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一日百時間

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 目的を達成しても、それはただの通過点でしかなく、就職してからは誰もがスタートラインである。それはナースを志した時から同じことなのだが、違いがないわけではない。ナースになろうと志した時は、漠然としていた将来への思いに目標ができたという本当のスタートであり、何もないところからの出発点だった。
 しかし、試験に合格し、ナースの免許を得てから、看護学校も卒業し、晴れてナースとして就業できるようになったのは、喜びの痕の出発点だ。
 一度目標達成という満足感を味わってからのスタートは、よほど精神的にしっかりしていなければ我を忘れてしまう。
「いつまでも学生気分では困るの」
 就職した病院で見習いとして勤めるようになると、先輩ナースから言われる言葉だった。
 仕事の大変さは分かっていたことなので、そこまではなかったが、言葉にして表現されると、そこまではないと思っている肉体的な疲労が、気にしないようにしようと思っていても、言葉の威力によって、精神的に心のどこかに穴が開いてしまうのだろう。その穴に入り込んでくる風が容赦なく吹き荒れてしまい、小さな穴の内側から身体に侵入してくる疲労は、表から見ていては決して分かるものではなかったはずだ。自分でも大丈夫なのか自信がなくなり、気が付けば、また孤独に苛まれていた。
――孤独は慣れているはずなのに――
 自分が孤独なのは仕方のないことだと思っていた。
 別に望んだことではなかったが、抗う気持ちもなかった。それを運命のようなものだと受け入れる気持ちになれば、恒久的な孤独を耐えていける気がしたのだ。
――孤独というものは、本人の考え方によってどうにでもなるものだ――
 香澄はそう思ってきた。きっとこの先もそう思っていくことだろう。それに対して疑問を感じたことはない。
――孤独ではない状態って、どんな状態なの?
 と考えてみるが、ハッキリ見えてくるものではない。
 自分のまわりに友達がたくさんいることが孤独ではないと言えるのだろうか?
 学生時代には、女友達は確かに数人はいた。自分では親友だと思っていた人もいたのだが、彼女が他の友達と話をしているのを見ると、胸が痛むのを感じた。どうしてなのかを自問自答してみたが、分かるわけではなかった。
――彼女を独り占めしたいと思っていたからなのかしら?
 と思ったがそうではない。
 独り占めしたとすると、彼女も自分を独り占めしようとするだろう。それはそれで悪いことではないのだが、香澄の中の自分の領域にまで入ってこられるのではないかと思った時、それを許せるのかどうか、分からなかった。
――それなら孤独の方がいいのかしら?
 と、そんな思いが頭をよぎる。
 香澄はそんな時、自分のことをネガティブだと思うのだった。
 だが、自分の領域に誰も侵入させたくないという思いは自分だけではないはず。
――自分あっての友達――
 という気持ちもあり、まずは自分だった。
 自分の中でしっかりしたものを持っていなければ、相手に気持ちも伝わらないし、気持ちが伝わらなければ、友達として付き合っていくことはできないことも分かっていたつもりだった。
 大学時代に付き合っていた男性がいたが、友達には黙って付き合っていた。友達に話ができるほど、自分に自信がなかったのである。
――話をしてしまうと、別れがすぐにやってくるような気がする――
 という考えがあった。
 もっと言えば、
――別れというのは、彼とも別れというだけではなく、友達との別れでもある――
 というもので、彼との別れを取るか、友人との決別を取るかの選択を迫られる可能性を示唆していたのだ。
 もし、そんなことになれば、どちらを選ぶのか、香澄には想像がつかなかった。どちらを選んでいたとしても、後悔が残るのは分かっていた。 
 もちろん、しこりが残るからである。
 決別したとしても、まったく出会わないわけではない。目が合ってしまった時、間違いなく視線を先に逸らしてしまうのは自分だと分かっているからだ。そんな自分の態度を果たしてその時の自分が許すことができるのか、疑問だった。
 香澄は、今この瞬間の自分を自分だとハッキリ認識できるが、未来における自分が、本当に自分なのか疑問を持っていた。それは過去を思い起こせば分かることであって、
――果たして今の自分を、昔の自分が想像することができただろうか?
 という思いがあるからだ。
 数分前の自分であれば、今の自分が何を考えているのか分からないことは同然だと思うか、昔の自分が将来どんなことを考えているような自分になっているかということは考えたことがない。きっと、心の底で、
――今と変わりない――
 と思っているからなのかも知れないが、実際には違うことが多い。
 それは当然予期せぬ出来事が起こったことで、考えに変化が起こるのは当たり前のことだからだ。もっとも、将来に起こる出来事など千里眼でもなければ見通せるわけもなく、考えが変化するということは、考えてみれば当たり前のことなのだ。
 そんな自分を、今の自分と比較すると、本当に自分なのかと思いたくなるのも無理もないことなのかも知れない。
「何を当たり前のことを」
 と人にいうと、そう答えるだろう。
 それは香澄も分かっている。何がどうかわろうと自分は自分なのだ。だが、そんな自分を許せる自分が今存在しているかどうかが問題だった。だから、決別した相手と目が合った時、自分から目を逸らしてしまう自分がいることを分かっていながら、許せるかどうかを感じていたのだ。
 しかし、目を逸らすだろうと考えているのは、紛れもなく今の自分だった。未来の自分が自覚していることではなく、自分の想像力が生んだ「未来の自分」である。もし、その時許せないと思うのであれば、将来の自分がどう思おうが、今の自分にとっては許せないことなのだ。
 それも当たり前のことである。余計なことを考えて我に返ると、
――またバカなことを考えてしまったわ――
 と思うのは、ネガティブな自分がまたしても、思考の中で堂々巡りを繰り返してしまったのだということを感じているからだった。
 学生時代には、孤独という言葉が怖く、絶えず誰かが自分のそばにいてくれないと不安だった。
 彼氏がほしいと思っていたのもそのせいであり、友達と一緒にいて、明るい話をされているのをただ黙って聞いている時も、話の内容によっては、眩しすぎて耐えられないと思うような話も少なくはなかった。それが彼氏とののろけ話だったりすると、
――私にはそんなのろけ話のような態度は取れないわ――
 と感じさせられた。
 そう思うということは、
――私はあなたとは違う――
 と、友達に対して感じることであり、その感情は羨ましさからくるものだと思い込んでいたのだ。
 しかし実際には、人を羨むことはあまり好きではない。羨むということは、相手に近づきたいという気持ちの表れだと思っていたからだ。
作品名:一日百時間 作家名:森本晃次