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第七章 星影の境界線で

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 長い石畳の道を駆け抜け、高い煉瓦造りの外壁まで走っていく。ひやりと冷たい鉄門の格子を握りしめ、肩で息をする彼女に、外で番をしていた門衛たちが何事かと近づいてきた。
「ル、ルイフォンが、無事にっ……! 今、連絡が……!」
 涙混じりの声で叫ぶメイシアを、太い歓声が包み込んだ。拳を振り上げ、小山のような大男たちが全身で喜びを表していた。
「おおぅ! ルイフォン様がやったか!」
「嬢ちゃん、よかったな!」
 聞き覚えのある声に、メイシアは、はっとして顔を上げる。その門衛は、彼女が初めて鷹刀一族の屋敷を訪れたときに応対した人物だった。刀を抜いて彼女を脅し、追い返そうとした男。凶賊(ダリジィン)にしばしば見られる、刀傷を持ついかつい顔が、とても優しげに笑っていた。
「はい! ありがとうございます!」
 あのときは、門の外から中に入る許可を貰う立場だった。それが今、こうして外から帰ってくる人を迎えようとしている。不思議な気持ちに、メイシアの胸がいっぱいになった。
「姉様! そんな薄着で……!」
 ハオリュウが上着を持って追ってきた。いくら連絡があったとはいえ、到着までまだまだ時間が掛かるはずだ、と。
 彼は、異母姉が門衛たちと親しげにしているのを見て、表情を固くした。貴族(シャトーア)の彼からすれば信じられない光景で……。
「坊主! 父ちゃん、無事だってな! よかったなぁ」
 鉄門を挟んだこちら側と向こう側に隔たれていなければ、団扇のような手でばんばんと背中を叩かれていたに違いない。そんな大声で、門衛がハオリュウに向かって叫んだ。どう見ても悪人面だが、嘘のない顔だった。
「あ……、ありがとうございます」
 勢いに気圧されるように、ハオリュウは腰を折って頭を下げる。門衛たちは、年端もいかぬ子供のかしこまった仕草に面食らいつつ、更なる笑みを広げた。
 これが一族の温かみというものなのか。イーレオの作り上げた帝国の絆に、ハオリュウは羨望と憧憬を覚える。もうすぐ彼の手から外されることになる当主の指輪を、彼はそっと指先で撫でた。
 厨房からは良い匂いが漂っていた。
 どっしりとした外見とは裏腹に、細かいところに気の回る料理長のことだ。労いの宴の準備をしているのだろう。ルイフォンからの連絡のあと、陽動に出ていたエルファンの部隊に撤退命令が出されたので、そろそろ大軍が戻ってくる頃合いだ。
 今まで忍んでいた屋敷が、にわかに活気を帯びてきていた。


「……ああ、詳しいことは帰ってから報告する。それじゃ」
 屋敷にいるイーレオとの通信を切り、ルイフォンは大きな溜め息をつきながらリアシートに体を預けた。傍受が怖いため、普段なら暗号化されたメッセージでやり取りするところだが、さすがに今は疲労が激しい。音声通話で最低限のことだけを伝えるに留めた。
 斑目一族の別荘を脱出したあと、手はず通りに迎えの車に乗った。あと三十分もすれば屋敷に到着するだろう。
 潜入時に協力してくれた、キンタンたち遊び仲間の少年たちは無事だろうか。エルファンの部隊は心配ないだろうが、あとで改めて礼を言っておこう。斑目一族への経済制裁の首尾も確認しておかねばならない。
 それから、ミンウェイはどうなっただろうか。〈蝿(ムスカ)〉とそっくりな口を利く、捕虜たちの自白を任されていたはずだ。彼女には、〈蝿(ムスカ)〉の顔を見たことを報告せねばなるまい。――気は進まないが。
 他にも、何やらわけありのタオロンの様子や、天使の姿をしたホンシュアのことも重要な情報だ。救出したメイシアの父、コウレンの心理状態も心配であるし、考えるべき案件は山ほどある。
 そして、メイシア――。
 ルイフォンは無意識に掌を握りしめた。
 彼が手に入れたいと願い、彼を欲しいと言ってくれた少女。
 嫋(たお)やかで儚い外見よりも、魂こそが美しい戦乙女。
 違う世界から舞い込んできた、飛び方を覚えたばかりの優美な小鳥。
 ホンシュアは、メイシアを『選んだ』と言っていた。『仕組んだ』のだと。
 あれは、いったいどういう意味なのだろうか……?
