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八九三の女

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[世話]



入学式を滞る事なく、無事に終えた新入生達は
保護者同伴で教室に戻った後、担任の教師と挨拶を交わし
これから始まる中学校生活についての説明を受ける

何時の時代も先生の話しは長い
当然、教室に入り切らない保護者達が廊下に溢れていた

元元、入室する気のない社長は廊下の壁に凭れたまま
唯、時間が過ぎるのを待つのみだ

そんな気怠さ全開の社長の前を足早に横切る男性がいる
一瞬の間、社長は見覚えのある男性を目で追う
相手の男性も立ち止まり社長の顔を確認するように振り返る

「社、長?」

背広の上着を手に持つ、ワイシャツ姿の年配の男性が
面を喰らった顔のまま、深深と頭を下げる

若干、額に滲んだ汗を慌てて拭う

「その節はどうもお世話になりました」

年配の男性が若造の社長に頭を下げる光景は
当然、周囲の保護者から好奇の目が向く

普段ならば気にも留めないが場所は中学校で今日は入学式だ
年配男性の子どもが参加しているという事だ

他人に頭を下げる行為は何等、恥ずべき事ではないが
子どもの目に如何に映るか、くらいは理解している

「どうぞ、上げてください」
「今はもう、世話してませんので」

社長の言葉に年配男性は蟀谷を掻き、ゆっくりと頷く

金の切れ目が縁の切れ目

意味合いは違うが金貸し屋と客の関係は正に、是だ
何時、何処で擦れ違おうと何処までも見ず知らずの他人だ

「分かってます」
「分かってますが、社長は命の恩人です」

表街の商売人が
裏街に金を借りに来る事自体、自殺行為だ

表街の商売、土地家屋を欲しがる狸や狐に
うまい言葉で唆されて、気が付けば尻の毛まで抜かれる

抑、表街で融資を断られた時点で商売を畳むのが最良なんだ

年配男性が心中覚悟で齧り付いていた
糞の役にも立たぬ商売を社長は否応なく、畳ませた

「あんな二束三文の土地」
「あんな破格な金額で買い取ってもらって、本当に」

堪え切れないのか
年配男性は節榑立った手で顔を覆う

商売、土地家屋は失ったが
足枷(借金)なしで新たな人生を出発出来たんだ
裏街に堕ちる義理なんか、ない

支え合う、妻も子どももいるのだから

「息子の門出です」

大袈裟かも知れないが命あっての物種だ

今は表街の歓楽街で雇われ店長をしている年配男性は
午後休を貰い、急いで駆け付けたという

「式には間に合いませんでしたが」
「三人で美味いモンでも食べに行くつもりです」

つるり、と顔を撫で含羞むように笑う年配男性

社長はワイシャツのポケットからマネークリップを取り出すと
無造作に全部の札を抜き取り、無言で差し出す

最高、十枚までしか挟めないが
目の前の一万円札は最高、十枚以上はあるように見える
年配男性が目をぱちくりさせて言い淀む

「いや、あの、貸し付けは」

「祝儀です、祝儀」

年配男性は慌てて勘違いを詫びるように自分の額を手の平で叩く

そうして社長が差し出した祝儀を今更、断わる事は憚られ
年配男性は有難く頂戴し、深く頭を下げる

「あんたの笑った顔、初めて見たよ」

それは昔のように
ぞんざいな口振りだったが温かくて、懐かしい

年配男性は短い声を漏らし、もう一度、深く頭を下げる

長い事そうした後、廊下を小走りに息子の教室へと向かう
年配男性の背中を社長は見送るでもなく、見送った

作品名:八九三の女 作家名:七星瓢虫