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短編集43(過去作品)

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 動かすことのできない身体で見ることができるのは、天井と、入り口の方向だけである。入り口の方向にあらかじめ身体を傾けてくれていたのだ。これも治療の一環なのだと看護婦は話していたが、点滴を打っている腕を浮かせるためであろう。
 そしてまた眠ってしまった。
 気がつけば伊崎先生と数人の看護婦のシルエットが見えた。
 扉が開くと、伊崎先生がシルエットになっていて、その後ろには影のように見える看護婦が立っている。皆マスクをしているが、確認できるのは顔だけだった。
「では始めます」
 声は聞こえるが顔を確認できない。白衣の白さだけがやたら目に飛び込んでくるようで、顔を初めとする白衣以外の場所はすべて影に見えた。
 強い光による逆光であった。いくつもの光が集中していて、気が遠くなりそうだ。いや、実際に意識がない中で想像だけが先走っているのかも知れない。
 看護婦にしてもまだ顔を確認できない。じっと二人に集中していたが、ふと顔を天井に向けると、今までに感じた天井よりも少し高くなっていた。
――さっきまでと同じ部屋のはずなのに、どうも違うように感じるのはなぜなんだ――
 不思議だが、確かにさっきは窓があったような気がしていたのだ。窓がなくなっていると思った瞬間、違う部屋だと確信したといってもいい。
――記憶違いだったのでは――
 と何度も自分に言い聞かせてみたが、もし記憶違いだということで納得してしまったら、自分が自分ではなくなってしまうようで、考えを否定できない。今ベッドで横になっている自分は、ここに運ばれてくる前の自分のことを知っているようで知らない。ここからがすべての始まりだと思っている。
 意識が遠のいていく、もうここからは、完全に夢の中での想像であろう。
 見舞いに来てくれた久子にしても記憶の中には存在していた。だが、実際に会ってみて会話してみて、相手が本当に以前の自分だという認識でいてくれていないことは分かった。坂下自身も久子に対しての記憶はあるのだが、感情が湧いてこない。
――本当にこの人を愛しているのだろうか――
 彼女が帰った後、感じたほどだ。
 久子は坂下が記憶を失っていると思っているに違いない。坂下自身もなぜ自分が断崖絶壁にいて、気がつけば病院のベッドで横になっているのか分からない。
 気がついたり、気を失ったりの繰り返しである。よくなったかと思っても病状としては一進一退だったようだ。痛みがなくなるということはなかったが、痛みを麻痺させる努力だけはしてくれていたようだ。
 家族が見舞いに来てくれたという記憶はなかったが、よく考えてみれば、意識が遠のいていく中で、母親の声を聞いたような気がする。忘れてしまいたい内容を話していた。それも涙を流しながら、それは覚悟している涙だった。家族だけが坂下の運命を知っていたのだ。
――ああ、だんだん思い出してきた――
 久子という女性、あまり信用できる女性ではない。
 以前、会社の同僚と浮気をしていたことを発見した。発見したのは偶然ホテルから出てくるところを見かけたのだが、もちろん、二人はそんなことは知らないだろう。ウソがつける性格ではない坂下の表情から、久子にも浮気がバレたことが分かっていたかも知れない。
 病院に運ばれた坂下を見舞った時の表情も、浮気に気付いてそのことで自殺を試みたと思い込んでいるかも知れない。実際坂下は久子に対しての感情は強く、自殺もしかねないほど惚れている。坂下は小心者で、久子が自信家であるという性格から、自殺という二文字が現実味を帯びてくると考えたとしても無理な発想ではない。
 だが、もっとも久子が考えているほどに坂下は小心者ではない。まして、自信家である久子の性格を知り尽くしていることから、
――自殺など敗北だ――
 とも考えていただけに、そんなことで自殺を企てるはずもなかった。
 ではどうして断崖絶壁にいたのだろう?
 もっと他の理由があったに違いない。
 断崖絶壁に行ったのは、きっと無意識だったのだろう。足が震えていたという記憶もない。ただ、何かの覚悟を持って真っ暗な海を見ていた気がする。最初はすぐに帰ろうと思っていたのに帰ることができなくなっていた。足に根が生えたように動けなかったのだ。
 最初は久子のことでショックを受けて断崖から暗闇を見ていたのだろう。行ったのは無意識であっても、見えている光景は果てしない暗闇、悪い方にしか考えられなくなっていた坂下は、暗黒の世界を見ることですべてを吹っ切ろうとしたに違いない。だが、それがままならず、最後には閃光を見てしまった。そして存在するはずのないオーロラが見えた……。
 一度本で読んだことがある。ある種族の言い伝えの中に、
「オーロラというのは、そう簡単に見ることのできるものではない。実際には南極の近くでしか見ることのできないものだ。だが、人は一度はどこかで見ることができる。それは死を目前にした人である。白い閃光とともにオーロラが見えれば、それはその人への運命の暗示である……」
 そんな本を読んだことすら忘れていた。一体自分はどうなってしまうのだろう……。

 扉の上の赤いランプが消えた。それを見て三人の男女が立ち上がる。中からベッドが運ばれてきて、白衣にマスクをつけた医者が、神妙な面持ちで出てくる。
「お気の毒ですが……」
 下を俯いたまま、それ以上の言葉はない。啜り泣きが聞こえるが、そのうちの一人が後の二人に言い聞かせる。初老の女性だった。
「最初から分かっていたことじゃない。この子はよくここまで頑張って生きたわよ。余命半年と言われながら、一年半も生きてくれたんだものね」
 啜り泣きが号泣に変わる。
 ベッドは顔を覆ったまま、暗闇の部屋へと運ばれていった……。

                (  完  )

作品名:短編集43(過去作品) 作家名:森本晃次