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短編集44(過去作品)

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縄のれん



                 縄のれん



 その日吉塚四郎は、東京から出張してきた田中部長を接待するため、仕事を定時で切り上げていた。会社ご用達のスナックが近くにあるので寄ったのだが、出張でやってきた人はあまりアルコールが飲める方ではないらしく、早々とビジネスホテルに引き上げていった。
「吉塚さん、申し訳ない。私はこれで」
 当たり前のごとく店を出ようとする田中部長の後姿に凛々しさを感じた。中には酔い瞑れてどうしようもない人もいるので覚悟をしていたが、まったくそんな心配はない。却って拍子抜けしたほどで、
――これほど紳士な人もいるんだな――
 と垢抜けした男の背中を感じていた。
 地方だから、東京だから、というわけでもあるまい。人間ができているできていないということなのだろう。
 田中部長は国立大学を出て、エリートコースを歩んでいる人だ。会社的な規模は全国に支店を設けてはいるが、それほど大きな会社ではない。少なくともネームバリューは全国区ではない。
「田中部長は、社長が引き抜いたらしいんだ」
 という話を聞いたが、一流企業に勤めていてヘッドハンティングにあったのであれば、納得がいく。そんな人物の接待を仰せつかった吉塚は、田中部長に会うまでは、心中穏やかではなかった。
――失礼があってはことだ――
 会社ご用達の店以外にも、もっと高級店をと考えたのだが、それではあまりにも自分に不釣合いだ。それならば馴染みのお店で、気心知れた人たちに気遣ってもらう方が、うまくいくと考えたのだ。
 田中部長を宿に送っていったのは、想定していた範囲をさらに超えた午後八時である。せめて九時は過ぎるだろうと思っていただけに、拍子抜けという言葉がピッタリだ。
 午後九時を過ぎていれば、そのままもう一度スナックに戻って飲みなおそうと考えたに違いない。だが、気分的に中途半端だった。せっかくだから早く帰りたいという気持ちも働き、スナックまで戻ろうという気がしなかった。しかも、
「今日は大切な接待なので、皆よろしくね」
 と言って、張り切って迎えてくれようとしていた店の人に申し訳ない思いでいっぱいである。
 田中部長をホテルまで送ると、後は会社に戻る気分にもなれず、そのまま帰宅することにした。
――早く帰っても何もないのに――
 と思いながら駅に向かうと、後は気がつけば電車に乗っていた。何かを考えているようで上の空、考えていたことも覚えていない。時々そんな状態に陥ることがあるが、きっとそれは毎日通っている通勤路だからだろう。
――見ているようで見ていない――
 そんな状態だったりするのも、日頃から考えごとをしながら乗っているからだ。その時々で内容は違っても、考えているという行為には変わりがない。マンネリという一言で言い表せないかも知れないが、気がつけば自分の世界に入っていることには違いない。
 いつも同じ車両に乗るのは、駅を降りてから出口に一番近いところに乗るからだ。ラッシュの時など、他の人に混じってダラダラ歩きたくないという気持ちの現われで、別に急いでいるわけではない時も、ついつい出口の近くに乗ってしまう。
 習慣になっていて意識していないということも、えてして多いものだ。その時々で気付くこともあるが、ほとんどは生活の一部となっている。いつの頃から身についてしまった習慣なのか覚えていないことも多いが、最初は子供の頃からだというのが多いはずだ。
 それを思い出そうとすると、最近のことだったのではないかと思えるところが感覚のずれなのだろう。習慣だけが毎日繰り返されている平凡な暮らしをしていた時期もあったはずだ。今から考えれば懐かしい時期でもある。
 就職して五年が経った。仕事において、第一線では中堅クラスと言っていいだろう。自分のした仕事がすぐに結果となって現われる。一番楽しい時期なのかも知れない。仕事において自己満足もある程度必要ではないかと思っている吉塚にとって、結果がすぐに現われるのは、そのままやりがいに繋がってくることが嬉しかった。
 自己満足ということば、あまりいい意味に使われることはない。しかし、
――自己満足なくして、何を満足と判断できるか――
 と思っている吉塚の考え方は、誤解を受けやすいものかも知れない。そのため、なるべくその考えを表に出さないようにとしているが、心のどこかにあるためか、人から見ていると分かるところがあるようだ。だが、それも細かいところでは少し違うのかも知れないが、同じような考え方を持っている人には分かるようだ。
「自己満足っていうから、何かわがままな考えに見られがちなんだろうね」
 と言われて、
「そうそう、決して自分本位だというわけではないんだ。ただ自分が満足できないってことは、自分の信念を貫けなくて、何をやっても自信のない人間になってしまうからね」
「ナルシストなのかな?」
「それは否定できないね。僕は自分自身でナルシストだと思っているよ。人間、大なり小なりナルシスト的なところを持っているような気がするよ」
 大学時代に付き合っていた女の子から、
「あなたって、少しナルシストなのね」
 と言われてドキッとしたことがあった。しかし、吉塚にナルシスト的なところがあることを最初から分かっている上で付き合ってくれていたのだから、あながち自己満足という考え方が分からない女性ではなかっただろう。
「ナルシズムが悪いってことはないだろう。だけど、変に力を持っている人には感覚を麻痺させるものなのかも知れないね」
 そんな会話を酒を呑みながら大学時代に友達としたものだ。お互いに歴史の話が好きなので、歴史に基づいての話をするとよく分かった。そういう話をまるで昨日のことのように思い出すのは居酒屋を覗いた時に多く、今は個人的に常連の店を持っているわけではないので、
――常連になれる馴染みの店を持ちたいな――
 と常々考えている。
 そのお店は居酒屋でいいのだ。
 帰宅途中、駅を降りてから家までの徒歩の間に、居酒屋がいくつか軒を連ねている。朝と夜とではまったく違った顔を持っているところ、まさしくそんな表現がピッタリだ。通勤の時に気にしたこともないのは、匂いに誘われることがないからだろう。それでも夜になると、いつも焼き鳥のおいしい匂いに誘われて空腹感を何とか我慢していたのは、仕事が充実していたので、満足感だけで満腹状態になっていた。
 しかし、満腹状態の中には上司や会社の方針に対しての憤りが隠されていることになかなか気付かないでいた。時として会社にいれば利益を上げるために、理不尽なこともあるものだ。それを当たり前のこととして割り切っている人も多いだろうが、割り切る以前に仕事の楽しさと充実感で、そこまで気付かないでいた。
 居酒屋が並んでいるあたりは横丁になっている。足を踏み入れなければ横目に見ているだけで、誘惑に勝つことができる。だが、一旦気になってしまうとこれほど気になるものはない。中途半端な気分が赤い提灯によって火をつけられたのか、思わず迷い込んでしまった。
 まるで行ってはいけないと釘を刺されたところに足を踏み入れているようだ。駄目だと言われればしてみたくなるのも人間の性というものだろうか。
作品名:短編集44(過去作品) 作家名:森本晃次