。伊吹山展望台まで行って、少し山頂まで歩いたから、疲れて寝てたんでしょ」
「・・・ああ、そうやった」
実際そうだったのかは、寝ぼけてるからなのか、よく思い出せない。
「車に乗ったらすぐ寝ちゃうんやもん」
妻は笑っている。優しい笑顔だ。
「あ、すまん。君は疲れてへんの?」
「うん。大丈夫よ。そっちの方が疲れてるやろし、寝てていいで」
(確かに。全身の倦怠感が、何かを考えることの邪魔をしてるようで、会話するのも煩わしいような感じだ)
僕はカーステレオの音を小さくして、再び目を瞑った。


 また体が揺す振られる。でも今度は手で揺すられてるようだ。
(家に着いたのかな?)
「・・・お客さん。お客さん。起きてください」
(え? あれ? 僕はどこにいるんだ?)
僕は顔を上げながら、ゆっくりと目を開けて声の主を見た。そこに立ってるのは、制服姿の若い男。お巡りさんのような帽子をかぶっている。
「あ、すみません。僕は・・・」
どうやら電車の中のようだ。駅に停まっている。ということは彼は駅員か車掌さんだな。
「もう、終点ですよ。この駅止まりですから降りてください」
眠り込んだまま終点まで来てしまったのだろうか。
(ここ何駅だろう?)
 ホームに出ると、『播州赤穂』と書かれた看板がぶら下がっている。
(何時間寝てたんだ?)
僕はどうしようか迷った。折り返しの電車に乗るしかないが、ホームが分らない。
「あの!」
僕に声をかけた男は、すでに10メートルほど離れたところを歩いていたが、その声に気付いて振り返ってくれた。
「京都行きはどのホームですか?」
「2番線ですけど、この時間やったら姫路止まりは無いさかい、20時発に京都まで直通がありますよ」
「そうですか。分かりました。ありがとう」
僕は腕時計を見ようとしたが、左腕に時計をしていなかった。
(あれ? 時計どうしちゃったのかな)
ホームの時計を確認すると、時刻は午後7時半過ぎだった。そこにはたくさんの人が電車を待っている。
(なんで電車に乗ってたのかな? 酔っぱらってるわけじゃないのに、どうして寝過ごしてしまったんだろう)
 僕はとにかく京都に戻ろうと考えた。でもこの時間じゃ、京都に着いてから家までタクシーしかないと思った。
(そうだ、妻に迎えに来てもらおう。いつもそうしてたよな)
僕は携帯電話を取り出そうとして、ポケットを探ったが、携帯が見当たらない。慌てて周囲の地面を見回した。先まで乗っていた電車は回送になって、もうドアが閉まっているが、窓から中を覗いてみても、僕の携帯は落ちていないようだ。寝てる間に盗まれたのか? はたまた持って来るのを忘れたのか。僕はこの場にいるのが辛くなり、少しホームを歩きながら考えた。
(財布は? あれ? 財布も持っていない。それどころか何も持っていない。手ぶらだ)
慌てて着てるジャケットのポケットというポケットを、切符が無いか探ってみた。すると胸の内ポケットに、小さな封筒が入っていた。
(これはなんだろう)
僕は立ち止まって考えた。ポチ袋のような封筒の表面に、『もしもの時に使う』とマジックで書いてある。中を確認すると千円札が入っていた。取り敢えずこれで何とかなると一安心した。
(妻がこっそり忍ばせておいてくれたんだな。気が利くいい女房だ)
作品名:ささやかな日々 作家名:亨利(ヘンリー)