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天空の庭はいつも晴れている 第2章 アビュー屋敷

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『子供たちが病気をしませんように』
『家族が幸せで暮らせますように』
『商売がうまくいきますように』
『あの人があたしを好きになってくれますように』
 他愛ない祈りだ。祈りは白やピンク、黄色、緑、さまざまな色で柔らかに煌めきながら柔らかな世界へと昇って行った。
 家族、親戚、友達……昔から手の届かない世界だった。トリスタンが養父になったと言っても、実感はまったくない。たぶん向こうもそうだろう。だが、カームニルからずっと、言葉や態度のはしばしに彼はルシャデールへの気遣いを見せていた。
 心さまよわせて、何を探しているのかもわからなくなる。やがて、ルシャデールは眠りの領域に入っていった。


「御寮様、起きて下さい」
 翌朝はメヴリダの苛立たしげな声で目が覚めた。
「なんてところでお休みになってらっしゃるんですか。朝ですよ。さあ、顔を洗ってお支度をしたら御前様のお部屋でお食事ですよ」
 洗顔と着替えまでは言われるがままになっていたが、寝起きのぼーっとした頭が冴えてくるに従って、彼女の高い声が気に障ってくる。うるさい。
(そういえばカズックの御神体は?)
 夕べ、肉と一緒にテーブルに置いたはずだ。
(ない!)
 テーブルの上にもソファの上にも、床の上にもなかった。寝室も慌てて探すが見当たらない。
「テーブルの上にあった石は?!」
侍女に掴みかかった。
「離してください」冷たい手でメヴリダは彼女を振り払う。「石ってあの黒っぽい石ですか?」
「そうだよ!」
「あの石なら捨てました。」
「捨てた?!」
「申し訳ございません。あのような汚い石、大事な物とは存じませんで。窓から投げただけですから、その辺に落ちていると思います。後で取って参りますわ」
 たいしてすまないという風でもなくメヴリダは答えた。給仕係が食事の用意が整ったと、呼びに来た。
「いらない!」
 叫んでルシャデールは飛び出して行った。
 あの石が割れたりしたら、カズックはもう彼女の前には現れないだろう。彼は唯一の話し相手だ。憎まれ口ばかり叩くが、母を亡くした後、彼女がかろうじて  心を安定させてこられたのは彼がいたからだ。
 玄関を出て庭の方へ回る。屋敷の南側は庭園が広がっていた。咲き匂う花の茂みのあちこちに薔薇のアーチや四阿《あずまや》が配されている。しかし、今はそんなものを眺めているどころではない。自分の部屋の窓を探す。
 が、自分の部屋がどの辺かわからない。夕べ着いたのは暗くなってからだったし、風呂だ、食事だと追い立てられて外を眺める暇はなかった。同じような窓が三、四十は並んでいる。といってメヴリダのいる部屋へまた戻るのは嫌だ。
 ルシャデールはあてずっぽうで位置を決め、探し始めた。
「おはようございます、御寮様」
 顔を上げると、ルシャデールと同じくらいの年頃の少年が木桶を片手に立っていた。
「何かお探しですか?」
 ルシャデールは立ち上がり、少年を見据えた。黒い髪に明るい褐色の瞳をして、たんぽぽの花のような笑顔を向けている。
「おまえは……ここの召使?それとも召使の誰かの子供?」
「召使です。アニスといいます」
 手伝ってもらうべきか、それとも一人で探した方が無難か。ルシャデールは考えを巡らす。しかし、御神体がどの窓から投げられたのかわからない中での探し物は不利だ。
「石……黒い石を探してる。私の部屋の窓から投げられた。」
「大きさはどのくらいですか?」
「手のひらに乗るくらい」
 それを聞いて、彼は東よりの方へ走って行くと、すぐに草花や木の茂みをかき分けて探し始めた。ルシャデールは少年をぼんやり見ていた。初めて会うはずなのに、知っているような気がした。
「これですか?」
 少年は黒い石を掲げて叫び、走ってきた。ルシャデールはひったくるように彼の手から取った。まるで盗まれでもしたものを取り返すかのように。そのふるまいにアニスは、はじかれたように目を見開いたが、すぐににっこり笑った。
「よかったですね、見つかって。失礼します」
 ぺこんと頭を下げ、少年は木桶を持って庭の奥の方へ行った。その後ろ姿から目が離せずルシャデールはそのまま見送った。
 カズックがそばに来ていた。
「おまえ、また癇癪《かんしゃく》起こしたらしいな。召使が話していたぞ」
「これ投げられたんだ」
 ルシャデールは石を見せた。
「大事にしてくれるのは嬉しいが……俺よりも周りの人間をもっと大切にしろ」
「大切にするほどの価値があるのか? 私も、私以外の人間も」
 癇癪はすっかりおさまっていたが、今度は冷え冷えとしたものが心を占める。
「あるさ。あるに決まってる」
「ふん、さすがに神様はご立派なことを言う。それなら、なぜ母さんは私をおいて、勝手に逝ってしまったんだ?」
「あれで、おっかさんはおまえのことを愛していたと思うぞ」
 とてもそうは思えなかった。
「おっかさんにとっては、あれがギリギリ精一杯だったのさ」
「私より、いなくなった父さんの方が大事だったんだ」
「おまえも大人になれば、少しはわかるさ」
「『大人になれば』なんて、そんなごまかしの慰めなんかいらないよ! 今、教えてくれることができないなら、黙ってろ!」
「ほら、おっかさんの代わりに構ってくれる姐さんが来たぞ」
 メヴリダがやってきた。明らかに機嫌が悪い。
「げっ」
 ルシャデールは即、逃走に移った。
 その姿を考え深げに見ながら、カズックはつぶやいた。
「人間は気短だな……。俺が宇宙の果てユークレイシスを発ったのは子犬の頃だったが。何千年、いや、何万年か前。しかし、一週間かそこらぐらいしかたってないような気がする」

「アニース!そろそろ終わりそうかい?お昼ご飯だよ」
 洗濯係のレイダが呼んでいた。
「うん、あと少し!」アニスは井戸端で叫んだ。まだ九歳の彼にとって水汲みは骨の折れる仕事だ。その日一日屋敷で使う水を汲み上げるには、三十回は往復しなければならない。
「あとどのくらい?」
「三回! 大丈夫、すぐ終わるから」
 頼めば手伝ってくれただろう。ちょうど彼の母親ぐらいの年の彼女は、アニスをよく可愛がってくれる。でも、甘えたくはなかった。屋敷の主人は、みなしごとなった彼を、簡単な仕事ならできるだろうと引き取ってくれた。とても感謝していたし、受け入れてくれた他の使用人のみんなにも迷惑はかけたくなかった。

 アビュー家の屋敷は大きく三つの棟に分かれる。本棟と西廊、それに東廊だ。
本棟はおもに主人やその家族、客が使用する部屋が大半を占めている。他には執事など上級使用人の部屋が一階の隅に、数は少ないが女性使用人の部屋が最上階にあった。
 東廊は舞楽堂などがある斎域だ。
それから使用人が出入りする西廊である。厨房や洗い場、日用品や調度品などの収納庫、男性使用人の部屋がある。
 水汲みを終えたアニスは西廊の半地下に向かった。そこに使用人の休憩室があった。
 ここでもテーブルは使われない。床には絨毯が敷かれ、中央には木綿の白布が拡げられて料理が並んでいた。今日のお昼はインゲン豆の煮物に、塩味をつけたヨーグルトの飲み物、酢漬けの野菜、それからトルハナという薄っぺらいパンだ。