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短編集44(過去作品)

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 初めて入る暖簾街、地元だということを忘れてしまうほど、雰囲気の違いを感じる。今から思えばこの横丁も、小さい頃には何もなく、子供の遊び場だった。にもかかわらず、まるで遠くにやってきたような感覚に陥るのもおかしなものだ。
 暖簾街を奥に進んでいくうちに赤い提灯の色に目が慣れてきた。あれだけ新鮮に感じ、初めて入ることにドキドキしていたのが嘘のようだ。
 きっと子供の頃のイメージが頭に残っているからだろう。何もなかったところに現われた真っ赤な色は、あたりの広さを分からなくしている。それだけに、狭く感じられるが、子供の頃の記憶自体が曖昧なものなので、却ってスムーズに足が進むのだろう。
 賑やかな声がそれぞれの店から聞こえてくる。時間的に中途半端だと思っているのは吉塚一人だけなのかも知れない。夕日はとっくに沈んでしまって、漆黒の闇と化した空に向って伸びている真っ白な煙が果てしない空に届くこともなく消えていく。
 梅雨のジメジメした時期も終わり、そろそろ夏本番を迎える。漆黒の闇に消えていく煙を見ながら鼻を突く焼き鳥の香ばしいたれの匂いが食欲をそそる。
 スナックではなかなか腹の足しになるものが食べられるものではない。食事をしにいくわけではないので、ほとんどが読んで字のごとく「つまみ」でしかない。ピーナツやスルメの類で空腹感が満たされるわけもなく、焼き鳥の匂いに惹かれるのも当然というものだ。
 ゆっくり歩いてどこの店に入るか品定めをしていた。すでに、横丁に足を踏み入れた瞬間から、どこかの店に入るつもりでいたので、躊躇はない。どこの店からも賑やかな声が聞こえてくることから、常連で固まっている店が多いことは分かっている。そういう意味では気が引けないわけではなかった。
 右も左も赤提灯、約十軒の店が並んで軒を連ねている。だがよく見て行くと、少し離れたところにポツンと一軒あるではないか。ゆっくりと歩み寄ってみると、中から声が聞こえるわけではない。店の雰囲気も他のところに比べれば一回り小さいような気がするくらいだ。
――縄のれんだ――
 近づいて最初に感じたのは、店先に掛かっている縄のれんだった。珍しいわけではないが、他の店から少し離れたところに位置し、他の店が皆店の名前を書いた暖簾を掲げているにもかかわらず、この店だけが縄のれんなのだ。大いに興味をそそられる。
 そういえば、大学時代に付き合っていた女性と一度だけ呑みに行ったことがあったが、それが縄のれんの店だった。付き合っていたといっても、数ヶ月で別れてしまったので、デートも数回しかしていない。その中で呑みに行ったのが一度だけだったのだ。
 お互いにあまり呑める方ではない。彼女も雰囲気的にお酒を呑むところを想像できなかったが、それでも、
「居酒屋さんって行ってみたいわ」
 という一言で、どこかの居酒屋を探した。
 さすがに一瞬焦ってしまった。馴染みの店を知っているわけではなく、そのあたりに入ればいいのだろうが、常連ばかりで盛り上がっている店に入るのも気が引けるし、何よりもいくら取られるか分からない怖さもあった。
 しかし所詮は居酒屋、金銭的なことは心配いらないだろう。だが、一見さんを嫌がる店もあるだろうし、いきなり入って気分を悪くしたくないという気持ちが強かった。
 そんなところで見かけたのが縄のれんの店、縄のれんなので、中がよく見えた。店の中にはあまりお客さんはおらず、女将さんが中に入って仕込みをしたり、焼き鳥を焼いたりしていた。
 彼女と目を合わせると、頷いたので中に入ったが、想像以上に明るく広い店内であることを、表から見ているだけでは分からなかった。
 店の雰囲気は上々である。焼き鳥もおいしく、何よりも落ち着ける雰囲気を醸し出していた。
 何を持って落ち着けるというのか分からないが、一人で入ったとすれば、常連になってみたいと感じたことだろう。しかし、もう一度この店を訪れる前に彼女とは別れてしまったので、彼女との思い出になるようなこの店に、もう二度とやってくることはなかった。
 別れも突然だった。
 理由についても尋ねてみたがハッキリと教えてくれない。
「あなたといると重荷なの」
 これが理由らしいが、何一つ具体的な理由ではない。しかし、彼女にしてみればこれ以上具体的にどういえばいいか分からないようで、気持ちの中が漠然としていたのだろう。
――男と女というのはそういうものなのかも知れない――
 なかなか割り切れない頭の中で自分に言い聞かせてみるが、それに対しての回答が得られるわけでもなかった。
――何を持って重荷というのだろう――
 それは今でも分からない。付き合い始めは、どちらかというと彼女の方が積極的だった。遊びにいくにしても主導権は彼女が握っていて、吉塚は彼女を好きなようにさせて、それを見ているのが楽しかったのが最初だった。
――まるで妹のようだ――
 女姉妹のいない吉塚にとって、彼女は「彼女」であり「妹」でもあった。それが次第に「彼女」としての思いが強くなってくると、少しずつ相手の気持ちが分からなくなってきた。
 女性と一緒にいて楽しい時期しか知らずに、いきなり別れを告げられるのも辛いが、付き合っていれば、楽しいだけではないこともいっぱいあるに違いない。もし、今度誰かと付き合うとすれば、そんな付き合い方をしてみたいと思っていたのだが、なかなか今度は出会いがない。
「出会いなんて、どこにでも転がっているさ」
 会社の同僚には言われるが、その言葉自体に信憑性を感じないのだ。
「縄のれんのお店って、風流でいいわね」
 店の中では風鈴が鳴っていたのを覚えている。静かさを売りにする店のようで、客は何人かいたのだが、騒ぐ者は一人としておらず、静かに呑んでいた。会話をしていても、なぜか響いてこないのはなぜだろう。セミの声や、川が近くにあったこともあり、せせらぎのような音まで聞こえていた。
 さすがにいつもは騒がしい彼女も、その時だけは場の空気をしっかりと読んでいて、静かにしていた。吉塚同様、聞こえてくる自然の音を楽しんでいるかのようで、横顔をじっと見ていて微笑ましさを感じてくる。その中でも風鈴の音が次第に大きくなってくるのにお互い気付いていたのか、表に出てから、
「風鈴の音が素敵だったわね。だんだんと大きくなってくるような感じがしてきて、最後は耳から離れなかったくらいだわ」
「また行ってみたいね」
 その言葉に黙って頷いた彼女の顔が今でも思い出される。それだけに、それ以降行ってみようと思わなかった。
 近くまで行ったことはあったが、角を曲がるまでは行かなかった。最初に入った時、どうしてその角を曲がろうかと思ったのかも覚えていない。どちらからともなく曲がってみようと声を掛けたようにも思える。曲がって居酒屋がありそうなところでもなかった。住宅街の角、普通そんなところにあれば、本当の常連しかいない店のはずだ。よく入ってみようと思ったものだ。
 だが、その時の角が、何となくここの横丁への入り口に似ていると思ったのは気のせいだろうか。住宅街と飲み屋横丁の角、何か共通点でもなければ気付かない。
作品名:短編集44(過去作品) 作家名:森本晃次