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短編集24(過去作品)

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 ここの常連客は同じものを求めてやってくるのではないかと、いつも感じている。時々一緒になる人たちは決して饒舌な連中ではない。どちらかというと口数少なく、黙々と飲んでいる人ばかりである。時々ママに話しかける程度で満足している。
 私も最初に来た時は、ママから話かけられてかなりリラックスできた。今から思えばママの口数はそれほどでもなかったように感じる。それを話題豊富で、饒舌だったように感じているのは、それだけ私との会話に的確な返事をしてくれたからだろう。話題の方向性を導くことに長けているのだ。
 なんだかんだで常連になって半年が経ち、暑かった夏も終わろうとしている。朝夕の通勤時間が過ごしやすくなり、夏の名残りが少しずつ消えていく。
 あれだけ気になっていたセミの声を急に聞かなくなる。
 鼓膜にへばりついていたはずのセミの声の残像は、どこへ行ってしまったのだろう。
 熱くなり始めても、最初はそれほど気になるものでもなかったが、ある日を境に夏を感じ始める。それがセミの声を気にし始める時なのだ。
 暦的な季節の変わり目とは別に、肌で感じる季節の変わり目というものがある。冬の始まりが、朝晩の冷たい突風であったり、春の始まりが、花の匂いを感じる時である。夏の始まりがセミの鳴く声を聞いた時であり、秋の始まりが、夜空を焦がす黄色い月だったりするのだ。
 ちょうど、季節は秋の始まりを感じ始めた時、夜の帳が下りるのが楽しみな時期だ。
 セミの声が気になり始める時は、
――ああ、夏が来たんだ――
 とすぐに分かるものだが、セミの声を感じなくなる時は、
――いつの間にか気にならなくなっている――
 と感じるのは後になってからだ。
 そんな時期、夜空の方が先に秋の気配を感じさせ、秋の始まりを「綺麗な月」だと思わせるのだ。セミの声を聞かなくなる時期と、きっと同じなのだろう。
 会社を出る時間が少しでも遅れれば、私がスナック「トマト」に着くまでに夜の帳が下りていることが多い。
 夜の帳というと、冬のように乾燥した空気の中では、本当に煌いているかのような満天の星空を見ることができるが、それ以外の時期ではそこまではない。しかし、秋の始まりであるこの時期だけは、満天の星空に負けない美しさをたった一つの星が演出してくれている。
 一番身近で、一番神秘的な星、それは月である。この時期は仲秋の名月と呼ばれるほど綺麗な正円を描いていて、色も綺麗な黄色、そして何よりも、どの時期よりも大きく見える。
――まるで、月が近づいているんじゃないか――
 と、錯覚には違いないのだが、そこまで感じられるほど、大きく見えるのだ。
 しばし浮かんでいる月を見ながら歩いていると、時間と距離を忘れさせてくれる。街灯などいらないのではないかと思えるほどの道を歩いてきて、気がつけば目的地に近づいている。
――ひょっとしてこの時期が、一番過ごしやすいのかも知れないな――
 と、感じる。
 いつものように店の重い扉を開くと、珍しくカウンターの奥に人がいるのが見えた。扉を開けて最初に目に付く場所が、カウンターの一番奥の席なのだ。
 私の指定席は逆に一番目に付きにくい、カウンターの一番手前の席。指定席を決めるのも個性が出るのだろう。
「それにしても不思議なのよ。皆自分の指定席を持っていて、同じ場所を指定席にしている方たちもいるんですけど、今までに一度も同じ指定席のお客さんがバッティングしたことがないんですよね」
 とママが言っていた。
 あまり満席になったところを見たことなどなく、適当に散らばった座席配置ばかりを見ているのでピンと来なかった。それだけ、座席配置に違和感がないのだ。皆自分の指定席で勝手にやっている店である。ママを独占されることもよくあるが、だからといって、面白くない顔をする者もいない。最初だけは私も面白くなかったが、漏れ聞こえてくる話に嫌らしさはなく、それはそれでスナックとしては十分許容範囲である。
 カウンターの一番奥に人がいるからといって、混んでいるとは決して思わない。それがその人の指定席だというだけだからだ。
 時間というものは実に不思議だ。自分が今こうしている時間も少し経てば過去になる。未来から一瞬だけ現在があり、また次の瞬間には過去へと向う。しかし、どの瞬間をとっても自分は自分なのだ。それを誰がコントロールしているのだろう。
 偶然とはいえ、店の指定席がすれ違いによってうまく作用することを見ていれば、そんな思いを感じることができる。
 猛スピードで走り去る列車の乗客を見ているのと同じ感覚になる。電車の窓にしても、車の窓にしても、スピードを上げて走り去る中の人を見ていると、スピードが速ければ速いほど、小さく見え、凍りついたようにまったく動きを感じない。
 時間というのは同じスピードで走りすぎるものだが、果たしてそうだろうか?
 人によって、いや、同じ人間でもその時々で、時間を長く感じたり短く感じたりするものだ。しかも、それを刻む時間の単位が、一日だったり、一ヶ月だったりするだけで、感じ方もかなり違うというものだ。
 一日がゆっくり過ぎると思っていても、それが一ヶ月経てばあっという間だったように思うこともある。
 人との出会いもそんなものかも知れない。
 焦って友達や恋人を作ろうとしても、なかなかできるものではなく、ふっと気持ちにできた余裕が友達を引き寄せるようなことがある。固まってしまった自分を解かすには、スピードではなく、余裕だということを、その時に感じるのだ。
 早く過ぎ去ってしまった時間が薄っぺらいものだとは言い切れない。なぜなら、時間をコントロールしている人がいるとするならば、それはそれぞれ個人個人によってではないだろうか? それによって人と時間の感じ方が違い、時には摩擦となって気持ちがすれ違うことがある。相手が見えなくなる瞬間が、どれだけの長さに感じるか、それも人によって違うのだ。
 そんなことを考えながら店の中に入ると、男が一人後ろを向いて呑んでいた。
いつもの指定席に座るが、横顔を覗き込むようにしている自分が、あまりにも露骨な態度だと分かっていたのか、相手は何食わぬ顔をしてゆっくりとグラスを口に運んでいた。
――幸一くん――
 思わず声が出そうになるのを抑えた。まるで、最初に店に来たのが昨日だったかのように、思えてくるから不思議だった。
「いらっしゃい」
 いつものママの声だった。私が初めて来た時に感じた幸一くんに対するママの「怯え」のような声ではない。意識して変えているわけでもなく、店の雰囲気に馴染んだいつもの声である。
「こんばんは」
 そう言ってママの顔を覗き込んだ私の顔は、普段と同じ顔をしているようだ。ママが意識しなければ、私が意識する必要もない。いつもの空気を感じた。
「私は嘘をつく人って大嫌いなのよ」
 ママが誰に言うというわけでもなく呟いた。
「え? そりゃ、嘘をつく人が好きな人っているのかな?」
 思わず私が答えていた。幸一くんはというと、相変わらず自分のペースでグラスを口に持っていっている。両肘をついて、細身で身長が高いのだろう、背中が余計に丸まって見え、くたびれた恰好に見えている。
作品名:短編集24(過去作品) 作家名:森本晃次