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短編集60(過去作品)

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 だが、夜はそのリズムが一緒になるのだろう。両方からほぼ同じリズムの時計の音が聞こえてくる。静寂な中でのその音は、非常に目立っている。
 それでも気にしていないと気にならないもので、完全意普段の生活に溶け込んでいるのだろう。それでも途中の目覚めで気になってしまう。
 昼間のスピードに慣れてしまっているのか、夜に刻まれる音が、実にゆっくりである。途中の目覚めから、寝入るまでがゆっくりだと思うのは、時計の音が一つの原因であることに間違いはない。
 だが、静寂の中での時計の音は一度気になってしまうと、二倍のはずが、三倍にも四倍にも聞こえてくることがある。そんな時は少し気になって眠れないが、それでも気がつけば眠っている。時計の音のスピードが寝入る瞬間に、少し速くなっているのではないかと感じるのは目覚めの時だった。
 目覚めの時というのは、時々まったく関係のないことを考えることもある。
――夢で見たことなのかな――
 目が覚めるにしたがって忘れてしまう夢、それをいいことにすべてを夢のせいにしてしまうのが起きる時の感覚ではないだろうか。
 朝目が覚めた時と、夢と夢の間に目覚める時と、まったく感覚が違っている。夜途中で何度も目覚める時は、朝の目覚めにアラームは必要ない。定期的に目覚めるので、普段目覚ましが鳴る時間よりも前に、
――よし、起きよう――
 と思うのであるが、決して悪い目覚めではない。
 自分の意志で起きるのだから当たり前だが、完全に目が覚めたと思っていても、実際は少しボーっとしている。目覚まし時計で目を覚ました時の方が、確実に目覚めがいいものである。
 当たり前のことで、それだけ熟睡したからであろう。続けて眠っている方が眠りが深いに決まっている。途中何度も目が覚めるのは、深い眠りに落ちることができなかった証拠でもあるのだ。
 夜、何度も目が覚めてしまうことを気にしていうといっても、その頻度は大したことではない、時々起こっている程度なのだが、その一つ一つがまるで昨日のことのように感じられるのだった。
 実際にその前がいつのことだったかなど覚えていない。それでもここ数日の間ではなかったというのは意識の中にある。
 最近は起きていても、身近の出来事がいつのことだったか、ハッキリ分からないくらいだ。昨日のことだったか、今日のことだったか、それすら分からない。
 親戚の家を訪れる時がそうである。
 子供の頃から親戚の家に行くのが好きだった。
「よく来たね」
 おばさん、おじさんが満面の笑みを浮かべて迎えてくれる。従兄弟もいるので遊びに行って退屈もしない。何よりもおばあちゃんが一番喜んでくれる。喜んでくれると間違いなく子供には甘いもので、おこづかいをくれたりするものだ。
「お父さん、お母さんには内緒でね」
 子供が貰うには少し大きなお金が入っていた。
「おばあちゃんから何か貰ったら、ちゃんと報告しなさい」
 と、さすが両親、よく分かっている。それでもいちいち報告したりしないのは、
――子供だから仕方がない――
 という思いと、目の前で繰り広げられるであろう会話を想像できるからだった。
「おばあちゃん、こんなことされたら」
 実に恐縮がって両親は腰を低くするだろう。
「いいのよ、私も孫に会えて嬉しいんだから」
 と与えたものの優越感が余裕を感じさせる。
 劣等感と優越感を感じながらの会話は、まわりを重たい空気にさせるのは目に見えている。特に社交辞令の赴きを感じさせる重たさは、縁起のように見え、本音と建前が共存しているに違いないからだ。
――黙っているに越したことはないんだ――
 いい悪いは別にして、諍いと起こす必要などさらさらないに決まっている。
 そんな感覚が毎回あると、遊びに行くのが半年に一度であっても、この光景を見たのがまるで昨日だったように感じる。
――これも夢で見たに違いない――
 と感じ、すべてを夢のせいにしてしまっている。
 事実夢で見たこともあるだろう。
 おばあちゃんの顔が気になって仕方がない時があった。別に遊びに行ったすぐあとだというわけでもなく、近々遊びにいくというわけではない時にもあったことだ。
 夢とは潜在意識が見せるものだというが本当だろうか。時々不思議に感じることがある。
 何度も目を覚まし、短い夢をたくさん見る時でも、それぞれを漠然としてではあるが覚えている時もある。
 そんな時に限って、夢は続きだったりする。
 夢とは結構続きを見たいと思っているのに、ちょうどいいところで目が覚めてしまうことが多く、
――続きを見てみたい――
 と思ってもう一度寝るのだが、どうやら続きを見ることができなかったと後から考える方が圧倒的に多い。
 潜在意識の中で、
――そんなに都合よくいくものか――
 と、どうしても現実的に考えてしまっている。
 いくら夢だとしても現実からかけ離れたことは見ることができない。空を飛ぶ夢などは典型的で、飛ぼうとしても、地面から少しの空間に浮くことができるという程度である。
 まったく信じられないわけではないのは、潜在意識の中にも余裕があり、ひょっとして自分が普段考えているよりも多くの現実が自分のまわりに潜んでいるのではないかと思っているからだろう。
 ゆっくり流れる時間を楽しむ余裕が、夢と夢の間にあるだろうか。
――ひょっとして、この時間すら夢の中でのことかも知れない――
 と考えることもあるくらいで、
――次に見る夢をすでに知っているのではないか――
 とすら思えてくる。
 如何せん、頭は漠然としての意識しか持っておらず、すべてが、朝完全に目を覚ました時に感じることなのかも知れない。確かに朝目を覚ました時に、すぐ
――昨夜は何度も目を覚ましたな――
 と感じる。
 目を覚ませばいつも何かを思い出そうとするのは本能のようなもので、先に思い出そうとするのは、夢のことであった。
 だが、夢で見たことをそう簡単に思い出せるものではない。夢だからこそ思い出せないもので、分かっていながら思い出そうとする。だからこそすぐに諦めて、途中に目を覚ました時の感覚を思い出そうとするが、一度夢を思い出そうとしていることもあって、そう簡単に思い出せるものではない。
――夢の中で思い出そうとしていたのかも知れない――
 思い出せないのに、思い出そうとしているのは、思い出せるような感覚があるからだ。
――やっぱりだめだ――
 という結論にいつも達するのに、それでは気がすまないのは、そういう理屈であろう。
 夢が連続している時ほど思い出せそうに思うもので、逆に思い出せそうに感じるからこそ、夢が連続していたのかも知れないと感じるのかも知れない。
 怪しく光ったもの、それは閃光と呼ぶにふさわしいもので、あっという間の出来事だ。光った瞬間、目が覚めてしまうのではないかと思うほどで、実際に光で覚めた夢もあったはずだ。
 閃光が持っている色、そういえば夢で色を感じるなどあるだろうか。もっといえば、甘い香りにしても、夢の中で香りを感じることなどできないと思っているので、おかしなことである。ひょっとして、目が覚めてから、
――夢に匂いや色、そして味を感じることはない――
作品名:短編集60(過去作品) 作家名:森本晃次