小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」
泉絵師 遙夏
泉絵師 遙夏
novelistID. 42743
新規ユーザー登録
E-MAIL
PASSWORD
次回から自動でログイン

 

作品詳細に戻る

 

久遠の時空(とき)をかさねて ~Quonฯ Eterno~下

INDEX|12ページ/110ページ|

次のページ前のページ
 

7. トイチャット


「僕は、トイチャット」
 彼は名乗った。
 おかしな名前だと思いながらも、暖野は右手を差し出す。
「よろしくね、トイチャット」
 彼がその手を握ってくる。「あなたもすごく強いから、一緒に私を守ってくれる?」
 快く返事をしてくれるものと思っていたが、その答えは予想に反したものだった。
「うん。そうしたいんだけど、僕、守らなきゃいけない人がいるから」
 さっき、この船には他に誰も乗っていないと言ったばかりではないか、と暖野はその言葉の意味するところをはかりかねた。
「やっぱり、誰か一緒なの?」
「ううん、一人だよ」
「じゃあ、誰を守るの?」
 トイチャットが困った顔をする。
「分からない」
「そっか……」
 このことについては、これ以上聞かない方が良さそうだった。
 話題を変える。
「トイチャットは、ご飯とかどうしてるの?」
 これには即座に反応してくれた。
「食べるものなら、いっぱいあるよ」
 彼が言う。「お姉ちゃん、お腹空いてるの?」
「そうじゃなくて――」
 言おうとして、昼食がまだだということを思い出す。「うん、ちょっと空いたみたい」
「じゃあ、一緒に行こうよ!」
 トイチャットが嬉々として暖野の手を引く。
「はいはい、でもそんなに急がなくてもいいわよ」
「僕もお腹空いた」
 トイチャットは食堂には入らず、厨房の奥の食糧庫に暖野を案内した。
「見て」
 彼が自慢げに言う。「何でもあるでしょ?」
「う……うん」
 棚には様々な缶詰や瓶詰、箱がぎっしりと詰まっている。重そうな鉄の扉があり、それは冷蔵庫らしかった。隅の方に空になった空き缶やパック類が山積みになり、床には汚れたままの食器類が散乱している。
「これ、すごく美味しいんだよ」
 魚の絵の描かれた缶詰を差し出し、トイチャットが言う。
 暖野は憐れな気持ちになった。彼はずっと一人で、ここで冷たいものばかりを食べていたのだ。
「そうね、美味しそうね」
 暖野は言った。「でも、お姉ちゃんなら、もっと美味しくしてあげられるわよ」
「本当?」
 トイチャットの顔が輝く。
「本当よ。でも、どこに何があるのか分からないから……」
 庫内を見回す。トイチャットが持っているのは、ツナ缶かシャケ缶のようだ。この世界にもカツオやサケがいるのか分からないし、今の所どこにも生き物はいないようだが、これまでも肉や魚料理は出て来たのだから問題はないだろう。
「ねえ、マヨネーズとか知ってる?」
 暖野は訊いてみたが、彼は首を横に振った。
 さすがに食べ慣れたようなマヨネーズはないだろうが――
 あった。天使のマークの見慣れた容器が。
 暖野はそれを手に取る。後はパンと野菜、ハム。
 それらもすぐに見つかった。
 厨房でツナサンドとハムサンドを作る。決して見事な手さばきとはいかないが、トイチャットは初めて目の前で繰り広げられるものを興味津々で見ている。
 押さえが足らなかったのか、カットするときに形が崩れてしまったが、何とか完成した。見栄えは多少悪くとも、食べてしまえば同じことだ。味さえ良ければ問題ない。
「どう?」
「すごいすごい!」
 素直に喜んでくれて、暖野は嬉しくなる。
「じゃあ、あっちで食べようか」
 皿を持って食堂へ移動する。
 テーブルにそれを置くと、早速トイチャットが手を伸ばしてきた。
