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のしろ雅子
のしろ雅子
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未生怨(みしょうおん)下巻

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 柊の葉っぱを手に持ってサンダルを突っ掛け外に出た。祈之は柊の葉を戸口の桟に差込み、婆やの様子を窺い、その足で裏山に向かった。 来てはいけない…と正夫に言われてはいたが、結婚の印の口づけは確かな証であり思いの届いた喜びであり、怒られてもあの胸に飛びつき、あの眼差しに見つめられたかった。いる筈の場所に正夫はいなかった。
 胸の中に飛びつこうと、息せき切って上ってきたが、祈之は拍子抜けして辺りを見回した。
裏山はひっそりと静まり返り、その気配さえ感じる事が出来なかった。何処にもその姿は探しだせず、祈之は心の中に薄く流れ込んだ底知れない不安に煽られるように勝手口に戻ってきた。
 既に煎り豆は升に小分けされ、毎日婆やが水を備える神様の御札の前に並んでいた。居間で、客の読み散らかした新聞を片付けている婆やに近付くと、周りをちょっと気にして、何気ない風を装い声を掛けた。
「まーちゃんに貸して欲しい物が有るんだけど、何処に居るか知らない?」婆やは忙しげに部屋の中を行き来しながら
「今日、伯母さんの家に用事で行きましたよ。だから、今日は帰らないですよ。何ですか?借りたいものって、婆やで分かる事なら…」
「伯母さんの家?…」祈之は呆然と、意味が解らず困惑した表情で呟いた。
「何故?…突然…」
「今朝、一度東京に戻られたお母様が、昼過ぎて又鎌倉に帰って見えて、正ちゃんのお墓の相談で…」
 「お墓の相談?…」婆やは祈之のその怯儒した様子に少し吃驚して
「お墓…何でもご両親の墓石を建てるとかで、その打ち合わせで行ったみたいですよ…明日は帰るって行ってましたよ。遅くとも明後日には帰るって…何か、婆やじゃ分かりませんか?」
「明日は帰るって?…」
「ええ、遅くとも明後日には…」
 祈之は萎むような淋しさと、這い上がった穴の中に再び真っ逆さまに落ちていく様な失墜感を感じた “何で突然に…、漠々とした捕らえようの無い不安と、同じ敷地内に正夫がいない事が空ろで一人取り残された孤独感に苛まれた。
 翌日、正夫は戻らなかった。そして今日は、遅くとも帰ると言い残していった…その日だった。
 プレハブ小屋は冬の陽射しの中、ひっそりと静まり返り何の気配も感じられず、正夫の不在は歴然としていた。
 坂を駆け上がるように帰ってきた祈之は、その失望感で肩を落とし勝手口から上がっていくと、紅茶ポットにお湯を注ぎ込んでいた婆やが
「まあ…お帰りなさいまし、坊っちゃんは裏玄関からお入りなさいまし…勝手口は婆やが出入りする所ですから」と、声を掛けた。
「まーちゃんは…まだ?…」祈之は俯いて歩きながら聞いた。
「ええ、まだですね…でも今日までには帰るって言ってましたから、そろそろじゃないですか。お母様がお仕事関係の方と帰ってらっしゃってますよ」
「珍しいね…もうお芝居始まるんじゃないの?…」祈之は母の事等、何の関心も無かったが、最近頻繁に鎌倉を出入りする母が疎ましく感じられた。
 部屋に戻ると習慣のように鍵を掛け、ベットに仰向けると天井を睨んだ。得体の知れない不安に結局はじっとしていられず、もしかすると帰って来ているんじゃないかともどかしく台所に下りて行った。勝手口が開いており人の気配が感じられ“まーちゃんだ!…”祈之は一瞬にして不安で取り残された心細さが吹き飛び心の中に熱いものが込上げた。戸口からそっと弾む様に正夫の小屋を覗いた。
