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夢幻圓喬三七日

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 げげ、言わなきゃ良かった。なんなんだ『くじらじゃく』って? 師匠は僕の赤面した顔を無視して、十メートルのものを手にしながら
「じゃ、こっちにしとこう。六尺に切ってもらえるのかな」
 うわ、うわ、うわ、それ言ったらフンドシってばれちゃいますよ、ってもう下帯でばれてるのか? それに六尺ってやっぱりくじらじゃくの六尺なんだろうな。何センチなんだ?
 いつの間にか、店の前にいた女の子が後ろに来て、興味深そうに聞いているし、四人の中で僕が一番うろたえているのは間違いない。オバサンは申し訳なさそうに、
「ごめんなさい、うちではやってないんです」
「河井君の家には裁鋏(たちばさみ)くらいあるよな」
「大丈夫です、あります」
 嘘つきました。小さなハサミしかありません、御免なさい。早く帰りたい。この場から消えたい。
「レジへどうぞ」
「河井君頼みましたよ」
 そうだ会計は僕だ。
「サラシ裁てなくてごめんなさい、お詫びにこれどうぞ」
 オバサンはレジ脇にあった栄養ドリンクを二本、サービスしてくれた。
「ありがとうございます、かえってすみませんね」
「いいのよ、懐かしい言葉を聞けたから」
 懐かしい言葉ってなんだ? 下帯か、九寸五分か、六尺か、フンドシは登場してないよな。そばで女の子がニコニコしている。君だって、九寸五分も、くじらじゃくも知らなんいだろ。僕と同じじゃないか。それでもニコッと笑顔で頭を下げる僕は小心者だ。
 手にしたレジ袋の中は六尺フンドシの素(もと)と栄養ドリンクが入っている。なんとも意味深な中身に頬がひくつくのを感じた。

 マンションに戻って風呂をセットして、サラシをテーブルに置く。
「サラシを切るんですよね」
「裁鋏を貸してくれりゃ自分でやるよ。カミさんの見様見真似だが、なぁにそのくらいはわけないよ」
 しぶしぶハサミを見せると師匠はあきれて
「ずいぶん頼り無い鋏だな、裁鋏はないのか、お隣から借りようか?」
「お隣にもないと思いますよ、最近の家庭では使いませんから」
「そうなのか、しょうがないな、じゃそれでやるよ」
 そういうと師匠は正座をしてサラシの端を右手に持つと、両手を広げた。そして、右手を左手にもっていき今度は右手だけを少しのばし、使いずらそうなハサミで左手側を切り始めた。これは聞かずにはいられない。
「それでわかるんですか?」
「自分の寸法くらい知ってるさ、ひと尋(ひろ)半だ」
 器用に四枚の六尺を切り終えて綺麗に畳んでいる
「こんだけ余っちまったから、手ぬぐいでも拵えなよ」
 と言って、一メートルぐらいの残り布(ぎれ)を渡してくれた。手ぬぐいってどうやって作ればいいんだ。
「河井君も使うかい?」
 畳み終えた六尺を指差している。
「僕はさっきお見せしたやつを使ってますから」
「さっきのやつは河井君のだったのか? 俺はまた、河井君の好い人のかと思ったよ」
 と小指を立ててみせた。
「違いますよ男物ですよ。それに彼女の下着は家(うち)にはありませんよ」
 あっ、語るに落ちた。幸い師匠は聞こえないふりをしてくれたようだ。僕は慌てて話題を変える。
「今日の高座着はどうしますか。僕の落研時代の着物がありますが、それにしますか?」
「今日はあたしの初高座だから紋付きを持って行くよ。風呂敷を貸してもらおうかな」
「風呂敷ですか? あるかな。ちょっと探してみます」
 探したらあった。何で風呂敷なんかあるんだろう? そうか、実家を出るとき、何枚かの風呂敷を母親が引越し荷物に入れてくれたんだ。その中から師匠に選んでもらう
「どれにしますか?」
「おっ、今の時代でも唐草が流行っているのか。それにしよう」
 今の時代、ほとんど泥坊コントでしか見かけなくなった唐草模様の風呂敷を、ためらうことなく師匠は選んだ。
「扇子と手ぬぐいは借りとくよ。風呂はこれから沸かすのかい」
「もう入れますよ」
「やっぱり便利なんだな」
 浴室に案内して、洗いものは洗濯機に入れるようにお願いした。もう洗濯機ぐらいでは師匠は驚かなくなっている。電気シェーバーも怖々と使いこなしている。

 師匠は風呂上がりの白湯、僕はミネラルウォーターを飲む。実家へ電話をかけて、父と少し話してから師匠と代わる。携帯電話での話し方は僕を見てて覚えたみたいだ。父の話だと今日は二十人ぐらいは集まるだろうとのことだった。最大一万円だ。ご祝儀も楽しみだが、やっぱり圓喬師匠の高座に接することの期待の方が遙かに大きい。師匠は電話で父に何事かお願いをしている
「ええ、そうで……かいしを・・・そうですね、お茶はおまかせで……ええ、ええ、そりゃぜんぜん、かえってお気を遣わしてまして……では、ごめんなさい」
 携帯を僕にかえす。
「じゃぁ、二時頃には着けるから、母さんにもよろしくね」
 時間を確認して電話を胸ポケットに戻す。
「途中で食事を済ませて手土産を買うとして、そろそろ出ましょう。手土産のお菓子は何にしますか?」
「甘納豆が良いと思うんだが」
 甘納豆? 昨日は文楽師匠の明烏(あけがらす)は聴いたかな? いや、聴いていない

***************
* いまあすこ開けたら甘納豆が
* あったから、ちょいと失敬し
* ちゃった、朝の甘みは乙だね

* 落語 明烏(桂文楽) より
***************

「なんで甘納豆なんですか?」
「片手でちょいとつまめるし、歯には障(さわ)らないし、酒飲みでもたまにはいいもんだよ、それに何より音が出ねえ」
「なるほど、年寄といっては失礼ですが、今日はお歳を召した方が多いですからね。店をちょっと調べます」
 パソコンで美味しそうな甘納豆を売っている店を検索すると、少し遠回りになるが東京駅に良さそうなお店があった
「見つかりました。種類も多そうですよ」
「しかしそのテレビは便利なもんだね」
 パソコンとテレビの違いも説明しないと、両親との会話が心配だ。同じ大学の大先輩ということにしているのだから、大学のこととかも説明しておこう。

 現代の鉄道網と自動改札に驚いている師匠に、東京駅までの電車の中で一通りの説明をした。師匠は周りの目を気にして黙って聞いていたが、大学の説明を聞くと、
「あたしは学校は出ていないんだが、大丈夫かな?」
 その時だけは少し不安そうだった。
 甘納豆の専門店では、色とりどりな甘納豆に、それこそいちいち頷いたり驚いたりして買い物を楽しんだ。小袋に入った商品をいくつも土産に買った。
 昼食の店を探し始めると、ある店に目が止まる。
「カレーライスは食べたことありますか?」
「ああ、あるよ、カレーうどんも食べたことがあるよ」
 あの時代すでにカレーうどんなんてあったんだ。カレーと日本人との繋がりは深い。
「じゃカレーにしましょう」
 そう言って師匠を店に案内する
「これがカレーライスの匂いか、こんなんだったかな」
 昔のカレーってどんな匂いだったんだ、少し不安になる。師匠はメニューを一別しただけで
「こんなにあったんじゃわからないよ、まかせたよ」
作品名:夢幻圓喬三七日 作家名:立花 詢