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短編集27(過去作品)

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「私は少しこれから仕事がありますので、これで中座いたしますが、痛みが完全に取れるまで少しここで休まれても結構ですよ。あちらに行けばソファーもありますしね」
 と、優しい言葉を掛けてくれる。痛みはかなり引いてきたが、まだ胃のあたりにズキッとした感覚が残っている。それは、虫歯の痛みが薬を飲んでも完全に消えない時に似ていた。元々の痛みが尋常ではなかったことを示している。
 私は言葉に甘えるかのように、ソファーに横になって、天井を見つめながらじっとしていた。するといつの間にか襲ってきたのだろう睡魔のために、そのまま寝てしまっていたようだ。西日があれだけ差し込んでいた窓の向こうは真っ暗で、気がつけば時計は午後六時を回っていた。
「すみません。すっかりよくなりました」
 最初に受付してくれた女性に一言声を掛けたが、本当に痛みは完全に消えていた。本当によく聞く薬だったんだ。
「それはよかったですね。先生も心配なされてましたよ」
「そうなんですか? ところで先生は?」
「先ほど外出されました。あなたの顔色がだんだんよくなってきているのを見て、もう大丈夫だろうとおっしゃっていましたよ」
「ありがとうございます。では、私はこれで……。先生によろしくお伝えくださいませ」
 そういうと、事務所の扉を開き、階段を下りていく。
 一段、二段、三段と……。
「おや?」
 何かが違う。
 来た時に感じたことと何かが違うのだが、最初それが何か分からなかった。分かってしまえば、
――なぜ、それにすぐ気付かなかったのだろう?
 と不思議に思ったくらいだが、きっと先ほどの胃痛の激しさが、来た時の自分と違う自分を今ここで形成されたように思えるから不思議だった。それとも、眠くなったことから考えても、薬の副作用のようなものもあるのかも知れない。そういえば、まだ意識がハッキリしているわけではなかった。
 階段の上から見た時の、なんとも階下の遠いことか。それは上ってくる時見た、ちょうどこの場所から見下ろした風景と同じである。違いは明るさだけだった。
 あたりが真っ暗で、照明のお世辞にもあまり明るいと言えないところでは、最初に見た光景よりもさらに遠く感じそうだが、それほどの違いは感じない。よほど最初に見た時に感じた思いはセンセーショナルで歪なものだったに違いない。
 足を踏み外すことなく下りることに集中しないと、危ない階段である。こんな階段をいったい誰が作ったのだろう。
 それにしてもなかなか下までたどりつくような気がしない。段を数えているにもかかわらず、途中で間違えそうだ。
 きっと途中で段を数え間違えたに違いない。十三段まで来て、そのあとにもう一段あるではないか。
 これが今感じた、
――何かが違う――
 という感覚なのだ。
 大体、十三段の階段というのがおかしいのだ。最初に来た時は、緊張とここを見上げた時のあまりにも急な段を見ることで感覚が麻痺していたのかも知れない。そういえば、あの時も胃が少し痛かったように思う。だからこそ、子供の頃に行った歯医者を思い出したりしたのだろう。下まで下りてまた上を見上げる。入って行った時のことを思い出そうとするのだが、その時の心境を思い出すことができない。かなり遠い昔に感じた思いを思い出そうとしているかのようである。
――やはり何かが違うんだ――
 先ほどの女性も数時間前に私と同じような思いを抱いて、ここを下りてきたのだろうか?
 それを考えると妙な気分に陥る。きっと同じような気持ちで下りてきたと思うのだが、その気持ちを次第に感じることができるのではないかと感じられてきた。
 小さい頃に、西日が沈む時間帯に下校していたのを思い出した。西日に向って歩いている中で、いつも私の先、百メートルくらいであろうか。歩いている人がいた。その人は女性で、髪が長く、スリムな体型をしていた。子供心に、
――色っぽい女性だな――
 と感じていたようで、目が離せなかったほど印象的である。影が足元から伸びていて、いつもその影を追いかけていた。女性を追いかけていたというよりも、むしろ影を追いかけていたように思う。太陽と私の間に引かれた線上から、少しでも外れていれば、これほど綺麗な影を見ることはできなかっただろう。道がほとんど曲がりくねっていないのも幸いしていたに違いない。なぜか、いつも同じ時間である。毎日というわけではないが、私がちょうどその時間通りかかった時は、いつもなのである。彼女の方は、毎日いるのではないかと思われた。
 偶然といえば、これほどの偶然はないだろう。しかしこれだけ毎回であれば、必然ではないかと思ってしまうのも仕方がないことで、その状況に酔っている自分を感じた。決して声を掛けることもなく、その状況を楽しんでいる。それだけでいいのだ。だからこそ、夕日が今までより美しく感じ、目の前の女性がその原因であると確信できるのだ。
――追いついちゃいけないんだ――
 一定の距離を保つから綺麗に見える。まるで芸術鑑賞に浸っているように感じている私に、前を歩く女性は気付いているのだろうか?
 そもそもそんな女性が存在したのかすら、今となっては疑問である。偶然にしては重なりすぎる。ひょっとして夢の中の出来事と頭の中の願望とが重なり合って、まるで現実だったような錯覚を与えているのではないかとも感じたが、それにしてはあまりにも綺麗で、これがリアルでないとすれば、一体何なのだろう?
 その女性はいつも角を曲がると忽然と消えていた。
――角を曲がったところの家に住んでいるんだろう――
 と漠然と考えていたが、果たしてそうだったのだろうか? 今となってはどうでもいいことだが、考えれば疑問として残っていることに気付く。
 これも今から思えばなのだが、
――私の後ろにも誰か気配を感じていたように思える――
 後ろを振り返ったことはない。それは怖いという感覚があったのも事実なのだが、むしろ私が振り返ることで、
――目の前の女性がいなくなってしまったらどうしよう――
 という思いが強かったからだ。残念という思いよりも、いなくなることが怖いとまで思っていた。
 私がいくら急いでも、彼女に追いつくことはできなかったように思う。もちろん、その状況を楽しみたいという思いから、早歩きをすることなどなかったが、近づけば違う光景が見れそうで怖かった。いや、影を追い越すこと自体が怖かったに違いない。
――絶対追いつき、追い越すことのできない女性――
 それが彼女だったのだ。いつも私の数分前を歩いている謎の女性、そんな存在をいつも頭に思い描いていた。
 夕日に向って歩いている時に見る彼女しか、私の頭には浮かんでこない。だから、他の時間帯に彼女のことを思い浮かべようとしてもムダだった。いつもその時間に会える以外は、想像することも不可能だったのだ。
――恋していたのだろうか?
 まだ幼かった私、異性に興味などなかった私が、恋などという言葉の意味を知る由もない。だが、後から考えればそうとしか思えない。淡い初恋だったに違いない。ただ、初恋との大きな違いは、自分の中で、不変に永遠ものとならないことだった。
作品名:短編集27(過去作品) 作家名:森本晃次