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のしろ雅子
のしろ雅子
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未生怨(みしょうおん)上巻

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第三章 祈之7才の頃



 二年生に進級すると同時に、祈之は東京都内にある有名私立校に転校した。泣いて泣いて目が開かないほど泣いて正夫と離れるのを嫌がったが、ライバル視されている女優の息子が有名私立校に入学した記事を目の当たりにすると、柳眉を逆立て、知り合いの政治家に頼み込み、無理やりその学校に祈之を押し込んだ。女優の見栄だけが転校の理由で祈之が泣こうが喚こうが一切無視され事は運んだ。
 桜の花が満開で、そよと吹く風にさえ花びらは舞い上がり人の儚さを想わせるようなぼんやりとした春だった。

                   
 祈之が東京の学校に通い始めると、正夫は毎朝、祈之の手を引いて北鎌倉の駅まで送った。紺の制服を着て、紺の帽子を被り、学校で決められたランドセルを背負つて首から定期入れを下げたその姿は愛らしく、特別の人に思え祈之を守り通していく忠誠心みたいな漠としたものが芽生え出していた。
 二人は、切り崩された雑草の生い茂った崖の道、堀に沿うなだらかな坂道を石を蹴ったり、樹を這う昆虫を覗いたりしながら駅へと向かった。祈之は電車に乗ると、窓硝子に頬っぺたをくっ付けて正夫に手を振り、正夫はその電車が見えなくなるまで金網越しに手を振り続けた。

 学校が終わると正夫は、一目散に北鎌倉の駅に向かった。電車が着くたびに一番前の扉を見つめた。いつも祈之は一番前の車両に乗り電車が駅に滑り込むと、扉が開くなり弾け飛ぶように一番に飛び出してきて裏改札口を走り抜け、円覚寺の門前の金網を覗き込むように待つ正夫に跳びついてきた。そして、正夫に手を引かれ、その日一日あった話をしながら、二人で堀を覗いて生き物を探したり、変わった小石を拾ったりして坂道を帰って行った。

 祈之の母田中亜子は日本を代表する舞台女優と言われていたが、一方では男を肥やしに演技の幅を広げたと噂され、別れる毎に慰謝料太りしていると陰口を聞かれた。今日発売された女性週刊誌にも、イニシャルであるが直ぐ誰かわかるような書き方で"男を手玉に取り頂点を極めた女の誤算゛と言うタイトルで、過去, ある資産家の妻の座を狙い、その妻を追い落とすために、壮絶な戦いを繰り広げたと記事は伝えていた。男の気持ちが離れ始めると引き止めるために子供を産んだ。男の気持ちが戻らないと知るや、子供を種に莫大な慰謝料を奪い取ったとその記事は詳細にその事に触れ、子供を認知しない代わりにより大きな額を手にしたと記事は綴られていた。

