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第八章 交響曲の旋律と

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 ルイフォンの答えに、イーレオは盛大な溜め息をついた。そして、目線を後ろのメイシアにやる。
「メイシア、お前が俺に提案した『対価』を言ってみろ」
「え……?」
 突然話を振られ、メイシアは戸惑った。だがしかし、ルイフォンの助けになるよう、できるだけ正確に思い出す。
「私は、イーレオ様に忠誠を誓いました。ただ身を差し出すのではなく、イーレオ様のお役に立ってみせますから、と」
「そうだ」
 イーレオが満足そうに笑う。
「お前は半ば、俺の言質を取るようにして、自分に価値があると言い張った。そして、そんな自分を欲しくはないか、と自分を売り込んだんだよ」
「あ……」
 強引なやり口だったと思い出し、メイシアは真っ赤になった顔を両手で隠した。
「俺は、そんなお前に魅了された。だから、お前の『取り引き』に応じた。俺は別に、愛人や娼婦が欲しかったわけではない。『お前』が欲しかったんだ。――言ったろ? 俺は、世界で一番、価値があるものは『人』だと思っている、と」
 イーレオはルイフォンに視線を戻す。
「あの『取り引き』は、メイシアを鷹刀に縛るためのものだ。俺はメイシアを失いたくない。――だから『取り引き』は反故にはできない」
「親父……」
 ルイフォンは絶句した。
 用意した交渉材料は完璧だった。それはイーレオも認めている。けれど、交渉は失敗だ。彼女の価値は、他の何ものにも代えられない。どんな功績も、彼女の価値には敵わない。そんなことは、ルイフォンが一番よく知っている。
「あ、あの、イーレオ様」
 メイシアが、おずおずと前に出た。
 彼女はルイフォンに「すべて任せろ」と言われていた。ただ、一緒についてきて、そばに居てくれればいいと。けれど彼女は、じっとしていられなかった。
 膝をつき、頭(こうべ)を垂れる。いまだ偽警察隊員の殺戮のあとが残る絨毯の上を、長い黒髪が恐れることなく、さらさらと流れていった。
「イーレオ様。私はイーレオ様を尊敬しております。私の忠誠は『取り引き』とは関係なく、イーレオ様にあります。だから、ルイフォンの功績で『取り引き』を反故にしてください。そうでないと、私……私は、ルイフォンと……」
「メイシア、ストップ」
 シャオリエの声が鋭く割り込んだ。
「いい女は、男の顔を立ててあげなくちゃね?」
 アーモンド型の瞳の片方をつぶって、シャオリエは意味ありげに微笑んだ。メイシアは顔を上げ、きょとんとする。
「……そういうことかよ」
 ルイフォンは、溜め息をついた。やっとイーレオの意図が読めた。
 彼は癖のある前髪を、くしゃりと掻き上げた。せっかく綺麗に整えた髪が、いつものように雑に流される。彼はそのままメイシアのもとに寄り、ひざまずいたままの彼女をふわりと抱き上げた。
「きゃっ」という可愛らしい悲鳴。それを無視して、彼女を抱いたまま、彼はイーレオに向き直る。
「総帥。俺はメイシアを伴侶とし、一族に加えます。あなたは、彼女を失うことはありません。だから、あの『取り引き』は反故に――」
 ルイフォンの言葉に、イーレオが満足そうに頷いた。しかし途中で、ルイフォンの瞳が急に鋭くなる。
「――と、いうシナリオにしたかったんだな?」
 ルイフォンの尖った声が、イーレオに突き刺さった。
「なんだ、気に入らないのか? 俺もお前も満足の、名案だろう?」
「どこが名案だ!?」
 腕の中のメイシアをぐっと胸に押し付け、ルイフォンは言い放つ。
「親父。俺は、こいつには自由であってほしいと思っている。鷹刀も藤咲も関係なく、どちらに属するということもなく、だ」
「ふむ」
「俺はこいつに、鷹刀を抜けると言った。だから、俺のところに来い、とな。そもそも俺は――〈猫(フェレース)〉は、鷹刀の協力者であって、厳密には一族じゃない」
 彼は視線でイーレオを斬りつけた。
「平行線だな」
 低い声でイーレオが呟く。
 ルイフォンはくっと顎を上げ、不敵に笑った。それから、腕の中のメイシアの顔を覗き込み、心配するなと目だけで囁いた。
「構わねぇよ。だったら奪い取るまでだ」
 ルイフォンはメイシアを抱いたまま、踵(きびす)を返す。背中で金色の鈴が揺れた。
「鷹刀イーレオ、〈猫(フェレース)〉は斑目を壊滅状態に陥らせた。同じことを鷹刀にもできる」
 背中越しに、ルイフォンは静かに言った。大華王国一の凶賊(ダリジィン)の総帥に、対等な立場で言葉を発していた。
 ――イーレオは、声に出さないよう、喉の奥で低く笑う。
 この息子は、簡単には掌で踊ってくれないらしい。昔からひと筋縄でいかない餓鬼だったが、実に面白い男に育った……。
 人を魅了する人間。予想外の言動で興奮させてくれる人間が、イーレオは愛しくてたまらない。
「脅迫か?」
 努めて低く冷酷な声で、イーレオは尋ねた。
「交渉だ」
 ルイフォンが短く切り返す。
「条件は?」
「あの『取り引き』を反故にしろ。その代わり、俺もメイシアも鷹刀に何かあれば協力する。これで譲歩できないのなら、俺はこのままメイシアをさらい、結果として鷹刀は俺もメイシアも失う」
 これでイーレオは応じざるをえないはずだが、ルイフォンは駄目押しのひとことを加えた。
「一時間後に〈ベロ〉の電源が自動的に落ちるようにセットしてある」
 高度な人工知能が入っていようと、電力供給が止まればコンピュータなどただの筐(はこ)だ。〈ベロ〉を使っているのは主にルイフォンだと思われがちだが、風呂場の湯の温度だって〈ベロ〉の管理下にある。止まれば被害は甚大だ。
「……それは脅迫だろう」
 イーレオが苦笑した。そして頼もしく育った息子の背中に目を細めながら、続ける。
「分かった。ただし、こちらからも条件がある」
「なんだ?」
「鷹刀に何かがあったとき、メイシアが協力するというのは、彼女が自由な身であって初めて可能なことだ。だが、『取り引き』が反故になれば、メイシアは貴族(シャトーア)の令嬢に戻る。果たして藤咲家は、お前たちの仲を認め、彼女に自由を与えてくれるかな?」
 その質問に、ルイフォンの腕の中のメイシアが、彼の胸を軽く叩いた。彼は頷き、そっと彼女を床に下ろす。
「ハオリュウは認めてくれました。両親にはまだ話していませんが、きっと分かってくれると思います」
 メイシアの凛とした声が響く。
「では、こうしよう。藤咲家がお前たちの仲を認めたら、あの『取り引き』は反故だ」
 椅子に背を預け、イーレオは腕を組む。
「分かった。……親父、ありがとう」
 ルイフォンは頭を下げた。メイシアを手に入れるのは当然の権利と思っていたが、それでも自然に頭が下がった。
 彼の隣でメイシアも頭を下げる。窓から差し込む白い光が、彼女の黒髪に祝福のベールを投げかけていた。
 そのとき、執務室の内線が鳴り、ミンウェイからコウレンが目覚めたとの連絡が入った――。


作品名:第八章 交響曲の旋律と 作家名:NaN