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のしろ雅子
のしろ雅子
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未生怨(みしょうおん)下巻

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 祈之はジーッと亜子を見据えると、抑えるように呟いた…。
「僕達…結婚したんだ。僕の…お腹の中には…正夫の子供がいるんだ…」
「何言ってるの…馬鹿々々しい、男の貴方に、何故子供が出来るんですか」
「僕が女だったら…とうにそんな関係になっていたって事だよ…」
「何言ってるの…そんな仮定の話…何言ってるの…そんな事…」
 亜子は嫌悪を剥き出しにして、その目に射る様な光を湛えると、その後言葉を無くしたように祈之を睨み付けた。
「正夫を愛してる、正夫だけが好き…正夫だけが…僕の……全てだったのに…」
 祈之は唇を噛み締め、震えるように口を歪めると、大きな涙の滴を落とした…。
「おぞましい事を…何言ってるか自分で分かっているの」
祈之が慕い続けているのは分かっていたが、それは乳母を慕う子供のようなものだと思っていた。自分の放つ蜜の味を頑なに拒絶する正夫を思い出していた。
 自分の美貌に揺らぐ事無くただ一筋、祈之に愛を注ぎ続けていたのかと正夫に嫉妬し、愛される祈之に妬ましさを感じた。横浜から大勢の仲間と帰ってきたあの日、祈之が自分の肩越しに放つ眼差しに揺蕩う火を見た…。亜子はその視線を辿るように無表情にテーブルのセットをする正夫の横顔を見つめた。そのとき亜子は、まさか…と暗然とした思いに囚われた。
 しかし、まさか…と思いながらも正夫の存在が、祈之のデビューに大きな障害に成りそうな危惧は感じていた。これからは祈之の頼る相手は、亜子独りでなくてはならなかった。祈之の舵取りは正夫がいては成り立たないように思え、まして、事如く自分の手を撥ね退けた正夫など無用の腸物の様に思えた。自分の思い通りに為らない者は、地獄へなりと落としてしまえ、それが亜子の明快な仕打ちであった。
「おぞましい?…ママの愛よりは純粋だよ。何故僕を生んだの?男への当て付け?困る男の顔が見たくて、嫌がらせで僕はこの世に生まれてきたの?産んだ人からも、産ませた人からも両方から、僕は嫌悪されたんだね」祈之は母親を睨み付けると、踵を返し開けっ放しのドアーを思い切り蹴り上げて出て行った。
 亜子は冷ややかに祈之の出て行った後を見つめていた。祈之の様をジーッと見つめ、顎先を撫でながら無言のプロデューサーは何か言いたそうに亜子に視線を当てた。
「ごめんなさいね、難しい年頃で…」
 祈之の卒業を待って、プロダクション、大手代理店からの選りすぐりのスタッフがモノセックスな魅力を持つ未来的なアイドルとして、社運を賭けて、祈之の売り出しに大キャンペーンを張る構想が大きく動き始めていた。
 祈之のデビューの青写真の段階から参加していた亜子は、これから自分の公演が始まるので、祈之をプロデューサーに預ける算段をする為に稽古の合間を見て帰ってきたその矢先の事である。
「大丈夫。気が収まれば私の言う事を聞くわ。聞く子なの、そお言う子なの、まだ子供で…」
 肩をすぼめ、祈之売り出しの仕掛け人であるプロデューサーに、取り繕うよう笑顔で話し始めた、その時、
 「キャー…坊ちゃん!誰か…奥様!…」階段の方から婆やの悲鳴が聞こえた。家中の人間がその声に部屋を飛び出し階段に駆けつけた。階段の途中で喀血し、その血の海の中泳ぐように意識朦朧と口を喘がせる祈之が倒れていた…。身体中の血が噴き出たかと思われる程の血の量であった。
