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短編集46(過去作品)

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オルゴールとすすきの穂



                 オルゴールとすすきの穂


 喫茶「オルゴール」に初めて立ち寄ったのは、ちょうど半年前くらいだっただろうか。真新しいスーツや学生服に身を包み、散りかけている桜並木を歩いている新入生や新入社員の後姿を見ながら歩いていたのを今でも覚えている。
 歩いていて少し汗ばんでくるのを感じていた。四月の上旬は晴れの日が多いが、中旬になると少し雨がちらつく時がある。そうなれば、せっかくの桜も、もう見納めである。散りかけていたとは言え、まだ道が綺麗だったことを思えば、その時はまだ四月の上旬だったに違いない。
 伸江はあまり日にちで出来事を覚える方ではない。季節感で覚えている。体感したことをすべて吸収しようということなのか、それだけに季節感がないと覚えていないことも少なくない。
 だが大抵、覚えていたいことというのは、季節感を感じる時に起こるものだ。逆に季節感を感じないと覚えていたいことも起こらないもので、絶えず季節感を感じるためのものを探していると言っても過言ではない。
 店内には店の名前と同じでオルゴールの音色が響いていた。店に入ってみようと感じたのは、その名から想像するとおり、オルゴールの音色を聞いてみたかったからに他ならない。白壁に塗られた外観からは、優雅な店内が想像でき、さぞや暖かさを感じることができると思ったからだ。その時の伸江は、暖かさを感じていたかった。
 店内に入ると、なるほどオルゴールの音が聞こえてきた。あまり大きくなく、耳障りに考慮した音である。オルゴールの音を聞きながら、昼下がりを優雅に過ごすなど、気分的にゴージャスではないか。
 窓際の席に腰掛け、表を見ながら佇んでいた。少し風が出てきているのか、散りゆく花びらが桜吹雪と化している。
 いつも喫茶店に入ると店の中を観察するよりも、先に窓際に座って表を見ることの方が多い。もちろん窓際が空いていないと仕方がないが、その日は幸いにも空いていたので、表の景色を堪能することができた。
 表が明るいせいか、店内に目を向けると真っ暗で何も見えない。これもいつものことで、却って目が慣れてくるまでゆっくりできる時間を貴重に感じていた。店の女の子がお冷を持って注文を聞きに来る。表からちょうど視線を店内に向けた時だったのは、タイミングを見計らってのことだったのかも知れない。
「いらっしゃいませ」
 ガラスのテーブルに水の入ったグラスの音が響いた。この音は伸江にとって思い出深い音で、喫茶店というと、グラスを置く音を思い出すくらいだった。
 小さい頃に時々父親から連れていってもらった喫茶店。そこはコテージのような店だった。壁には山間の道の写真が大きくパネルとして飾られていて、左右に緑の広がるまっすぐな道を車で走っているような気分になっていた。
 そこで食べたチョコレートケーキが忘れられない。全体にチョコレートがコーティングされているが、さほど甘くなく、上品な味を感じる。ビターな感じが大人の味を思わせ、それまで嫌いだったコーヒーも飲めるようになっていった。その店でチョコレートケーキを食べる時は紅茶と決めていたが、他の店でコーヒーを飲む時、目を瞑ると瞼の裏にその店で見た緑に囲まれたまっすぐな道のパネルが映し出されていた。
 その店で流れていたのはクラシックだった。小学生の低学年では、まだポピュラーソングを聴くというよりも、学校の校内放送で流れているクラシックの方が馴染みは深かった。特に音楽の先生が選んでいるクラシックは、時間帯によって静かなものから賑やかなものへとさまざまなバリエーションがあった。
 昼下がり、ちょうど眠くなる時間帯は休み時間など、静かな曲を流していることもある。本当なら賑やかな曲の方が眠くならずに済んでいいのだろうが、あえて静かな曲にしているのは、
「人間の生活リズムで、静かに佇みたい時間というのは、必要なんですよ。だから邪魔をすることなく、精神を安らかにしてあげるのです。眠くなるという感情は、本当はその人の潜在意識が感じさせるものじゃないでしょうか? 確かに音楽には覚醒効果や睡眠効果などありますが、それよりも自然の恵みに逆らうようなことをしたくないんですよ」
 もちろん、低学年だった頃にそんな理屈が分かるわけはなかったが、高学年になって、実際クラシックを音楽の授業で聴くにあたって、その話を先生がしてくれた時は、おぼろげながら分かってきた気がしていた。
――クラシックにはいろいろな効果があるんだ――
 クラシックというよりも、音楽全般に言えるということに気付いたのは、中学に入ってからだった。
 中学では、秋の遠足シーズンには登山をするようになっていた。近くにちょうどいい高さの山があったので、数人で班を組んでの登山である。
 山は下から見ているよりも想像以上に険しくて、登りながら、
――今自分たちはどのあたりを歩いているんだろう――
 と考えたものだ。
 毎回同じ山に登るので、二度目はある程度分かるかと思ったが、結局最後まで山の全形を理解することができなかった。
 山というものは一直線に登っていくのではなく蛇行するように登るのだから当然ではあるが、その蛇行が距離感と方向感覚を麻痺させてしまうからだろう。
 登りきってしまって山の上から見た下界は、下から見るよりもはるか遠くに見えている。ある程度まで高さを感じるだろうと思っていたが、想像以上の感覚にビックリさせられてしまう。
 そういえば、途中に平原があった。
「この平原が見えれば、目指す頂上までは半分くらいだぞ」
 と言われて、まずは平原を目指した。
 なかなか着かないので、イライラし始めた時に見えてくる平原は思ったより広かった。特に森の中の道なき道を歩いてきただけに、その広さには閉口してしまった。
 森を抜け、目の前に広がる平原は一面すすきの穂が風に靡いている。
「まるで原始時代にタイムスリップしたみたいだな」
 と班の一人が呟いた。
「大袈裟だな」
 と誰もが苦笑していたが、心の中では、
――なるほど――
 と感じていたかも知れない。少なくとも伸江はそう感じていた。
 女の子でも登れるようなコースということだったが、最初に登った時はさすがに分からないだけに想像を超える光景が次々に飛び込んできて、却って疲れを感じさせなかったかも知れない。
 森の中を歩いていて、トンネルを抜けるように先が明るくなってきたのが分かった時、
――中間地点は近いんだ――
と感じた。光は次第に眩しくなり、最後は閃光として目に飛び込んでくる。
――眩しい――
 全員がそう感じたことだろう。真っ白い光景に目が慣れてくると、そこに影を感じるようになる。すすきの穂が風に揺れている証拠だった。
 風を実際に感じると、自分たちが中間地点の平原に出てきたことをやっと実感できる。
 平原から山の頂上が見えた。
――あれ? すぐにでもつけそうなほどだ。これで半分なのか――
 と感じた。
 目の前に頂上が見えている。下界から見た時は、麓に家が並んでいて、山間は綺麗な緑色をしていて、頂上までの道のりを想像することができたが、平原からは、まるで手を伸ばせば届きそうな錯覚に陥ったものだ。
作品名:短編集46(過去作品) 作家名:森本晃次