 小屋の窓は開け放たれ、正夫の寝起きしたベットが畳み込まれ戸口に立て掛けられていた。
 婆やの片づける姿が垣間見えた。瞬間呆けた様に見つめ、慄然と裸足のまま飛び出した、小屋の戸に縋りつくと、臆するように怖々中を覗きこんだ。既に正夫の殆どの荷物は段ボール箱に収まり、部屋は片され、祈之の買ってきたモノクロのポスターを剥がして、婆やが丸めているとこだった。
「…何しているの?…婆や…」祈之は掠れ声で呟くように聞いた。
「ああ…坊ちゃん…正ちゃん、辞めたそうですよ…」祈之は凍り付いた様に立ち尽くした…薄い煙が覆うように抱いた恐れが現実となっていた。
「正ちゃん…帰るって、私には言ってたんだけどね…奥様に、荷物まとめて伯母さんの家に送るように言われたんだけど、正ちゃん何も無いんだよ…荷物…ズボンとシャツが数枚、年頃だって言うのに。よく働くいい子だったのにねえ」 婆やは誰に言うとも無く独り言のように呟いた。
 祈之は部屋の片隅にひっそりと立て掛けられた、使い古されたギターを呆然と見つめ、そして薄いマットを着けたまま二つ折りに畳まれ、戸口に立て掛けられたベットを見つめた。
 それは、戸が風で閉まらない様にその重みを戸口に寄り掛らせるように立っていた。このベットでどれだけ正夫に抱き締められただろうか、喜びも悲しみも正夫の腕の中に持ち帰った…それが無残に晒されている。込上げるような呻き声を上げると、母のいる居間に向かった。
 
汚れたその足のまま居間のドアーをバターンと開け放った。亜子は振り向くと溢れるような笑顔で手を差し延べ
「祈之君…ちょうど良かった、こちらが有名なプロデューサーの…」と、言いかけるのを遮るように
「まーちゃんは?…まーちゃんはどうしたの?」祈之の声が乾いて掠れた…。
「正夫は故郷に帰しましたよ」
「帰した?…何故?まーちゃんの家はここだよ」
「もう…居てもらっても、そんなに仕事が無いのよ…庭仕事は造園の人に入って貰えば全部遣ってくれるし…」祈之は愕然と立ち竦み、総毛立つ様に母を見つめた。
 そして哀願する様に声を潤ませた「まーちゃんを…まーちゃんを戻して。僕が悪い子だから…まーちゃんを帰したの?いい子になるから…ママの言う事何でも聞くから…お願いします。まーちゃんを…呼び戻して」
「それは無理よ。正夫だってもう、十八ですよ。ここで雑務して一生暮らすわけにいかないでしょ?ここに閉じ込めて置く訳にいかないのよ、正夫だって早く出たかったと思うわよ」
「そんな訳無いよ…」
「貴方が心配する事無いのよ。親戚もいるし…」
「親戚なんて、子供の正夫を虐待して学校にも行かせなかった親戚だよ。鬼のような親戚だよ、まーちゃんはまた、苛められる。まーちゃんはお金もないし、きっと酷い仕打ちを受けるよ。まーちゃんは、まーちゃんはここで育ったんじゃないか」
「使用人の事は私がきめます。貴方が口出しする事じゃあ有りません。それに正夫とは口を聞いてはいけませんとママは言い渡したはずですよ。今更…何大騒ぎしてるの。正夫には正夫の人生がありますよ。この話はこれで終わり。それより、祈ちゃん…お家に何度も見えているから知っているでしょ?有名なプロデューサーの…」
 亜子は繕うように、笑顔を湛えると祈之に引き合わせようと、側へと手招いた。祈之は後退りするように一歩引き
「…散々こき使って…追い出したな…」祈之の蒼白の顔を見ると、今度はなだめる様に
「何ですかその態度は、じゃあ本当の事を言うけど、本当はね、正夫の方から何日か前、暇が欲しいって言ってきたのよ。だから、貴方の心配する事じゃ無いのよ」
「そんな事言う訳無いよ」
「何故?貴方に分からないでしょ?」
「分かるよ」
「何故分るのよ…そんな事…」
「…僕達…」