祈之は階段の途中で意識が混濁し、赤い雪の中を舞った様な気がした…。
 雪の中を彷徨いながら、その幻想と現実の入り混じった緩慢な意識の下で、祈之はタンカーに乗せられ、どこかに運び込まれて行くのを感じていた…。クレゾールの匂いがツーンと鼻に付く、それは緊迫した雰囲気で、様々な手が祈之の身体にいろいろな処置を施されていくのが感じられた…。
 祈之は朦朧とした意識の中で正夫の面影を追い、こんな事はしていられない、早く正夫の元に帰らなくてはと気が急いた。
 祈之の遠ざかる意識の中、白い靄の中彷徨うように歩き始める。 「まーちゃんの所に行かなくては…」立ち込める靄を、闇雲に両手で掻き分け歩き迷う祈之の耳に、突然母の声が聞こえた…。
「そうなのよ…駄目らしいのよ。遅かったって…医者は言うのよ。手術できる状態じゃないって、もう…末期らしいわ、このまま意識戻らないかも知れないって…今死んでもおかしくないって。そう…肺結核らしいのよ…今時ねえ…末期だなんてね、祈之売り出す企画も進んでいるし…これからって言う時、皆に申し訳なくて。嫌ね…貧乏人の病気よ、人に言えないわよ。この子でほんと、苦労したわ、そう言えば妙に熱っぽい目をいつもしてたわよね…」
 祈之は深い海の底に引き摺り込まれる様に…滑り落ちていきながら、自分の命が終わりに近い事を知った…。暗黒の底に絶望と困惑で怯え蹲る祈之は「まーちゃん…」と悲痛な叫び声を上げた…。
 目の前に茫んやりと微かな灯りが漏れ、それが、漆喰の天井にぶら下がる電灯なんだと気が付いた…「何処だろう…」定かでない視線を彷徨わせると、真っ白な部屋の中に祈之は寝ていた。鼻を付くクレゾールの匂いに、祈之は混然とした意識のまま起き上がろうと身体を起こし掛け、何本もの管に身体が囚われている事に気付いた。「何だろう…これは…」頭上にぶら下がる液体の入った袋からは透明の官が垂れ下がり、それは自分の静脈に繋がっている…尿道に差し込まれた管の先には袋がぶら下がり、口と鼻には椀型したマスクが固定され、心臓の鼓動を捕らえる電波の波動が青い線を描き、祈之は自分の呼吸を茫んやり見ていた。
「まーちゃん…何処…」祈之は繋がれた管から逃れようともがいた…。
「あっ、田中君…祈之君、気が付いたの…」 
点滴液を交換にきた看護婦が祈之を押さえ、祈之の目をジーッと覗き込むと、首に掛けた聴診器で胸の鼓動を聞き、血圧を測り、脈を取った。
「ずーっと眠っていたのよ、目が覚めてよかったわね」看護士は何か用紙に書き込みながら、体温計を祈之の脇の下に差し込んだ。
「…何処?…」
「病院よ、君ねお家で倒れたのよ。覚えてないでしょ?いい子にして早く治しましょう、ね?今先生に来て頂きますからね。管取っちゃ駄目よ」看護士は布団を掛け直し、尿の袋を計ると病室を出て行った。
「まーちゃん…僕」祈之は、取り返しが付かないと悄然とした。

 翌日亜子のマネージャーが大きなマスクを掛けて病室に入ってきた。
コートを着たまま、何度も時計を見て、次のスケジュールに追われている様で、義務的なその笑顔は形ばかりの労りを見せ
「祈之君、気がついてよかったね。いっぱい血を吐いたんだよ。ゆっくりここで治して貰おうね、ママはお仕事で来れないけれど…だけど、祈之君がここに運ばれた時は、ママも来たんだよ、忙しかったけど、どおしてもってね、お母さんだからね」
 マネージャーは言い訳ける様に言った。亜子の立場を慮り、廊下の気配に気を配った。末期の肺結核、もう死んでもおかしくない…亜子の良く通る甲高な声が祈之の頭を巡った。祈之はマネージャーの大きなマスクをぼんやり見つめた。
マネージャーは一つのカードを示し、
「これ、一応置いとくね。念のためにね…」