 正夫は、先頭車両が確かな速さで徐々に近付いてくるのを見定めると、円覚寺の門前の階段から立ち上がり、ホームに滑り込んできた電車の一番前の扉を見つめた。祈之が誰よりも早く飛んで出てくるのが見えた。正夫を見つけると輝くような笑顔で改札口を走り抜け、飛び付いてくるのを受け止め、反り返った帽子など直してやりながら手を引いて歩き出した。初めて兎を抱いた話など聞きながら、明月院への坂道を左に曲がると
「あ!不倫の子だ!」と大きな声が聞こえた。見ると、正夫の一学年上の少年達が数人、赤土の崖の前に屯(たむろ)していた。その顔はどれも意地の悪そうな笑顔を浮かべ、弱いものをいたぶるような質の悪そうな子供達だった。
 始め誰に向かって言ってるのか二人とも分からず、驚いて立ち止まると、少年達は口々に
「お前の母さん、男引き止めるためにお前産んだんだぞ!」
「お金貰うために産んだんだってさ」
と祈之をからかった。祈之は怯えるように繋いでいる手に縋り、少年達を見つめながら正夫の後ろに身を寄せた。
「でたらめ言うな!」
正夫は後手で祈之を庇いながら少年達を睨み付けた。
 そこへ大勢の観光客がぞろぞろと切れ目無く通り掛り、正夫も少年達も視線をぶつからせたまま離れた。少年達は祈之と正夫を嘲け笑いながら踏み切りの方へゆっくりと歩いて行った。正夫は少年達の姿が左の角に消えて行くまで睨み付けていたが、姿が見えなくなると、縋ってくる祈之の肩を抱き寄せて後を気にしながら歩き出した。正夫が歩きづらくなるぐらい、しがみ付いて来る祈之の顔を覗き込み、優しい眼差しで頬っぺを突っ突くと緊張した眼差しが気弱な視線へと変わり、正夫に擦り寄るように顔を寄せた。
「怖かった?」
祈之は無言で頷いた。
「大丈夫、いつも僕がいるから大丈夫だよ、誰が祈ちゃんに手なんか掛けさせるもんか」
 家が近付いてくると “まーちゃん…” 呟くように口を開いた。
「ふりん…て人の名前?僕ママの子じゃ無くて…ふりんの子?」
「ママの子だよ、当たり前じゃないか」
「ふりんて何?」
「……」
 正夫にも分かる様な分からない様な、大人のある事情である事は理解できたが確かな意味はよく分からなかった。ただ、あまり良い事ではない様な気がした。
「まーちゃん…僕のパパ何処にいるの?…」祈之が始めて父親の事を口にした。正夫が祈之の家で暮らし始めて四年の歳月が流れていたが、誰も祈之の父親の事に触れる事は無かったし、祈之も一度も聞いたことは無かった。父親の腕にぶら下がって歩いて行く子供を見ると、正夫にしがみ付き、通り過ぎていく後姿をジーッと見つめる時があった。
「僕初めからパパいないんでしょ?…ふりんてパパの名前かな、でも…初めから僕、パパいな いんだよね?…」
 正夫は黙ったまま視線を宙に彷徨わせたが祈之の出生の事情はよく分からなかった。

 数日後、祈之を向かえ明月院の坂道へ曲がると、同じ場所に同じ少年達が屯しているのが見えた。祈之は怯えて立ち竦むと正夫にしがみ付いた。正夫は少年達を一睨みすると、祈之を掘り側に抱え、十分にその気配を察知しながら歩き出した。
「ふりーん、りんりん、ふりんの子」
「やーい、ふりんのこ」
少年達は口々に囃し立て、持っていた小石を祈之に投げ付けた。それは、からかい半分のさほど勢いのあるものではなかったが、祈之の頬を掠めてとんだ。
「いい加減なこと言うな!」
正夫は木の陰に祈之を隠すように立たせると、その仲を仕切っている、一番からだの大きい少年に向かって飛び付いていった。倒れ込んで取っ組み合いになったが正夫の方が体力も腕力も勝り山育ちの迫力を見せ付けた、その少年を組み敷くと、何度も殴りつけ「どうだ参ったか!」と首を締め上げた。
都会育ちのひ弱な少年達は人を嘲る事を知ってはいても腕力に今ひとつ力不足で、怯んで後退りした少年の一人が背負っているランドセルから三十センチの定規を抜き取ると、身体の大きい少年に馬乗りになっている正夫めがけて打ち下ろした。振り向いた正夫の眉間にあたり、スパつと切れると鮮血が飛び左目上に一筋血が流れた。血を見ると少年達は驚愕し、怖じける様に飛んで逃げた。組み敷かれた少年は突き飛ばそうともがいたが、正夫は放さず
「二度と言わないか!今度苛めたらもっと酷いぞ!」正夫が拳を振り上げると、もはや適わないと諦めたのか
「解ったよ、もう言わないよ」と尻尾を下げた負け犬のように従順に力を抜いた
「祈ちゃんに謝れ!二度と言わないと言え!」と首根っこを捕まえたまま少年から下りると
「ごめんな、もう二度と言わない…」と正夫に首を捕まえられたまま少年は祈之に謝った。