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短編集39(過去作品)

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見かけ




                      見かけ


 鍵穴に鍵を差し込んで回す時、何となく淫靡な気持ちになってくるのは、おかしなものだ。穴があればそれを満たしたくなるのはオトコとしての性なのかも知れない。
「お前は欲求不満なんじゃないか?」
 と言われそうだが、否定できない自分がいるのも事実である。
――オトコは包まれたい。オンナは満たされたい――
 と思うのが本能としての心理だと話していた人がいたが、まさしくその通りではないだろうか。だからこそ人を好きになるのだ。隠しておきたい感情があるのも事実、しかし、本当に求め合うほどの気持ちになれば、そこに恋愛感情を超越した本能が存在するのだろう。
 有働という男は三十年生きてきて、そのことにやっと気付いたような気がする。だが恋愛感情と本能が共存できないことを知り、虚しさが残ってしまったが、身体だけは忘れることはないはずだ。それだけ有働にとって、不可思議な出来事だったのだ。
 そしてそこには「見かけ」が存在しているのだった。

 三十歳を迎えるに当たって、それまで住んでいたアパートが手狭になってきた。どこかに引っ越そうと考えていたが、ちょうどいいことにマンションという物件で、手頃な値段で借りることのできる部屋があると不動産屋から聞かされた。さっそく見に行って、即答でその部屋に決めたのだが、難点は少し古いということくらいだろうか。他にも住んでみれば不便な点も見つかるかも知れないが、それはどこに決めてもまったくないことだとは言えない。
 部屋も二LDKで、一人暮らしには十分である。少し古くなっていることが気になったがそれも問題ではない。
 マンションから駅までの道のりは徒歩で十五分。
「自転車を買えばいいじゃないか」
 と言われるが、自転車に乗るには中途半端な距離で、駐輪場に止める時間、鍵をつける時間を考えると、歩く方が却って早いかも知れない、しかも雨が降れば徒歩になる。それならば最初から徒歩がいい。
 途中にコンビニエンスストアーや、小さなスーパーもあるので、買い物には困らない。銀行も郵便局もあり、暮らすにはまったく不自由のないところだ。
 会社までも電車で三十分、余裕を見て自宅から一時間もあれば通勤できる。十分な通勤圏内である。
 マンションの近くには小学校がある。朝出かける時には、小学校からクラシックの音楽が流れてきて、元気に遊んでいる子供の声も聞こえてくる。賑やかな中でのクラシックの音色は、慌ただしさを忘れさせてくれそうでありがたい。
 だが、さすがにマンションというとどこでもそうなのだろうが、近所付き合いは思うようにはいかないようだ。特に男の一人暮らし、普段の昼間家にいるわけではないので、近所の人の顔を見ることもない。ごみ捨ての日、情けなさそうな顔で出勤ついでにごみを担いでくるご主人さんのバツの悪そうな顔を見るくらいだ。
 奥様連中が強いのか、男が弱いのかは定かではないが、
――絶対に自分はあんな亭主にはならないぞ――
 と心に決めていた。しかし、相手の男性を見ていると話しかけにくいのも事実で、気阿引ける自分を顧みると、その自信も徐々に薄れていくのを感じていた。
 まだ結婚どころか、相手もいない有働にとって家庭における男性への見方は大きく二つに別れていた。三行半で女房を従わせる、昔ながらの大黒柱と、奥さんにいいようにあしらわれ、
「亭主元気で留守がいい」
 と言われても、ただ頑張って働き続ける亭主である。
 その中間も存在するのだろうが、どうもピンと来ない。結婚したいと思いながら真剣に相手を探さないのは、そんな気持ちの表れかも知れない。
 大学時代に、そのどちらも想像できない友達がいたが、彼は結婚しただろうか?
「お前が一番最初に結婚しそうな気がする」
 と皆から言われていたが、その根拠が分からずに有働はいつもその話を聞いては、頭を傾げていた。
「だけど、俺はお前が一番最初に結婚しそうな気がするな」
 と彼からは言われていた。根拠としては、
「妥協する前に、いい人が現れるとすれば君だけのような気がするんだ。根拠というよりもただの勘だけどな」
 彼の勘が鋭いことは皆周知のことだった。他の人なら「勘」という言葉を口にすれば呆れるのに、彼に関しては誰も文句を言わない。彼の近くにいてジンクスにしようと真面目に考えているやつもいたらしいから笑ってしまう。
 本人からすれば真剣なのだろう。笑ってはいけない。だが、元々勘を信じる方ではない有働には、何とも言えなかった。
 前に住んでいたアパートから引っ越した理由はいくつかある。有働自信、それほど木造アパートであっても、それほど気にするタイプではなかったのは、近所づきあいもなく、部屋にいる時間が少なかったからだ。
 そして最大の理由は、
――騒音が少ないところに住みたい――
 ということであった。
 二十歳代というと、仕事ばかりしていた。平社員というと、残業手当もしっかりもらえたこともあって、仕事をすればするほど見返りがあったのだ。しかし、二十七歳で主任に昇格、今度は係長という話も出ている。係長になれば残業手当はほとんど出ることもなく第一線の仕事から少し下がったところになるだろう。
――残業することも少なくなるかな――
 と思うようになった。現在係長は一人いるが、その人もあまり残業することもない。それを見ていると、三十歳代は自分の時間を大切にする時間に思えてくるのだった。
 幸い有働には大学時代から本を読むのが好きだった。空いた時間、ずっと本を読むということはないだろうが、少なくとも自分の部屋にいる時間は長くなることだろう。
――読書をしていると眠くなる――
 とよく言われるが、以前はそれほどでもなかった。もっとも学生時代と今とでは環境も違うし、仕事で疲れて帰ってきて本を読むのだから、眠くならないとは言い切れない。
 木造家屋の一番の欠点は、音が漏れることである。騒音や振動は気にしなければそれほどでもなかったが、何かに集中したい時や、眠たくて眠りに就くか就かないかの寸前引き戻されるのは溜まったものではない。読書をしている時などまさしくその状況である。
 読書には集中力が必要だ。何となく読んでいるだけでは、なかなか頭に入らない。一旦集中して自分の世界を作り、その中に入り込んでしまえば後は集中力を必要としない。そこまでに集中力を削ぐようなことをされると、一気にストレスが爆発してしまいそうになる。引越しを考えた最大の理由は集中力を削がれるのが嫌だったといっても過言ではないだろう。
 残業手当をもらって、あまり使っていなかったはずなのに、あまり貯金がなかった。元々使うお金に執着するわけではなく、細かいお金は使っていた。外食もその一つだし、会社で喉が渇けば、ジュースを一日に何本も飲んだりしていた。金銭感覚が甘いと言わればそれまでだが、残業手当が入るという気持ちから、甘めになっていたのも事実である。
 金銭的に困窮するようなことはないが、それほどお金に執着しない。それも二十歳代という若さからかも知れない。
作品名:短編集39(過去作品) 作家名:森本晃次