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短編集40(過去作品)

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 鬱状態というのは、夜と似ている。夕方の一番空がオレンジ色に染まる時間帯から、急速に深まっていく闇、その間に哀愁が、鬱状態へと変わっていくようである。
 鬱状態へ陥る時というのは分かるものだ。ふと我に変えると、自分が今どこにいて何をしているか分からなくなることがある。そんな時に感じるのが鬱状態への入り口なのだ。
 唇が乾燥してきて、喉がカラカラに渇いてくる。足のむくみを感じるが、まるで子供の頃に感じた夕方のようだ。
 しかし夕方と決定的に違うのは、襲ってくる闇が塵や埃を蹴散らしているような感じではない。それこそ何が次に待っているか不安に襲われる瞬間瞬間が迫ってくるのである。
 手足の痺れがそれを表している。微熱が続いた時のような感じなのだが、続いていてもカサカサに乾いた指先がなかなか元に戻ろうとしないのだ。
 鬱状態に陥る期間はいつも決まっている。
 ほとんど二週間から三週間、長くとも一ヶ月ということはありえない。自分の中で鬱状態を作ってしまって、自分で抜け出そうとしているからなのか、いつも期間に変わりはない。
 時間という感覚で考えればどうなのだろう?
 その時はなかなか抜け切らないのだが、抜けてしまえばあっという間だったように思う。しかし、まるで夢を見ていたように思えるのは、鬱状態での行動が自分の考えの及ぶ範囲だからだろう。普段であれば、想像の世界だけで妄想することもあるのだが、鬱状態ではそうもいかない。想像できない分、終わってしまえばあっという間に感じるのも無理のないことだ。
 木造家屋に住んでいる人の想像はついていた。一度見たことがあったが、どうしてあそこまで髪が乱れているのか、子供心に分からなかった。
 変な匂いを感じた。それは体臭というわけではなく、それこそ石をかじった時のような匂いだった。
――雨でも降るのかな?
 と感じたが、そうではない。空気が湿気ている時の感覚だが、それにしては、目の前に見える信号機の色がやけに原色に近い。目がはっきりと見えている時の感覚である。
 昔の記憶にある本で、とても恐ろしい体験をした人の髪が、一気に白くなっていくという話を読んだことがある。人間の限界に挑戦したような内容で、最後までまともに読めなかったような記憶があるが、
――自分だったらどうだろう?
 と、怖くて想像できない頭で必死に考えていたように思う。
 まるでゴマシオのような頭は、その途上であって、このままやつれていくのを見てみたい気もしているが、反面恐ろしいのである。
 髪の毛が一気に白くなるほどの経験などしたいとは思わない。想像もつかないことに対し興味を持っている人もいるようだが、考えただけでも恐ろしい。
 時々、木造家屋を覗いている人がいる。その人が気になり始めたのはハッキリと覚えている。何しろその住人が、
――もうすぐ死ぬのではないだろうか?
 と感じ始めた頃だったからだ。
 その人の死が近いことを感じるのは、相手の、あるいは自分の身体に変調が起こったりするからではない。何かのきっかけがあって感じることである。偶然かも知れないが、屋敷を覗いている男を気にし始めてから、屋敷の人の死が近いことを悟ったのだ。
 覗きこんでいる男は、年齢的にまだ二十代前半くらいだろうか。まさか学生ではないだろうが、学生でも通るくらいのあどけない表情をしていた。
 小柄なその男は、少し筋肉質で、背は高いが、痩せこけてしまっている屋敷の住人とは雰囲気も違っている。接点などありえない雰囲気なのだが、お互いの何か共通点を探していることに気付いてハッとしてしまっていた。
――その男にとって、屋敷の住人はどのように写っているのだろう――
 真面目そうな雰囲気で、苦労も知らずに育った「お坊ちゃん」の雰囲気すら漂っている男は、紳士というよりも、まだ子供っぽさが残っている。世間ずれしていないところが魅力なのだろうが、屋敷の住人に興味を持つなど、自分で自分に汚点をつけてしまったように思える。
 男が覗き込んだ時は、中に誰もいないのだろうか? しきりに覗き込んでいるようなのだが、男は中に入ろうとは決してしない。男があきらめてどこかへ行ってしまってから、屋敷の住人が帰ってくるのだが、その頃は別に体調が悪いというわけではなかった。
「あの人、もうすぐ死んじゃうんだよ」
 などと口が裂けても言えるはずもない。心の中で思っている自分が、不謹慎なだけなのだ。
 だが、本当にその人は死んでしまった。自分の中でカウントダウンが繰り返され、それこそ偶然ではないかといわれればそれまでだが、一番は自分自身で信じられない。
 カウントダウンは石田氏のまわりで起こる。例えば新聞の「九」という数字が大きく見えたかと思うと、次の日には、電車の中の中吊り広告の「八」だったりする。何度も同じカウントダウンを経験している今でさえ信じられないのに、最初である木造屋敷の住人の時には、本当に身体に何かが宿ったのではないかと思えるほどの気持ち悪さだった。
 小学生の頃、結構ミステリーが好きで読んでいた。子供向けの本が図書館にも置いてあったので、借りてきて読んだりしたものだ。ミステリーの内容はトリックを駆使している内容というよりも、どちらかというと、不気味なドロドロした怪奇を前面に押し出した小説であった。その作者はミステリーはおろか、ホラーやサスペンスについても独自の考えを持っていて、それぞれに代表作があった。
 カウントダウンは石田氏がちょうど、脅迫から始まるミステリーを読んだ後だったからたまらない。小説の世界だけだと思っていたのが、実際に自分のまわりで起こるなど考えられないからだ。
――ひょっとして、皆同じような能力があるのでは?
 カウントダウンを感じていて、それを言葉に出すことをタブーとしている。
――人に言うと笑われてしまうんじゃないか――
 という考えの人もいるだろう。だがそれはまだいい方で、
――誰かに言うと、次は我が身だ――
 と考える人もいるだろう。石田氏などは完全に後者の方で、ジンクスめいたことを信じたくないくせに、一番気にするような性格である。
 小学生の頃といえば、よく怪我をしていた。ワンパクといえばそれまでなのだが、木に登ったりしていて、枝が折れて背中から落ちて、そこに石があったなど、偶然が重なって苦しい思いをしたこともあった。
 一瞬呼吸が止まってしまう。そんな時に感じるのが、
――石をかじった時のような匂い――
 だったのだ。
 今でこそ、壊れかけの屋敷だが、きっと昔はこの辺りでは御殿のような佇まいを見せていたのだろう。伯爵のような人が住んでいて、白い髭に白髪で、白いガウンを羽織ったような紳士が庭を散歩している姿が目に浮かびそうである。
 屋敷を覗いていた青年は、まるで昔の書生のようないでたちに見えなくもない。あどけない表情なのだが、表情があどけないからといって、何も考えていないとはいえないだろう。書生を続けながら、
「いずれは自分がこんな屋敷の主人になってやる」
 というくらいの気概があるかも知れない。昔の人のことに思いを馳せるのが好きな石田氏は、青年の顔を思い出しながら思ったものだ。
作品名:短編集40(過去作品) 作家名:森本晃次