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天空の庭はいつも晴れている 第2章 アビュー屋敷

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<章=第二章 アビュー屋敷>

   
 ルシャデールたちがパルレ橋の船着き場で船を降りたのは、日も入相の頃だった。
 日没は礼拝の時間でもある。あちこちの寺院や礼拝所の塔から、ラッパを大きくしたような楽器シルクシュの音が響く。カームニルでも礼拝は同じ時刻だが、シルクシュではなく鐘が鳴らされた。
 船着き場ではアビュー家から迎えが来ていた。そこからは馬に乗って屋敷に向かう。ルシャデールはトリスタンの前に乗せてもらった。
「もう少しだからね。完全に暗くなる前には着くよ」
 トリスタンは彼女の疲れを気遣ってそう言ったが、ずっと船酔いに悩まされてきた彼の方が青い顔をしていた。
 一行は南北の国をつなぐ西街道を北に進んだ。半時ほど行くと、壁道と呼ばれる古い城壁沿いの道に出る。それを東に折れると、カシルク寺院の尖塔が見え、アビュー家の屋敷はそのすぐ隣だった。
 正面の門はカズクシャンで、ルシャデールが遠視したとおりだった。二本の大きなポプラの樹。アーチ型に石を組んだ門。
 門を入ると玄関まではまっすぐだった。玄関前に召使たちが並んで迎えに出ていた。その数四十人以上はいるだろう。
 ルシャデールは眉をひそめた。自分には似合わないところに来てしまったように思えた。
 玄関前の階段を上ったところで、トリスタンが執事のナランと家事頭のビエンディクを紹介した。ビエンディクは五十を過ぎたくらいの神経質そうなやせた男だった。執事のナランはやや小太りで鷹揚でおっとりした雰囲気を漂わせている。
中に入ると、壁は一面青い唐草模様のタイルで飾られていた。吹き抜けの天井から吊るされた何十個というランプで、暖かなオレンジの光に満ちている。
 ビエンディクが二階に用意された彼女の部屋へ案内してくれた。
「こちらが御寮様のお部屋でございます」
 部屋は二間つづきだ。居間と寝室だが、やたらと広い。貧乏人の家なら、居間だけで三、四軒分入りそうだ。
 茶店や酒場は別として、一般にフェルガナの家では椅子を使わない。豪奢な織りの絨毯《じゅうたん》に低いソファが壁二面に沿って置かれている。そのソファにあわせた高さの、螺鈿《らでん》細工を施した低いテーブルが二つしつらえてあった。
 七つの窓には赤と青で彩られたステンドグラスがはめ込まれ、床から天井近くまでの高さがあった。
 ビエンディクはルシャデール付となった侍女を引き合わせた。メヴリダという三十代半ばくらいの女だ。彼女は愛想笑いを浮かべてルシャデールに挨拶した。
ビエンディクは入浴の後トリスタンの部屋で食事だと言って、メヴリダに世話を言いつけ出て行った。
 侍女と二人になったとたんに居心地の悪さが押し寄せてくる。
「お食事の前にお風呂に入ってくださいまし。ほこりだらけでございますよ」
 言われるままに風呂場へ行く。魚を描いた白いタイルの浴槽からは、マジョラムのほのかに甘いかおりが匂っている。申し分のない風呂だが、ゆったりした気分とは程遠い怒号が飛び交った。
「じっとしてください!」
「やめろ、ひっぱるな!」
「暴れないでください!」
「さわるな! ババア!」
 髪や体を洗い終わった時には、侍女も服のまま入浴したかのような姿になっていた。
「人に触れられるのが嫌だとおっしゃるなら、ちゃんとご自分でなさってください!」
「出てけ!」
 ルシャデールは叫ぶと同時に、近くにあったオリーブの石鹸を投げる。それは侍女の額に当たり、青筋たてて侍女は出て行ってしまった。
