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夕霧

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2 創業者


 この小高い山々に囲まれた町の住人のほとんどは、稲村繊維株式会社の関係者だ。稲村繊維がなければこの町は成り立たないと言っても過言ではないだろう。
 その稲村繊維の創業者稲村徳次郎は、この会社を一代で築き上げた。今年八十三歳になる徳次郎には、二人の娘と一人の息子がいた。三人の父親である徳次郎は、威厳に満ちたその風貌通り、家では暴君そのものだった。妻は口答えひとつせず夫に従い、娘たちも決められた相手に嫁いでいった。もっとも、この家から逃れられるのなら、たとえ政略結婚とわかっていても喜んで出て行ったに違いない。
 
 そして残された長男涼介も、父の決めた相手を嫁にした。当然のことだが関係先の社長令嬢だ。もちろん反発する気持ちもあったが、その頃は仕事を覚えるのに必死だったし、見合いした妻は意外にも親の威光を笠に着るような女ではなかった。
 やがて、町を挙げて大々的に結婚式が行われた。町長を始め、肩書の付く者はほとんどが出席した。当日、会社はもちろん休みとなり、ここ一帯だけがまるで祝日のような一日となった。
 結婚してすぐ、二人の間に子どもが生まれた。男の子だった。徳次郎がさぞ喜ぶだろうと、涼介は嬉々として報告に行った。ところが、その第一声は耳を疑う言葉だった。
「もう、子どもは作るな」
「何言ってんだ、父さん! まだ一人目だぞ。兄弟がいなくちゃ――」
「わしの言うことが聞こえんのか! 男の子ができたらもう子どもは要らん。わかったな」
「いくらなんでもそれは横暴だ。俺たち夫婦が決めることだ!」
「女なんて生まれてもなんの役にも立たん。まして男が生まれたらもっと大変なことになる。身内が割れ、会社が壊れるのだ。
 お前は普通のサラリーマンの家庭に生まれたわけではない。わしの子としてこの家に生まれた以上は後継者を作り、引き継ぐのがおまえに課せられた使命だと思え」
「父さんの言っていることはめちゃくちゃだ! それじゃ、俺が先に生まれていたら、姉さんたちはいなかったということになるじゃないか!」
「その通りだ。男が生まれるまで、わしは何人でも子どもを作り続けるつもりだった」
「ついてけない!」
 
 そんなやり取りの後、しばらく気まずい空気が流れたが、広大な屋敷のおかげで、同居していても徳次郎と若夫婦が顔を合わせることはあまりない。互いに例の話題に触れることなく、変わらぬ日々を過ごすことができた。
 たまに涼介は息子の太郎を見せに行くのだが、徳次郎は抱き上げることもなければ、声をかけることもなかった。だが、孫の動きをじっと見つめ、それなりに可愛さは感じているようだった。そうでも思わなければ涼介は居たたまれない。
 だが、夫婦で太郎を連れていくと、徳次郎は妻の貴美子に言って、菓子などを持ってこさせた。徳次郎でも嫁の幸子には多少気遣いをするようだった。貴美子もそんな時は輪に入って、太郎を抱き上げたりして楽しそうだった。
 
 ところが太郎が三歳になった頃、涼介の妻、幸子が次が欲しいと言い出した。当然の申し出だ。しかたなく、涼介は妻にこれまで伏せていた父の意向を告げた。これを言う日が来ないことを願っていたが、それは無理なことであるとわかっていた。
「幸子、聞いてくれ。実は……太郎が生まれた時から父さんに言われていたことがある。今後二人目を望むのなら、男の子が生まれた場合、養子に出す覚悟で生むようにと」
 信じられない夫の言葉に幸子は呆然とした。
「あなた、本気で言ってるの?」
「俺だって、それを言われた時は耳を疑ったよ。正気の沙汰じゃないとも思ったよ。でも父さんは本気だ。逆らったら俺たちをこの家から、そして会社からも追い出すだろう」
「そんな……父に相談してみるわ」
「いくらお義父さんの意見でも、この件に関しては聞く耳など持たないさ。そう、誰の言うことも聞きやしない」
「だからってあなたはそのお義父様に従うというの? 私、子どもを養子に出すなんて考えられない!」
 これがきっかけで、夫婦の間に亀裂が入ることを涼介は怖れていた。そのためこうなった時のことを思い、涼介は考えに考えて、ある決断を用意していた。
「俺だってそうさ。幸子、この家を出よう。もちろん、稲村繊維もだ。
 お前も知っての通り、俺は並外れた暴君である父に、出来ない我慢をしてこれまで何とか従ってやってきた。姉さんたちのように嫁に行くことでこの家を出るというわけにはいかなかったからな。
 お前との結婚もあの父が決めたことだが、唯一それだけは感謝している。でもそれも、たまたまお前が気立てが良かったというだけで、父が選んだのはお前の実家なのだから、感謝に値しないかもしれない。
 そんな父さんももう歳だ。少しは人間が丸くなるかと思っていたが、どうやら逆のようだ。一段と頑固になってきた。
 特に、今回のことは俺だって絶対受け入れられない! 受け入れられるはずないだろう? 俺たちの子どものことまで支配されたのではもう無理だ。
 父さんの意向に逆らうのだから、無一文で放り出されるかもしれない。これまで、あんな父さんの元で耐えてきてもらって君にはとても感謝している。それなのに、今度は暮らしの苦労をさせることに……本当に申し訳ない。でも、俺についてきてくれるか?」
 妻は、涼介の目をじっと見つめ、こう答えた。
「あなた、しばらく考えさせてほしいの。一週間ほど実家に帰らせてください」

作品名:夕霧 作家名:鏡湖