「ちょっと待って。ボディ・ガードを呼んで来る」
「大丈夫だよ。僕がいるから」
 暖野が行きかけるのを見て、彼は言った。
 まあいい。この際付き合ってあげようと、暖野は席に着く。
「食べる前は、こうやるのよ」
 暖野は胸の前で手を合わせる。「いただきます」
 トイチャットも同じように真似て、いただきますを言った。
 ずっと一人だったというのは本当のことのようだ。お世辞にも行儀のいい食べ方とは言えない。出会い方は悪かったが、暖野は彼を可愛いと思った。
「お姉ちゃん、食べないの?」
 微笑んで見ているだけの暖野に、トイチャットが訊いてくる。頬にマヨネーズが付いている。
「ううん、食べる。でもね」
 テーブルにあったナプキンを取って、その頬を拭ってやる。「もう少しゆっくり食べなさいね」
 綺麗にしてやった尻からまたパンにかぶり付き、元の木阿弥になってしまう。
「ああ、お水はどこにあるのかしら?」
 そのうち噎(む)せてしまうだろうと思い、飲み物が要ると思った。
「あ、僕が持って来るよ」
 食べかけのサンドイッチを皿に戻し、トイチャットが椅子から飛び降りる。
「食べながら走っちゃダメよ!」
「ちょっと待ってて」
 暖野の言葉も聞かず、彼は食堂を出て行った。
 程なくして彼が水を満たしたグラスを両手に持って戻って来た。こぼさないように、今度は慎重に歩いている。
「はい」
「あ、有難うね」
 グラスを受け取った瞬間、微かに顔が引きつってしまう。
 ぬめってる――
 だからと言って、拒むわけにもいかない。
 サンドイッチを鷲掴みにしていた彼の手は、見事なまでにマヨネーズまみれだった。
 暖野は気づかれないように、テーブルの下で手を拭った。
 子どもの相手は思った以上に大変だと、暖野は痛感した。
「はい、これはお姉ちゃんの分」
 トイチャットが、いつまでも食べようとしない彼女のために一切れ寄越す。
「ありがと」
 暖野はそれを受け取った。
 何これ、べちゃべちゃじゃない――
 そう言えば、バターを塗るのを忘れていた、パンが野菜や具材の水気を吸ってしまっている。これは大失敗だ。彼の手がべとついているのは、暖野のせいでもあった。
「あー、美味しかった!」
 トイチャットが笑顔で言う。
「そう? 喜んでくれて、お姉ちゃんすごく嬉しい」
 言いながら、サンドイッチを口に運ぶ。自分で作ったのだから、きちんと始末しないといけない。
 皿の上の物をきれいに片付けると、暖野は手を合わせた。
「ごちそうさまでした」
「食べた後にも、言わなきゃいけないの?」
 トイチャットが訊く。
「そうよ。美味しいものが食べられて有難うってことよ」
 自分で言っていて歯が浮きそうだが、意味としては間違ってはいない。
「僕、さっき言ったよ」
「私にね。でも、これは――」
 そこまで言いかけて、一瞬言葉に詰まる。「美味しいって思えた自分に言うのよ」
「ふうん。大きい人って、色々難しいんだね」
 微妙に心に刺さる言い方だった。
 暖野は、神様に感謝と言おうとしたのだが、言えなかったのだ。その言葉だけがまるでブロックされてしまったかのように、口に乗せることが出来なかった。
「マルカったら、何してるんだろ?」
 思わず呟いてしまう。
「マルカ?」
 耳ざとく聞きつけて、トイチャットが訊いてくる。
「ああ、ボディガードの名前よ」
「そうなんだ。二人とも、ちゃんとした名前があるんだね」
「あなたにだって、名前があるじゃない」
「でも、これが本当の僕の名前なのかどうか分からない」
 これは、また地雷を踏んでしまったか。
「じゃあ、トイって呼んでもいいかな?」
 暖野は努めて明るく言う。「トイチャットって、長くて呼びにくいし」
「いいよ」
「じゃあ、あなたは今からトイね」
「うん」
 よく分からないが、彼は納得したようだ。