小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」
オオサカタロウ
オオサカタロウ
novelistID. 20912
新規ユーザー登録
E-MAIL
PASSWORD
次回から自動でログイン

 

作品詳細に戻る

 

Riptide

INDEX|6ページ/24ページ|

次のページ前のページ
 


・午前七時三十分
     
 時折、朝と昼に、調子外れの声が海に向かって響く。白戸巡査は、わざわざそれを聞かせるために早起きしてきた住民に同行して、やけくそのお経のような大声を、その耳で聞いた。
『あれ、なんて言ってんのかね』
 迷惑そうに目をこすりながら、通報者の市川は言った。貸しボート屋の隣にぽつんと建つ一軒家の主で、問題となっている家からはかなり離れているものの、その声はよく届くと言う。白戸はそのとき、言った。
『出だしは、人生〜、ですよね』
『ああ、それは俺にも分かるね』
 声の主は、蔦の這いまわる家に住む、田井久雄。裏に広がる林は、すでに亡くなった兄の私有地だった。今は弟である久雄が地主だが、特にどうするでもなく持て余している。ただ、自分の持ち物だという意識を示すように、林を囲むように突き刺さるフェンスは、通電も可能な、規格外に厳重なものだった。白戸は、そのフェンスに電気が通っているのを見たことはなかったが、実際、田井はその林を歩いていてイノシシと格闘したのだから、気持ちは理解できた。猟銃でイノシシ狩りを始められるよりは、電気で防いでくれるほうが平和でありがたい。しかし立派な電気柵は、署の通達により通電を禁じられていた。
 朝方と昼前に響く『人生〜』の続きが分かったのは、隣の町から毎日のように訪れる、釣り人の証言からだった。去年還暦を迎えた、中原エンジニアリングの中原社長で、いつも社名の入った古いライトバンでやってきては、魚目当ての猫に囲まれながら、のんびり釣りをしている。
『あれね、人生百二十年って、言ってるんですよ』
 白戸の率直な感想は『ちょっと長くないか』というものだったが、中原は逆に、その大声に感謝しているようだった。あの声が海鳥を追い払ってくれるから、魚が逃げず、よく釣れるのだという。つまりは、魚を分けてもらっている野良猫も感謝しているということになる。
 白戸が田井家の前で原付のスタンドを立てると、玄関の引き戸ががらりと開いた。
「白戸君、おはようございます」
 射撃場で的にされたようなボロボロのシャツを着た田井は、頭に打ち付けるような勢いで敬礼をした。白戸が応じようとする前にぴしゃりと手を下ろした田井は、強い日差しに目を細めた。白戸は、朝日に照らされて醤油せんべいのような顔色になった田井に、言った。
「お変わりはないですか?」
「今のところはね」
 田井はそう言うと、小さくうなずいた。
 いつものやり取り。白戸は苦笑いしながら、ヘルメットのバイザーに一度触れた。本来この訪問は、警察が頻繁にパトロールしているから、あまり突飛な行動をすると、すぐに誰かが駆け付けるということを、田井に示すためだった。最初は持ち回りで、毎日のように当直の警察官が訪ねていたが、やがてそれを飛ばす警察官が増えていって過半数を超え、ついにその慣習を守るのは白戸だけになった。白戸自身は、田井のことをさほど悪く思っておらず、田井も、週に二回程度の訪問はむしろ刺激になっているのか、門より家の中に招き入れることはないが、邪険に追い払うこともなかった。しかし、当初は毎日訪れる警察官に分散されていた世間話が白戸に集中することで、簡単には帰れなくなっていた。
「河田さんとは、うまくやっとるかいね」
「ええ、最近は何とか」
「あれはあれで、色々と考えてる」
 短いやり取り。白戸が所属する交通課の課長は、河田という名前の警部で、警察官という概念を擬人化したような厳しい男だった。白戸はやや理不尽だと思えるようなことまで、事あるごとに、重箱の隅をつつくように指摘を受けていた。
「わしからも、話しとくから」
 田井はそう言ったが、白戸は苦笑いで応じた。実際に田井は、白戸の処遇が悪すぎるのではないかと、署まで文句を言いに行ったことがあった。あとから河田に呼び出された白戸は、『タイキックとは付き合うなよ』と釘を刺された。息子が広めたあだ名で、河田も気に入っているらしく、署内ではそう呼んでいた。
「ありがとうございます。こう暑いと、何もする気が起きませんね」
 白戸は、田井の行動力を頭から抑え込むように言ってみたが、田井はゆっくりと首を横に振った。
「いんや、負けてられんね」
 その言葉は、海の方へ向いていた。今はサーファーしかいないが、来週の海開きから、夏休みに入って盆が過ぎるまでの間、海水浴に訪れる観光客で賑やかになる。田井はそのことにも寛容で、海水浴客とすれ違うときに挨拶をしたことすらあり、線引きがどうなっているか、白戸にはよく理解できていなかった。
「花火などうるさかったら、また教えてくださいね」
「今日は、撮影で来るんじゃないのか?」
「そうですね」
 白戸はそう言ったとき、ハイラックスのカップルを思い出した。天の川を撮りに来る観光客は夜に歩き回るから、必然的によく声をかけることになるが、皆どことなく、浮世離れしている。あのカップルも例外ではなかった。
「イノシシはいないと思うが、念のため看板出しとこうか」
「いえ、大丈夫です。夜の当直に引き継いでおきます。どの道、声かけに行くと思うので」
「イノシシは甘くないぞ」
「そうですね」
「イノシシ。イノシシってのはな……」
 何度も同じ単語を聞いて頭の中が混乱した白戸は、引きずり込まれるように数年前の『イノシシ撃退談』をそこから三十分ほど聞き、コンビニに向かった。警察官立寄所と書かれた真新しい張り紙は、数年前に近くの浜辺で傷害事件が起きてから貼られたもので、白戸が毎日立寄る理由にもなっていた。コンビニと言いながらチェーン店ではなく、茅野マートという屋号に、大きく『かやの』とフリガナが振ってある。白戸が原付を停めて中に入ると、雑誌を読んでいた結子が顔を上げた。
「いらっしゃ……、白戸くんおはよ」
 結子は四歳離れているが、高校の先輩だった。上下関係とまではいかないまでも、結子にとっては白戸はいつまでも『白戸くん』であり、白戸からすれば、学校でイベントがある度にOGとして顔を出す結子の記憶が強く残っており、今でも『茅野先輩』と、旧姓で呼んでしまうことがあった。結子は結婚も早く、相手に選んだ隅谷研吾は、人気者かつスポーツ万能の男で、今は友達と貸しボート店を経営している。海水浴シーズンは海の家にも売り子として顔を出す、夏のために生まれてきたような男。白戸は同級生とよく『あいつには勝てないな』と話していた。ただ、二人の結婚は、高校を卒業するのとほぼ同時にベビーカーを押しているようなスピード感だった。結子は、白戸の頬に浮いている汗をじっと見ながら、言った。
「暑いでしょ。涼んでいきなよ」
「あざす。でも、田井さんのとこで時間使っちゃったんで、ちょっと巻いてるんですよね」
「もう、あまり相手しちゃだめだよ」
 結子は笑いながら、冷凍庫から一口サイズのアイスを出してくると、定位置に戻ってきて勝手に食べ始めた。
「食べる?」
「職務中なんで、飲食はあまり……」
「真面目だな。口開けて」
作品名:Riptide 作家名:オオサカタロウ