 脱衣所には大判の体拭き用の布や替えの衣服が用意してあった。適当に拭いているうちにメヴリダが濡れた服を着替えて戻って来た。ルシャデールに服を着せつけてくれるが、今度は二人とも無言だった。
 部屋に戻ると、別の召使がベッドを整えていた。絹のシーツに羽の枕、布団カバーはやはり白絹で白と銀の糸で刺繍がほどこしてあった。召使は整え終わると、ルシャデールに一礼して部屋を辞した。入れ替わりに男の召使が食事だと呼びに来た。
 入浴、着替え、食事……。いったい、今日はあといくつの儀式があるのかと、ルシャデールはうんざりする。
 トリスタンの部屋は廊下の中央にある。当主の居室だからか、ルシャデールの部屋より若干広い。
 先ほどの入浴の時の怒りがまだ収まらず、ルシャデールは無言のまま席につく。浴室の騒ぎはきっとトリスタンにも聞こえていただろう。しかし、彼はそれには触れず、少しやつれてはいるものの、明るい目をむけて彼女をねぎらった。
「疲れただろう、今夜はゆっくり寝るといい」
 ルシャデールは黙ってうなずいた。
 薄いパンを二、三枚食べると席を立つ。
ふと、カズックのご飯のことを思いだし、骨付きの肉を一本持って出た。給仕係が呆れたように見ていたが、気にしないことにした。
 部屋に戻ると夜着に着替えさせられ、寝るように言われた。メヴリダはまだ機嫌が悪い。言葉のはしばしに棘がある。カズックの肉のことももちろん指摘された。曰く、食べ物をそのまま持ってくるなんて、良家のお嬢様のなさることではありません。乞食の子じゃないんですからね。
 『乞食の子』という一語がルシャデールの癇にさわった。失せろ、くそばばあ! と叫んで追い出す。
「えらくご機嫌じゃないか」
 カズックがどこからともなく現れた。眉根にしわを寄せ、への字口でルシャデールは彼を迎える。
「子供がずっといない家なんだろう。召使たちが珍獣のようにおまえを見ているぞ」
「注目の的ってわけか。ありがたいね」
「ま、仕方がないな。あのやかまし屋のねえさんはおまえの世話をすることで金をもらうんだから」
「ほっといてくれるなら、褒美でも出したいくらいだ」
 怒りが少しずつおさまってくると、疲れを感じた。
「おまえの餌、確保しておいたよ」
 ルシャデールは螺鈿のテーブルを指差す。無造作に肉が置かれていた。
「おまえなあ……カズクシャンのぼろい祠じゃないんだからな。この屋敷でこんなことしたら、あの姐さんにまた……」
 カズックは言い止めた。神は人間に介入すべき時を心得ているものだ。そして、そうでない時も。
「ありがとよ」犬は肉をくわえると、壁からすいっと出て行った。
 一人残ったルシャデールは、まだ眠る気にならなかった。部屋の中は静かだ。
メヴリダとは明日からも顔を合わせるのだろう。でも、うまくやっていくのは無理に思える。
 今までは毎日顔を合わせて付きあっていく人間はいなかった。少なくとも母が死 んでからは。これからはそういう人間が何人もいる。気が重かった。
 今日のことはすでに屋敷中に伝わっているに違いない。とすれば、まだろくに知らない召使も彼女のことはよく思わないだろう。
 トリスタンも今頃あきれているだろう。養女にしたことを後悔しているかもしれない。
(そのうち養子縁組はなかったことに、と言い出すんじゃないか。ま、それもいいか……)
 もう、どうでもよかった。ソファにもたれたまま、ルシャデールは意識を飛ばす。
屋敷の上空へ。満天の星の下、広がる街の灯りは小さく頼りなげだ。孤独な鳥のように彼女の意識は夜空をさまよう。就寝前の祈りだろう。石造りの家々の窓から人々の祈りが立ち昇ってゆく。