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短編集30(過去作品)

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消える過去



                消える過去

 私がこの街に住みはじめて十数年、災害にはあまり困るところではなかった。時々豪雨が降るが、それも水はけのいいせいか、それほどの被害でもない。台風もあまり来ることはないし、雪が積もることもなかった。
 今年もそれほどの災害もなく無事に過ごしてきて、危機感がなくなりかかっているくらいである。当然災害に対する意識は薄く、訓練などが行われることもない。
 そんな土地に住んでいるからだろうか、自分の仕事での時間を割り振らなくとも規則的になるので、上司も皆おおらかなものだ。いいのか悪いのか、皆のんびりと生活をしている。
 私の仕事は営業で、スーパーや小売りへのルートセールスである。それゆえにほとんどが車での移動で、決まったルート巡回をいつも繰り返している。
 災害もないため、いつものパターンは分かっていて、どこの道を何時頃に通れば、どれくらい混んでいてどれほどの時間が掛かるかなど、すべてを把握していた。
 私の場合は山越えのルートが多い。会社のある街が盆地になっていて、隣町に行くのでも、必ず山を越えることになる。私が通る道は、連山になっているところを越えて行かなければならないところが多いため、少し距離的にも遠いところを割り振られている。
 田舎の気難しい個人商店の店主などは、やはりベテランでないとうまく行かないということだろうか。営業としてもベテランの域に入ってきて、つくづく今までの営業経験が長かったことを思い知らされた。
 営業経験というものは、長ければいいというものではないが、長ければそれだけ、自分だけのノウハウを身につけているものである。
 営業というものは年々身についているものが増えていくように思う。一年目で一つ覚えれば、二年目で二つ覚えて三つになる。少しずつプラスアルファーが備わっている。
 この十数年は短いようで長かった。この長さが勘と経験を生んでいるに違いない。経験は積めば積むほど増えてくるが、勘というものは意識がなければ、いくら年数を重ねようと身につくものではない。
 自分がベテランであると感じた時――、それはきっと勘が備わってきたことを実感した時だっただろう。
 今年は本当に順風満帆だった。営業成績は可もなく不可もなく、しかし、今年は新規開拓に成功し、今はその動向を静かに見守っている段階である。
結果が出るまでにはかなり時間を要するだろうが、少なくとも楽しみであることには違いない。そのためには、足しげく通う必要があり、ある意味、嬉しい悲鳴の忙しさである。
 その日も少し遠いところであるが、連山を越えて、得意先に出かけた。そこは今までに通っていたところよりもかなり奥地にあり、田舎なのだが、社長は結構しっかりしていて、街の発展を真剣に考えているようなやり手だった。年齢的にもまだ四十代後半ということで、大手量販店の店長から本部バイヤーの責任者までこなした人である。知恵と経験は誰にも負けず、そこにやる気が備わっていることで、身体からバイタリティーが漲っていた。
 週に一度の訪問であるが、私は今一番社長と話すのが楽しみである。
「若い営業の人たちのやる気も眩しいが、君のようなベテランがやる気を見せて来てくれるのは、私も嬉しいんだよ」
「ありがとうございます。そう言っていただけると私もここまで来る甲斐がありますよ」
 まだ世間話程度ながら、すっかり打ち解けているように思う。それが私の培ってきた長年の勘だと思っている。
 社長の笑顔はセールス冥利に尽きるというものだ。
 社長と話をしているだけで、時間が経つのを忘れてしまう。そのためここを訪れる日は遠いこともあって、訪問先をここだけにしている。午前中に会社を出てくれば、一日中いることもあるくらいだ。
 ここに来れば仕事という感覚がない。確かに仕事なのだが、それ以外の話をしている方が多く楽しい。
――勉強させてもらっている――
 という感覚が強いのだ。
 その日も、社長と昼食をともにしながら、いろいろな話をした。仕事の話だけではない。もちろん、仕事に関係する市場の動向から、最近の若い連中の話や、はたまた、私の理想の女性像まで話したものだ。それだけ話術も達者で、雰囲気に引き込むのがうまい。
 私はまだ独身である。仕事ばかりしていたわけでもなく、知り合う機会がなかったわけでもないが、気がつけばこの年まで独身であった。三十代も後半、そろそろ結婚を考えてもいい時期だと他人が思うのも当たり前である。
「一人が気楽でいいですよ」
 と口では言うが、時々無性に寂しくなる。普段は何ともなくとも、急に寂しさがこみ上げてきて、どうにもならなくなる。しかし、そんな気持ちになる時には、いつも前触れのようなものがあるのだ。今はそんな気持ちになっていないので、平和な気持ちでいる。
 その日はいつになく寒い日だった。会社を出る時はそれほどでもなかったのだが、山に入ると歴然として身に沁みてくる。いつの間にか粉雪が舞っているようで、運転していても外は寒そうだった。
「風が強そうだな」
 空を見ると、グレー一色だった。山の頂上と雲の切れ間がハッキリせず、もやが掛かったようになっているが、それが冬独特の空模様であることは、身体が覚えているのか、車の中からでも寒さを感じていた。
 いつもとは明らかに違う空模様である。何となく嫌な予感を感じながら走っていたが、目的の店に着くと、そんな天気のことなどすっかり忘れてしまっていた。それほど店長との話は楽しく、夕方までの時間が充実したものになると感じていたからである。
 店を出た時、朝とほとんど変わらぬ空模様だった。しいていえば朝ほど風が強くはなかったが、それだけに風に重みを感じ、身体の芯から冷たさが溢れてきそうであった。
「寒いから気をつけて帰ってくださいね」
 そう言って、店の人が送り出してくれたのが、午後四時を過ぎたくらいであった。田舎町でのことなので、車が混むということを考える必要はなく、ただ、暗くなった道を走らなければいけないのが気持ち悪いくらいである。しかしそれもいつものことなので気にはならないが、その日はなぜか、不思議な気持ち悪さを感じていた。
 胸騒ぎがするといった方がいいのだろうか? 今まで私には「虫の知らせ」のようなものを感じたことが数回あった。人が死ぬといったことが予感としてあったのだが、後から考えれば予感があったと思うだけで、本当はそれほどハッキリとしたものではなかったような気がする。しかも死ぬといっても、ほとんどが老衰で、事故や病気ではないことが、私には安心できた。人の運命をあらかじめ知ってしまうということがどういうことか、おぼろげにしか分からないが、気持ち悪いものなのだろう。
 自分の運命について分かっていると豪語する人も中にはいた。しかし、それもどこまで信用できるものか分かったものではない。その人の運命など、本人の気の持ちようでいくらでも解釈の仕方があるのではないだろうか?
「あの人、きっと不幸なのね」
 話を伝え聞いただけで、そう他人が判断したとしても、本人が不幸だと認識していなければ、その人が不幸だと言えないだろう。
作品名:短編集30(過去作品) 作家名:森本晃次