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一日百時間

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                  第一章 百時間

 人間、生きていればいろいろなことに直面するものである。特に何かを目標に生きている人には「生きがい」という張り合いがある反面、壁にぶつかりやすいものである。
「出る杭は打たれる」
 というが、生きがいを持って前に進んでいると、どうしても自分の中で突出部が生まれてきて、知らず知らずに壁にぶつかってしまっていたりする。別にまわりと見ていないつもりはないのだが、まわりを見ていると、さらにそのまわりが気になってくるのも事実のようで、そうなればキリはない。そのため、敢えてまわりを気にしないようにしようと感じるのも無理もないことだ。それが意識的にであれ無意識にであれ、仕方のないことだと思ってしまうと、結果的に意識しなくなってしまうというものである。
 工藤香澄も生きがいを見つけるために一生懸命に生きてきて、曲がりなりにも生きがいに近づいたと思って喜んでいると、有頂天になった時期もあったが、短いそんな時期を通り過ぎると、気が付けば惰性になっていたようで、いつの間にか溜まっていないと思っていたストレスに圧し潰されそうになっている自分に気が付いたが、それが遅いのかどうかすら、自分では分からなかった。
 工藤香澄は今年で三十歳になった。学生時代からナースになるのが夢で、看護学校に進み、卒業後念願のナースになった。有頂天になったのはその時だったのだが、現実とはそんなに甘いものではない。しばらくして理想と現実のあまりにも開きのあることを思い知らされた香澄は、自分の感覚がマヒしてしまっていることに気づかないほど、憔悴していた時期があった。
 まわりから見れば、それほどショックに感じているようには見えなかったのだろう。本人は打ちひしがれそうな気持になっている時でも、まわりは容赦がない。
――この娘なら大丈夫だろう――
 という目で見られていたからで、本当なら喜ぶべきことなのだろうが、当の香澄にそこまで理解できるほどの余裕もなかった。
 元々、他人が考えていることを読むのは苦手だと思っていた。
「人の心を読むなんて、大それたこと」
 と思っていたのだ。
 ネガティブに考えていたと言ってもいいだろう。
 自分のことをまわりの人から比べれば、優秀であるはずがないという劣等感を持っていたからだ。だが、本人の意識としては、それが劣等感であるという思いはない。
――これは当たり前のことで、誰もが同じように思っていることなんだわ――
 と感じていたのだ。
 劣等感を持つ人間の方が少数派で、自分が正常なら、劣等感を持つ人は異常だと感じているほどだった。劣等感を抱いていないくせに、自分と他人を比べることは頭の中にあり、自分を正常だと考えて、さらにまわりがどうなのかを考えていたのだ。
 優秀ではないと言っても劣等ではないと思っているので、自分が正常だという意識を持っているに違いない。そういう意味では、
――まずは、否定から入る性格――
 と言えるのではないだろうか。
 否定から入ることは、物事を考える上で、結構気が楽だった。自分中心に考えていても、自分を肯定してしまうと、どうしても視野が狭くなってくるような気がする。それは、香澄が、肯定を真実だと思っているからだ。真実というのは唯一の事実であり、事実は一つなので、事実を否定すると、そこに残るのは、限りなく円に近い広がりを見せる扇のようなもので、その中から考えることができるというのは、自由な発想を得ることができると思っていた。
 しかし、そのうちに香澄は気が付いた。
――あまりにも広がりすぎた範囲からの選択は、よほど自分に自信がないとできるものではない――
 という発想である。
 それが二十代後半になってからのことで、最初はただ不安に苛まれるだけでよく分からなかった。
 考えてみれば、必要以上に範囲を広げすぎると、自分のキャパに沿わない広さに、不安が募ってくるのは当たり前というものだ。実力以上のものを求めても、そこにあるのは、虚空の世界であり、見つめたつもりで扉を開けても真っ暗であれば、一瞬の戸惑いの痕には不安しか残らないというものである。
 その理由に気が付いたのは最近になってからのこと、
――ネガティブに考えているからなんだわ――
 いつから自分がネガティブになったのか必死になって過去を遡って考えてみたが、香澄には見当がつかない。
――まさか、生まれてからずっと?
 そんなことはないのは分かっているつもりだった。しかし、過去を遡れば遡るほど、不安が募ってしまうのは、過去というものが、現在を起点にして遡ると、それこそ扇のように広がっていくものに見えてきたからである。その時初めて、
――広がり続けるということは、不安を募らせるだけなんだわ――
 と感じるようになったのだ。
 自分がネガティブだと思っていると、不思議とまわりに人は集まって来ないものである。学生時代には彼氏と言えるかも知れないと思えた人はいたが、今では彼氏もおらず、親しい女性の友達もいるわけではない。学生時代に付き合っていた彼氏とは、香澄自身は彼氏だと思っていたが、相手はそこまで感じていなかったようだ。どちらかという彼は女性誰にでも優しいところがあり、そんなところに惹かれた香澄だったが、誰にでも優しいということは自分以外の女性にも優しいということであり、そんな単純なことに気づかなった香澄は、気が付いてから一人で苦しんでいた。
 それが嫉妬だと気付くまでに、少し時間が掛かった。それよりも、
――どうして私だけがこんなにやきもきしなければいけないのか――
 という思いを抱えていて、誰にも言えず苦しんでいたのだが、
――誰かに言えれば、どれほど気が楽なものか――
 という悶々とした気持ちでいた。
 その思いが香澄の中で絶えず自問自答を繰り返すようになり、表に出すことのない自問自答のせいで、内に籠ることを覚えてしまった。内に籠ってしまうと、入り込んでしまった袋小路から抜けることができず、堂々巡りを繰り返してしまうだけだということに気づいているのに、どうすることもできない自分に苛立ちを覚えるのだった。
 ただ、それは誰が悪いというわけではない。しいて言えば悪いのは自分、堂々巡りを繰り返すのは、認めたくないという思いがそこにあるからだ。
 何を認めたくないというのかは分からない。認めてしまえば楽になれるような気もするが、認めることでさらに堂々巡りを繰り返すことになり、そのまま抜けられなくなることが怖かったのだ。
 そんな香澄なのに、ナースになりたいというのはどこか矛盾しているようではないか。ナースになりたいという気持ちが目標である間は、前だけを見ていたのでそれほど自分のネガティブな部分と結びついてくることはなかったが、実際にナースになってしまうと、今度はまた一からになってしまう。
――そんなことは分かり切っていたはずなのに――
 そんなことというのは、
――ナースになることがゴールではない――
 ということだった。
作品名:一日百時間 作家名:森本晃次