「おい、ルイフォン。とりあえず車の中で寝ておけ」
 助手席のリュイセンが振り返って言った。
「え?」
「どうせ止めても、帰ったらすぐに報告書をまとめるつもりなんだろ? だったら今は何も考えずに寝ろ」
 まるで思考を読んだかのような物言い。
 不意を衝(つ)かれたルイフォンの耳に、「いいか」と、力強く諭すようなリュイセンの低音が響いた。
「お前は、あいつらの父親を無事、救出してきたんだ」
 リュイセンが顎で示した先に、医学の心得のある部下に見守られたコウレンがいる。ぐったりして見えるが、今は薬で眠っているだけで、監禁の影響もなく健康。朝になれば目覚めるはずだと診断されていた。
「お前は、ちゃんと目的を果たした。――誇れ」
 それだけ言って、リュイセンは肩までの艶(つや)やかな髪をさらりと翻し、また前を向く。
 兄貴分には見抜かれているのだ。ルイフォンが手放しで喜べないでいることを。
 これで終わりではない。むしろ、やっと入り口に立ったばかりなのだと気付かされた。体は極限まで疲弊しているのに、心がざわついて居ても立ってもいられない。
 それを見越しているからこそ、リュイセンは休めと言っている。その先のやるべきことを見据えて、けれど今やるべきことを間違えるな、と。
「ありがとな」
 ルイフォンは、そう呟いて瞳を閉じた。
 そして――――。
 体が前に押し出されるような軽い衝撃を感じ、ルイフォンは薄く瞳を開けた。口を半開きにしたまま寝ていたらしい。乾燥してしまった喉が痛い。まどろみの中を漂う頭は鈍く重く、ただぼんやりと屋敷に着いたのだということだけを理解した。
 運転手が扉を開けると、半覚醒のとろりとした意識のまま、ルイフォンは外に出た。
 ひやりとした夜気に体が震え、世界が澄んだ紺碧の星空に覆われていることに気づく。
 次の瞬間、強い風が吹いた。
 夜闇に白く、桜吹雪が舞い散った。夜桜ならではの儚い美しさが視界を埋める。
 その花の嵐の中から、桜の精が現れた。闇より深い黒髪に、ひとひらの花びらを飾った少女――。
「メイシア……」
 ルイフォンの呟きに、彼女はぱっと目を見開き、泣き笑いの顔になって彼の胸に飛び込んできた。
「おかえりなさい!」
 門の前では門衛たちがにやにやと口の端を上げており、彼らの隣には苦虫を噛み潰したような顔をしながらも、そっと目をそらして見ないふりをするハオリュウがいる。
 ルイフォンは、ふっと顔をほころばせ、メイシアを抱きしめた。彼女の上着が、ひやりと冷たかった。驚くと共に、彼女がずっと待っていてくれたことを知る。
 頬をすり合わせると、やはり冷え切っていた。申し訳なく思うと同時に、幻想的な夢のような彼女が、現実のものとして腕の中にいることを実感する。
「ただいま」
 抱擁の中で徐々に温まっていくメイシアの存在を感じ、ルイフォンは安らぎを覚えた。
 ホンシュアが意図的に出逢いを紡ぎあげたとしても、惹かれ合ったのは他でもない自分たち自身だ。なんの陰謀があっても構わない。
 巡り合ってから先の物語を、この手で創ればいいだけだ――。
作品名:第七章 星影の境界線で 作家名:NaN