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『イザベラ・ポリーニの肖像』 改・補稿版《前編》

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4.パリからフィレンツェへ



「『幻の名画』ですか……それはそれほど素晴らしいものであったと?……非常に興味深いですな、いや、興味深いなんてものじゃない、胸の高鳴りを押さえられませんよ」
「いかがでしょう? 購入されては?」

 ウィリアムズが最初に訪ねたのはパリで最も大きく、売上高も最大の画廊、『ベルジュール』のオーナー、ベルナルド・マーティンだ。
 彼はベルジュール通りに開いた間口が三メートルにも満たない小さな画廊を足掛かりに、大胆な取引を何度も成功させて一代でパリ随一の画廊を築き上げたやり手だ。
 白髪で短躯、細身で穏やかな物腰……一見すると退役して悠々自適の生活を送る老人だが、黒縁の大きな眼鏡の奥に光る眼には隙がなく、年齢にそぐわないほどの力がある。
 今ではシャンゼリゼ通りに面して大きな画廊を構えているが、創業間もない頃の野心と苦労を忘れないためにベルジュールの名を外さないでいる。 もっとも、ベルジュールと言えば最も華やかなりし頃のパリ、そのナイトシーンを代表するミュージックホール、『フォリー・ベルジュール』を連想させる屋号であり、マネの傑作『フォリー・ベルジュールのバー』をも想起させるものでもある。
 フォリー・ベルジュールは格調高い劇場と言うわけではない、曲芸師や大道芸人がその技を披露し、ボードビリアンたちがシニカルな笑いを取り、そして布地を節約し過ぎた衣装をまとった女たちが妖艶に舞う、そんな劇場だ。
 そんな大衆的な劇場にあるバーで働くバーガールが娼婦を兼ねていることは当時の常識だった、マネの作品にも、モデルが娼婦であることを示唆するオレンジを盛った皿が描かれている。
 マーティンはお高くとまったアカデミックな絵画より、良く言えば人々の暮らしや感情、欲望をも写し取った、悪く言えば世俗的で下品になる一歩手前で踏みとどまっている、ある意味官能的な香りを漂わせる絵画を好んで扱って来た。
『ベルジュール』とは、そんな彼らしさがにじむ屋号でもある。
 そんなパリ一の画廊で扱われた絵画は、そのことが一つの付加価値になって若き画家たちの助けとなった、もちろんそのことによってマーティン自身も潤うのだが。

「確かに興味を惹かれますよ、これはもう損得と言うより画商としての性の様なものでしょうな……ですが金額がべらぼうです、長年絵画の売買に携わって来られたあなたが一億ユーロの価値があると言うならばそれは実際そうなのでしょう、ですが二億となると迂闊に手は出せませんよ、下手を打てば一億の損失になる、そうなれば画廊は倒産、私は破産ですからな」
 マーティンはまるで他人事のように言った、その口調には『論外だよ』と言うニュアンスが色濃く出ている、しかしウィリアムズは食い下がった、全てを説明せずに引き下がるわけには行かない、『イザベラ・ポリーニの肖像』を世に出す計画の第一歩はマーティンにかかっているのだ。
「ですが、あなたは『幻の名画』を落札した画商として、更なる名声を得ることになる、それは商売の上でも大きな看板になるのではありませんか?」
「それはそうなるでしょうな、ですが一億ユーロの広告は打てませんよ、ルノーやプジョーだって尻込みするでしょう」
 話に乗ってくる気配はまるで見えない、だがウィリアムズは勝負手になり得る持ち駒をその掌に隠していた。
「ですが、買い上げられた額と同額で転売できるとしたら?」
 黒縁の大きな眼鏡の奥でマーティンの目がきらりと光った。
 一見危なそうな話の中にでも一筋の光を見出せるならば真剣に検討する、そうやってマーティンは成功を収めて来たのだ、他の画商ではこうは行かない、それこそが彼に最初に話を持ち掛けた理由なのだ。
「それならばもちろん文句があるはずもございませんよ、儲けは出なくとも『幻の名画』を手に入れることは様々な利益を与えてくれるでしょうからな、ですが、二億で転売できる保証がありますかな、正直、かなり可能性は薄いと思いますが」
 マーティンの中で『幻の名画』を買うという話が現実味を帯びて来たのが窺える、決断の速さもマーティンの強みなのだ、だが、それでもまだ慎重だ、二億の話なのだから当然だが。
「一つ秘策があるのですが……」
 普段のウィリアムズには似合わない謎めかしたような口調がマーティンの好奇心と野心がくすぐった。
「一応、お聞きしましょう」

 ウィリアムズはジョーンズと立てた計画を打ち明けた……すると。

「面白いですな……可能性を感じます、一億の絵が二億になる可能性をね……あなたを疑うわけではありませんが、一度お会いしてみたいものですな、輝く微笑を持つ麗しきイザベラに」
「それはなんとか取り計らいましょう、パオロにしても死活問題でしょうからね……」
 まだ野のものとも山のものともわからない計画、しかし、マーティンは食指を動かしてくれた。
 ここまで来ればしめたものだ、ウィリアムズはそう感じていた。
 マーティンは根っからの画商、絵画を見る目は確かだし、何よりも絵画を愛している、『イザベラ・ポリーニの肖像』を一目見れば、マーティンの画商としての性が彼を突き動かしてくれるだろうと……。

▽   ▽   ▽   ▽  ▽   ▽   ▽   ▽

「なるほど、大変興味深いお話です」
 パリを発ったウィリアムズが向かったのはフィレンツェ、相対しているのはコンティーニ家の当代当主にしてフィレンツェ美術館館長、ロベルト・コンティーニだ。
 そして館長室にはフランコ・コンティーニの肖像が掲げられている、彼の魂は今でもここにいるのだと言わんばかりに。
 ロベルトは四十代半ば、若々しさと落ち着きを兼ね備え、貴族の末裔らしい洗練され、落ち着いた物腰ながらやり手らしい鋭さも備えた、フィレンツェ美術館の館長に相応しい人物だ。
「あなたが一億ユーロなら妥当だとお考えになるのであれば、その絵はそれだけの価値があるのでしょう、フィレンツェ美術館としてはぜひ手に入れたいものですな、しかもイザベラ・ポリーニはフィレンツェで最も愛された貴族の令嬢ですからね、彼女の安住の地はフィレンッツェ以外にはないでしょう」
「私もその通りだと思いますよ、優れた芸術作品にはそれにふさわしい場所があるものです」
「ですが、二億ユーロは高すぎる……買い手がつかなければパオロが値を下げて行くとお思いですか?」
「いいえ、一度オークションが不調に終わった品物は買い叩かれるのが常です、是が非でも欲しいと思うから値が吊り上げるのであって、値を下げ始めればとことん買い叩かれる、そう言うものですからね、パオロならもうオークションには出さずに個別に打診して行くでしょうね……彼がどのような人物に話を持ち掛けることになるのか、あなたならお察しでしょう?」
「なるほど……中東や中国の富豪なら彼の希望に近い額で買えるかもしれませんね、フィレンツェの宝がイタリアから流出して行くのはいかにも残念ですが……」
「そこで、私共に一つ考えがあるのですよ」
「私『共』と仰いますと?」
「私とクリスチャンズのジョーンズです」
「おや、ライバル社同士で裏話を?」
「いえ、私は既にザビエルズを辞めました、ジョーンズもこの競売が成立すればクリスチャンズを辞める覚悟なのですよ」