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短編集24(過去作品)

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 そのあたりまでは自分が夢を見ているという感覚はない。実に自然で、本当の朝の風景そのままに、注文したコーヒーを飲んでいる。なぜ夢という感覚がないかといえば、飲んでいるコーヒーの香りを感じることができたからである。なぜできたかということを後から客観的に考えると、一つの結論が導きだされた。コーヒーの香りというのが独特で、しかも私の中で一番印象深いコーヒーの香りを記憶していることが、夢の中とはいえ、しっかり匂いと状況が結びついたのだろう。
 夢から覚めて、時々行っていた喫茶店をいつも思い出す。それは学生時代によく通った喫茶店で、ドライブインのような駐車場のある喫茶店だった。白壁が印象的で、夜になると看板が明るかったことを覚えている。
 学生時代に、朝モーニングを食べるのが恒例となったのは、その喫茶店に行き始めてからだった。朝も七時からやっているので、どんなに寒い時でも、そこが開いているというだけで安心感があった。
 喫茶店というと、それまでは先輩に連れていってもらうくらいしかピンと来なかった。なぜなら、高校時代まではコーヒーが嫌いだったからである。紅茶を飲むことはあっても、コーヒーは飲めなくて、
「子供みたいなやつだな」
 と、よく同級生から言われていた。
 それでもコーヒーの香りだけは好きで、特に朝の寒い時間に漂ってくる香りは、私を気持ちよくさせてくれた。
――匂いは好きなのに、どうして飲めないんだろう――
 自分でも不思議だった。しかし、酸味がダメなのに加えて、乳製品がダメときている。これでは呑めないのも当たり前というものだ。そんな私だったが、飲めるようになったのは、やはり先輩に連れて行ってもらうようになってからだろう。
 大学というところは、特にサークル勧誘の時期、よく先輩が連れていってくれる。「お約束」というべきであろうか。まだ朝晩は寒い時期、特に早朝、講義が始まる前など、喫茶店の前を通りかかっただけで、コーヒーの香りが漂ってくる。しかも駅から大学までの約十五分の道のりの間に、喫茶店の数というとかなりなものである。さすが大学の街、初めて訪れた時にビックリさせられたのを覚えている。
――大人の街――
 都会とは違って初めて感じた思いだった。
 おしゃれな街というのは都会にもあるだろう。しかしそれは年齢層に幅があり、高齢者向けの店も少なくはない。しかし、大学の街というと、文字通り大学生相手の街で、嗜好も学生向けなのだ。それまではあまりファッション関係に興味のなかった私だったが、大学に入るやいなや、馴染みの店もできた。友達の影響もあるのだろう。
 大学に入り、初めてできた友達は、すでに馴染みの店を持っていた。ファッション関係の店、喫茶店、いくつかあるようだった。服を買ってから、喫茶店で一休み、その時によくファッション関係の話をしてくれた。
 その時まではまだ紅茶嗜好だった。それが急にコーヒーを飲めるようになり、
「あれ? いつの間に?」
 と驚かれたものだった。
 結局サークルに入ることもなく、友達との時間が増えた私は、通う喫茶店も限られてきた。その中で一番はやはりクラシック喫茶だったろう。他にも数人で談話するのが目的という馴染みの喫茶店もあったが、一人でゆっくりしていたい時間が増えてくると、クラシック喫茶というのが一番しっくりと来る。店内は薄暗く、そんな中で音響効果抜群の空間は、一人でゆっくりするには最高だった。何しろ時間を感じることもなく過ごせるからだ。
 時間には余裕のある大学生、そんな時でも大切な時間というのはあるもので、ゆっくりしているとはいえ、時間を感じずにいられる空間というのは、大切だった。時間を感じないというのはそれだけいろいろな考えが頭を巡っているというもので、決してただボッとしているだけではないのだ。
 ひょっとして大学時代で一番大切にしていた時間なのかも知れない。その時に一体どんなことを考えていたのかということはハッキリと覚えていないが、今でもふとしたことで思い出すことがある。そして、
――あれはあの時、喫茶店で考えていたことなんだ――
 と、まるで目からウロコが落ちたように感じることも珍しくはなかった。懐かしさとともに、袋小路に入りかけている考えをうまく導いてくれるのに役立っていた。
 将来に考えるであろうことを考えていた時間帯というものを持っているのは、きっと私だけではないだろう。特に大学時代のように自分を見つめなおす時間がある人は、大なり小なり悩みや、将来について思いを馳せていたに違いない。
 特に私の場合は、同じ年頃の友達で、高卒で就職した連中のことを思うと、将来について考えないわけにはいかなかった。それだけ意識していたのかも知れない。
 そういえば社会人になった今でも、学生時代の夢をよく見る。
 夢というのは、楽しかったことを思い出して見る楽しい夢と、あまり思い出したくはないが、記憶の中に残っている嫌な思い出が頭にこびり付いているものだ。それが抜けずに無意識な夢として現われるものである。
 学生時代のことで見る夢とは、後者の方が圧倒的に多い。前者の夢を見て楽しい思い出を思い出すこともあるのだが、後者のように無意識に何度も見る夢と違い、見たいと思っても、意識してしまうだけになかなか見ることもできない。
 しかし、後者の夢は無意識に見るだけに、いつ見るか分からない。その夢のシチュエーションはどうやらいつも同じような感じがして仕方がない。試験前で資料がない夢であったり、就職活動中で、なかなか面接をパスしなかったりと、焦りを感じたりする夢ばかりだ。
 夢というのは覚めてからハッキリと覚えていることなど希で、それでもいつも同じシチュエーションだと思えるのは、きっと夢の内容がセンセーショナルなものだからだろう。それだけに印象の深い夢というのは、いつも同じシチュエーションに感じられるのかも知れない。
 そんなことを考えていると、夢というのは潜在意識が見せるものだということを改めて感じさせられた。それだけに、意識の中にないものを見るのが不可能だということも、思い知らされたような気がする。
 喫茶店の夢はどうなんだろう? これも潜在意識の見せるものなのだろうか? 二階に上がっていく喫茶店、その印象はあまりない。しかもそれが駅前の大きなロータリーというとなおさらで、社会人になって営業でロータリーが大きな駅に行くことはあっても、いつもは駅の構内の喫茶店でモーニングサービスを食べているだけだった。二階に上がっていく喫茶店もあるにはあるのだろうが、意識したことはないと思う。
――願望のようなものが潜在意識にあったのだろうか?
 ないと思っていても潜んでいるのが潜在意識というものだ。それをその時初めて感じたような気がする。
 高いところから、ロータリーを眺めていたいという気持ちが強かったようだ。ロータリーというよりも、人の流れを見ていたいという思いが強い。
 人の流れはいつも一定である。だからこそ、それが夢であると感じる。
 しかし、その時に見たのは少し違っていた。
 私が意識していたのか、最初から何となくそんな予感があったのか、前は気にしていなかったのだが、人の顔が気になってくる。
作品名:短編集24(過去作品) 作家名:森本晃次